令和8年お盆挨拶
7年ほどの年月を地中で過ごすセミの幼虫。
ある日気が付けば友達がせっせと上へ上へよじ登って行きます
「何を始めたのだろう?」
気にながらも翌日見に行くと友達が登って行った先に丸い穴が見えます。目を凝らして見てみると。「なんと!」友達の背中がパックリ割れています。
幼虫の世界は大騒ぎ。何があったんだ、何でこんなことになったんだ、と。
けれどもその訳を知る由もありません。
その頃よじ登っていった当の友達はセミの成虫になって大空を自由に
飛んでいます。なんて清々しく気持ち良いのだろう、と。。
しかしこの両者には伝え合う手段がありません。
一方は嘆き悲しみ一方は大空を自由に飛びまわる。
この話は浄土に往生された事と見送るご遺族の姿を比喩したものとして
夏のこの時期耳にすることが多いお話です。
しかしこの話をもっと身近に考えることは出来ないでしょうか?
自分やまわりの誰かの背中がたとえパックリ割れた状態だったとしても、そのことが必ず致命的な事ではないと捉えられないかな、と思うのです。
自分の知らない所や見えないところでは大空を飛ぶが如く既に何かが動き始めているかもしれません。
自分の経験、価値観だけが未来の全てではないと思えたとしら、
きっとそれは今の自分の支えとなるのではないでしょうか・・・
合掌











