海洋散骨について

 このたび西栄寺でも「海洋散骨」に取り組むことになりました。その準備の為、これまで度々和歌山の海に足を運びましたが、海を眼前にした時の解放感と清々しさとある種の郷愁は訪れるたびに新鮮で飽きが来ません。
 進化論によりますと我々人間に限らずあらゆる陸上生物は元来海の生物としてその命を得て、進化の過程でやがて上陸し、その都度環境に適応しながら今の私たちの姿にその形を変えてきたそうです。
 今では大半の人間にとって海は遊びに行くところであり、漁によって恵みを得るところであり、船で物を運ぶ経路でありますが、もっと大きな生物観でみれば海は我々の大いなる故郷であるとともに、命が還って行くべき場所と言えるのかも知れません。海を前にした時の懐かしさは、もしかしたらそんなところに起因しているのではないでしょうか。

 西栄寺の海洋散骨「泰海」「心海」は、和歌山県美浜町の地元の漁師の方々が営む「マリン散骨美浜」様と提携して行います。五月の半ば頃、住職並び他二名で実際に散骨をする海域まで船に乗せて頂きましたが(余談ですがこの日は波が高く、住職は船酔いに苦しんでおりました)、和歌山の綺麗な海と景色が今でも目に焼き付いております。
 こんなに美しい海に散骨させて頂ける機会は、実はそう多くはありません。なぜなら海洋散骨は殆どの場合、港や漁業関係者から敬遠されてしまうからです。はっきりと散骨禁止を掲げた港や自治体もあります。まるで悪いことをしているかのようにコソコソと出航していく例も少なくないのです。
 そんな中、有り難いことに美浜町の方々は港湾関係者一体となって海洋散骨を推進しておられますので、こちらも安心して船をお借りする事が出来ます。周囲に白い目で見られながらの出航、というのがありませんからご参加頂く当家様にも安心です。お話によると役所の方々も好意的に見守ってくれているとのことで、まさに盤石の態勢と言えるのではないでしょうか。

 しかし海洋散骨そのものに未だ抵抗を感じる方もいらっしゃるでしょう。「先祖代々お墓や納骨堂に納めてきた伝統を崩したくない」というお気持ちはごもっともですし、「散骨はお骨を海に捨てているようで気持ち悪い」という方もいらっしゃいます。
 その一方で、大好きだった海に還してあげたいというご遺族の想いがあり、後々家族に迷惑かけたくないとの一心で生前から海洋散骨を希望される方もいらっしゃいます。ここ数年海洋散骨の施工件数は飛躍的に伸び続けていますし今後更に増加していくことは確実です。お墓や納骨堂といった従来の在り方に付け加える形で散骨という新しい選択肢が定着しつつあるのが現状です。

 そもそも親鸞聖人はご自身の亡骸について「鴨川に流して魚の餌にしなさい」と仰っておられます。魚肉を食べて生きてきたせめてもの恩返しという意味もあったろうと思われますし、物質的なものや形式に囚われず信心一つを旨とした聖人ならではのエピソードです。このお言葉に従うならば本来は埋葬方法に何の制限もないこと、限りなく自由であることがお分かり頂けるのではないでしょうか。

 海は広いな 大きいな 月がのぼるし 日が沈む
  海は大波 青い波 ゆれてどこまで続くやら
   海にお舟を浮かばして 行ってみたいな よその国 (童謡「海」より)

 広大でゆったりとしていて、どこまでも青く、深く、仏の智慧や母の愛にも例えられる海です。そんな海と溶け合い一体となり、静けさとともに還り行く海洋散骨。お骨のことでお悩みの方がいらっしゃいましたら、一度選択肢に加えてみられてはいかがでしょうか。興味がある方はお気軽に西栄寺までお問い合わせください。
 どこまでも続く大海原が私のお墓、というのもきっと素敵だと思いますよ。