浄土真宗 単立 泰心山 西栄寺では、永代供養、仏事、葬儀、法要などのご相談をお受けしています。大阪市、堺市、 尼崎市にあるみなさまのお寺です。

泰心山 西栄寺
 
             西栄寺おもしろ住職

 

 

西栄寺住職 山田博泰

住職が毎朝、直感的に語るおもしろ言葉をつづります。

 

平成21年の「おもしろ住職の一言」はこちら
平成22年の「おもしろ住職の一言」はこちら
平成23年の「おもしろ住職の一言.前」はこちら
平成23年の「おもしろ住職の一言.後」はこちら

 
 
 
西栄寺 おもしろ住職の一言(2010)



 

年の瀬とともに、またまた友人が亡くなった・・・
お別れにと自分の心のけじめとして、
遠く北九州へ行って来たが辛い別れであった。
愛別離苦という単語は耳にタコができているはずなのに、
断腸の思いである。
若き頃、共に地域の為に頑張ってきた、彼。
彼の足跡はきっときっと伝えられる事であろう。

また家内の病気により、多々友人知人にご迷惑をかけている。
見舞いに行った時、昔の思い出話(住職の悪ガキ時代)に華が咲いた。
住職の50年以上も前の話ではあるが、友人宅に遊びに行った時
その家のにわとりの爪を切ったらしい。
止まり木に止まれないにわとりさんのお気の毒なお話。
(今思うとそのにわとりどうしたのだろう?)
ほかにもいろいろ遊んだ、友人と大和川への冷たい水に足を浸したあの頃・・・
懐かしいやらあきれるやら、住職のうわさどおり悪の極みであったのであろう。

今はご円満な顔をしているが、内心夜叉の如し。
その名の通り!

 

 



今年も残り少なくなった。
多忙と言う名の下、このブログも抜けるのが当たり前になってしまった。
その昔、親父から「何回言ったらわかるねん!」と言ってよく親父からよく殴られた。
まさに時代は繰り返される。

下界では真冬真っ盛り。
毎朝小鳥にみかんを切ってやっているが、
寒空の下ついばむ姿は可愛いものである。
今朝も小鳥たちを見てると、鬼のような住職もつい微笑んでいたりする。

鬼の顔も恵比須顔。

先日のこころ塾でゲストに来てくださった、
びばるーんさんのブログにその時の模様を載せていただきました。

http://bibaru-n.blog.eonet.jp/

 



私がまだ九州を追い出される前からずっとずっと続いていた旧友が亡くなり、
断腸の思いで会葬させて頂いた。
親しい人が去っていく事実。
「会者定離」判っているものも、悲しい別れをしてきた。

九州を去って三十二年、おかげで懐かしい面々にもお会いできた。
複雑な思いである。
残された者はお互い髪は抜けあるいは白くなり、
皺はさらに深くなり、年輪を大いに感じさせられた。
「また元気で会おうね!」の笑顔に送られながら帰ってきた。

あの当時、阪九フェリーで別れを惜しんだ。
舟で別れたからであろう、その悲しさが今も脳裏に刻まれている。
おかげで錦を飾るとはおこがましいが、胸を張って旧友に会える今を感謝したい。

周りの人たちに助けられ今日があるのだが、
今は家内が病床に伏せっている事実がただただ辛い。
今まで仕事に追われ走り回っていた私であるが、家庭の事はあまり考えていなかった。
家内はきっときっと我慢していたのであろう。

そんな思いを胸に今日も病院に行ってこよう。

 



ここ、二日冷たい雨が降り続いた。

「時雨れる」(しぐれる)

綺麗な言葉だ。
あまり上手ではないが、学生のころから俳句を嗜んでいる私が
大好きな言葉の一つである。
されど日本海育ちの私。冬になれば雨雲が垂れこめ、
毎日毎日が鬱陶しい思いである。

そぼ降る雨の中で傘をさし、ゆっくり流れる時間は心安らぐ半面、
実生活での雨は虐げられた気分になるであろう。

このひと冬日本海の方たちは、忍の日々であろう。
だからこそ春になって跳ね返す精神を養い、たくましく育つのであろう。

我が寺は石川県の松浦建設の職人さんによって立派な本堂を建てて頂いた。
その折の事を思い出す。
老いも若きも一丸となりあまり上手な事はいわず、
謙虚な態度で黙々と働く姿、心を打たれたものである。

古希を迎えた私であるが、そんなDNA大事にしたいものである。
近隣から打たれても打たれても跳ね返し頑張ってる姿、
きっと癪にさわるであろう。

 

 

 



玄関の前につるし柿の暖簾を作ってみた。
こんな都会では難しいらしいが
渋柿およそ100個程
近所のおばさん達がせっせと皮をむいてくれた。
軒先に吊るされた暖簾は綺麗な風情となっている。

