中陰について
「中有」ともいい、元々は死んでから生まれ変わるまでの期間、またはその在り方を指す言葉です。仏教が中国の道教などと結びつき習合される中で生まれた「十王信仰」に基づき、現在の中陰法要の形が出来上がったと言われています。
「十王経」などによると中陰期間中はよほどの善人や悪人でない限り、七日ごとに十王による裁きを受けることになります。ちなみに五七日(三十五日目)を担当するのが有名な閻魔大王です。遺族は追善回向の意味合いからその裁きの日に合わせて法要を営み、故人の生前の罪が少しでも軽減されて良いところに生まれ変われますようにと祈ります。
四十九日後に残念ながら地獄や餓鬼、畜生、修羅の世界に生まれてしまった場合にも、百箇日、一周忌、三回忌と供養を重ねることで救われることが出来るようになっています。
ただし、有り難いことにお念仏頂く身となった私たちに限っては、そのような恐ろしい裁きの場を経験せずとも臨終のその瞬間に阿弥陀如来のお力によって速やかに極楽浄土へと往生させて頂くことが出来るのです。ですから故人のために必死にお祈りする必要はありませんし、追善供養の義務を負うこともありません。
私たちにとって中陰の法要とはあくまで故人を偲びつつ仏縁を喜び、阿弥陀如来の恩徳に感謝申し上げるためのものです。故人が仏として働きかけて下さるその声に、私たちが耳を傾けていく場でもあります。「しなければいけない」法要ではなく「せずにはおれない」法要だとご理解下さい。本来なら地獄行きであった私たちをそのままで極楽浄土に渡して下さる阿弥陀如来に、せめてもの思いで共に感謝のお念仏申し上げましょう。