この人達の接待は家内がしていたのだが
思わぬ病気をして不在にも関わらず
何かとお寺の行事に参加してくれるみんなの心が嬉しい
今朝も又近隣の美化の為ゴミを拾いに行ってくれている。

家内がいる時は他愛のない事と思っていたが
洗濯一つにしても、脱ぎっぱなしにしたズボン、
だんごになったシャツ、食べたら食べっぱなしのゴミ
朝一番の開口第一発「起きろ!」から、「風呂に入れ!」
そして「寝ろ!」まで孫に怒鳴りっぱなし…

もういやだいやだ、早く来い来い帰ってこい(お母ちゃん〜)

 

 

 



多忙という単語は便利なものであるが
家庭内で異変がおこりまさに多忙を極めている。
従ってこのコラムもサボリぎみである…(反省)

そんな中で昨日は九州の柳川での用事ができ
日帰りで仕事をしてきた。
用件はすぐ済んだが素晴らしいものを発見した。
前に一度、世の中に美味い物がこんなにあるのかと書いたことがあるが
「鰻のセイロ蒸し」がこんなに美味しいとは知らなかった。
鰻そのものを食する機会が余り無かったが美味間違いなし!
値段には少々言いがかりを付けたいが本当に旨かった。

坊主のはしくれとしてこんな表現はまずいが
それはそれ、焼肉のCMまでもにでている私
お許しあれ。m(_ _)m

やはり旨いものは旨いんだ!
こんな調子で本音をたたいている。
おかげで「こころの寺やんちゃ住職がゆく」も好調に売れている。

鰻パワーで頑張るぞー!(^^) v

 

 

 



企業内において、手いっぱいで動かしている社内で、
もしひとりでも故障者が出ると、歯車が合わなくなり大変な事になる。
いわんや零細企業においてはこと深刻になるであろう。

それは家庭内でも同じで、家族が病気になるとこれまた大変な事である。
今まで当たり前のように思っていた歯車が、かみ合わないどころか頓挫してしまう。

世の中にはこんな大変なことが多々あるのであろう。

家の中に病人、する仕事もままならずおまけに生活困窮なんて、
もう泣きたいどころではない。
そして中には何かに救いを求め、変な方向に行ってしまう家族もあるだろう。

家族結束の中で、あるものを受け入れ一つ一つをこなして行きたいものである。
「世の中悪い事ばかりではない」
先人の残した素晴らしい言葉もある。

きっと来る来る春が来る♪
あなたの為に。

 

 

 




昨日は梅田にでる機会があったので
旭屋書店、ジュンク堂、ブックファーストを見てきたが
今週ランキングの棚に「こころのお寺・やんちゃ住職がいく」の本が
1位の所に燦然と輝いていた。

各書店では平面置きの販売で
ハーレーに乗った住職の満々と湛えた笑みがこちらに投げかけ
こんなちっぽけな本が有名書店に並んでいる事に
気恥かしい思いがする。(^^)ゞ

また夜は応援しているケイトのライブがあり
残念ながら私は出席できなかったが
我が寺のイメージソングの「優」を歌われ盛況の内に終わったと聞き、
今朝の大阪日日新聞にも好評が伝えられている。

周りの皆に支えられ嬉しいかぎりである
みんなみんな有難う。

 

 



人事とは難しいものだ.
我が寺はあまり人事の出入りはないが
せっかく育てた人材が辞めるのはお互いにもったいないことだろう。

全職員を数えてみると、いつのまにやら35名にもなっている。
その職員の背中には嫁もおれば子供もおるだろう、
当然100名以上のものが飯を食っているのか。
その大所帯を支えて下さる方達にただ、ただ感謝である。

出版第3冊目になった《「こころのお寺」やんちゃ住職が行く》
この本の今週の各書店の総合ランキング表が送られてきた。
おかげ様でジュンク堂書店千日前店、ブックファースト梅田店、
旭屋書店本店で第1位を確保できた。残念ながら紀伊国屋書店は第5位らしい。

こんなに本が売れるとは思わなかったが
私如き者が書いた本が書店に並び、
週間ランキングとはいえ名前が連なるなんて本人がびっくりしている。
本当に本当に有り難いことである。

でも一読したものの、つまらない物だってすぐ古本屋に売らないでね m(__)m

 

 

 



今朝も変わりなく全員で朝の勤行をした。
当番の野田先生がかの松下幸之助氏が商品(もの)を作るのではなく、
人間を造って(育成)いるのだという話をされた。
まさに企業にとっては人は石垣。
職員は大事な大事な宝物であろう。

このたび家内が病院のお世話になっているが、
その病院の職員の教育がなっていないなと感じた。
挨拶はしても答礼もなくだべっていたり、
患者さんを無視しているように感じられた。
私はそれに関してを何も言うつもりはないが、
いい勉強をさせていただいたと思っている。

職種はともあれ真心が感じられない会社は、
遅かれ早かれ崩壊するであろう。

「挨拶に始まり挨拶に終わる」という基本や諸々の事。
まごころというのは、人との会話によって伝わると思っている。

人としての心を理解できないそんな人間になりたくない。
少なくとも、我が寺の職員たちはよくやってくれていると思っている。

一対一の個人から職場にいたるまで、
たえず相手の目を見ながら話の出来る。
その気概を持ち続けたいものである。

 

 



今日はこころ塾の日。
おかげでまるまる4年になろうとしている。
出発はたわいのない話から始まったこころ塾であるが、
お説教らしいお説教もようせんかった私・・・
しかし、なにごとでもやろうと発奮したおかげで、今日をむかえられる。
延べ1000人位はきてくだっさているのか?
親しい面々と親しくお話が出来る、こんなうれしい事はない。
たった4年であるが、還っていった人もおられる。
私もやがては還浄土させてもらえる身ではあるが、
あと何回しゃべられるのか?

世は紅葉真っ只中。
私も移りゆく自然の中に溶け込み、
真っ赤に燃えて去って行きたいものである。

ただし家内に言わせると「ろくでもない住職」。
のた打ち回って死んでいくらしい・・・

おそろしや・・おそろしや・・
( ̄□ ̄;)!!

 

 

 



天高く、青空の下、国旗と仏旗が今日も元気にはためいている。
毎朝このはためく風景はとても大好きだ。
こころなしか私の心もはためき、今日一日の気構えを表してくれているようだ。

過日より、永代経法要、古希祝い、書籍出版などの事務処理に追われ、
寺内も家の中も多忙を極めておる。
特にこの一ヶ月は時間に追われる毎日ではあるが、
幼き頃より身についた貧乏性が私を支えてくれている。
こんなあんなと、みんなみんなに育てていただいたおかげで
何をしても苦とは思わない。

与えられた「時間」と「空間」をしっかりと歩む者になりたいものである。

今朝も近隣の方が、ご参集。青いはっぴを着てゴミ拾いに行ってくださる。
ずぼらな小生をみんなが連れて行ってくださる。
私一人であれば、絶対に行かないであろう・・・・

前のものに背中を押され、毎日ごめんなさい。
ぺこ <(_ _)>

 

 

 



人生は苦なりとよくいったものだ。

苦あればこそ楽もあるのではあるが、それはそれ。
人間は得てして自分を中心にして考えがち、
苦ばかりと思いがちであろう。

過日は350人が集まっていただき、お祝いをしてくれた。
その素晴らしかった半面、今度は身内がとんでもない病気を・・
これもあれも、みんな人生の1ページであろう。

生きていくという事は大変なことであり、
成していかなければならない問題も多々発生する。
まさに生かされているという事であろう。
ありのまま、あたえられたものを甘受し、
日々精進していきたいものである。

昔より持続や継続といったものが難しい住職ではあるが、
がんばっていきたいものである。

でも一番好きな言葉は朝寝・朝酒  (注:住職はお酒まったく呑めません)

ずぼら・三日坊主・怠慢・すべて、住職に当てはまる。
周りの人たち・・・すみません。

 

 



昨日は充実した一日だった。

早朝より晴美台幼稚園の職員朝礼に参加させていただいた。
態度教育という事を根底にし職員一丸となった炎の塊を感じ、
目標を定めそれに邁進している姿に感銘した。
挨拶といい、清掃といい、基本中の基本が園児にまで徹底している。
こんな企業であるからこそ伸びていったんだろう
西栄寺にも良い面を取り入れたいものである。

その後、串柿の里かつらぎ町へ行ってきた。
昨年より思い立っていたのであるが
秋の風情として寺内につるし柿ののれんを作ってみたいと思い見学にいった。
訪れてみればまさに柿、柿、柿!
写真家も沢山訪れのどかな風情を見ることもできたが
観光化してしまい農家のおばさんが商魂たくましい一面を覗かせていた。

その後、先日お世話になった桐蔭高校吹奏楽部の
練習風景を見に中央体育館へ移動した。
練習とはいえ梅田先生の指揮のもと
一糸乱れぬパレード、若者の凛々しい姿を
目も耳も五感震えるおもいで体感させていただいた。
今月28日の全国大会金賞間違いなし!と信じている。
桐蔭高校吹奏楽部栄光あれ。

たるんだ住職、老いた身体に少しは刺激になったか?寝てはおれんぞ!

 

 

 



「こころのお寺」〜やんちゃ住職が行く〜
3冊目の本が出版されたが、順調に売れているようである。
「曲がり道の人生」(初刊本)も再販しておりありがたいものである。

住職、若き頃より古希の今まで波乱の人生である。
30年弱で壇信徒2万件を超え、振り返ってみると何も変わったことはしていない。
ただただ、がむしゃらなだけであった。

この年では学べることがなかなかない私ではあるが、
あちこちの講演会、お寺での説法会などには講師として呼んでいただいている。
そして今回、本まで出版するにいたった。
本を買ってくださる皆様には、ただただ感謝なのである。

今朝も早くから近隣のゴミを拾うために、沢山のかたが山門を出て行った。
人の善意にすがり、助けを請い進んできた私ではあるが、
昨日も書いたようにただただ、ご恩返しの今朝である。
本当に感謝感謝なのである。

みんなみんなありがとう。

 

 



今朝は快晴。
時あたかも住職、古希の朝を迎えた。

早い話が昨日の続きが今日であろう。
されど今朝を迎えられた意義は大きなものがあるのであろう。
人それぞれ親あり子あり仲間あり。
家庭であっても職場であっても、
皆の協力があったからこそ今朝を迎えられた。

夕方にはみんなが古希のお祝いをしてくださるらしい。

元気に今日を迎えられ、いわんやみんなが集って祝ってくださる、
こんな素晴らしい事ないであろう。

あと何年この世においていただけるのか判らないが、
元気でそして少しでも人の為にできる事をさせていただきたいものである。

そしてその時が来た時、今朝の空の色のように
晴れ晴れとした気持ちで去って生きたいものである。

みんなみんなありがとう!
(^人^)♪

 

 



今朝は快晴。
時あたかも住職、古希の朝を迎えた。

早い話が昨日の続きが今日であろう。
されど今朝を迎えられた意義は大きなものがあるのであろう。
人それぞれ親あり子あり仲間あり。
家庭であっても職場であっても、
皆の協力があったからこそ今朝を迎えられた。

夕方にはみんなが古希のお祝いをしてくださるらしい。

元気に今日を迎えられ、いわんやみんなが集って祝ってくださる、
こんな素晴らしい事ないであろう。

あと何年この世においていただけるのか判らないが、
元気でそして少しでも人の為にできる事をさせていただきたいものである。

そしてその時が来た時、今朝の空の色のように
晴れ晴れとした気持ちで去って生きたいものである。

みんなみんなありがとう!
(^人^)♪

 

 



今朝は秋晴れというもの、
風が強く旗はたなびき、雲も吹っ飛んでいってる。
小生幼き頃、越前海岸で育ったが、あの冬空を思い出す。
今日も越前はどんより曇った空の下、日々の生活をおくっているのであろうか。
日本海では冬は厳しい。
地域によって気候変動はあるのだが、冬はとにかく厳しい。
母はよく大阪での冬の生活は暖かくてありがたいと言っていたことを思い出す。

今の生活に住み慣れた我々にとって、田舎での生活はなかなか難しい事であろうが、
厳しくても自然を愛した生活もきっときっと素晴らしいものであろう。

されど、軟弱になってしまった住職。
こんな生活は耐えることができず。
朝寝・朝酒の好きな住職。 (注.住職は一滴も呑めません)
やはり都会の片隅で、へだってしまうのであろう。

あぁ・・悲しいかな。
(〃´o`)=3 フゥ

 

 




今朝も早くから、近隣の清掃奉仕活動に三々五々
山門を出て行かれる姿を拝見した。
わざわざ地域活動の一環として協力していただける姿を、
心からありがたく思いながら見送った。
近隣も美しくなってきたおかげで、汚す人も少なくなっているような気がする。

心もやはり同じか?

汚い心には汚いものが宿り、美しい心には穢れはなじまない。
幼き頃のあの純真な気持ちは、日々の生活によって少しずつ少しずつ穢れていくのか?

いわんや、住職の真っ黒けな腹・・・
こんな腹に誰がした?

絶えず、目には美しいものを見、耳には優しい音楽を聴き、肌には淡き風を感じ、
和やかな人生を送りたいものである。

住職の腹も少しは白くなるか?


 



永代経法要も無事終わった。

沢山の方にご奉仕して頂き
境内には色々な店が出て祭りらしい雰囲気を醸しだしていた。
晴天に恵まれ、
老若男女の方々が本堂ではしめやかに亡き人の面影を追い、感謝の誠を捧げ、
境内では色々な店が賑わいをみせ
祭りらしい賑やかで且つ和やかな雰囲気に包まれていた。

一体何人の人達が境内にあふれていたのだろう
皆さんに支えられ、励まされ、西栄寺は発展できている
本当に有難く思う。

住職もまもなく古希、感謝の意を表したいものである
みんなみんな有難う。


 



何もしていない住職。

早い話が何もできない住職。
なのに何でこんなに忙しいのか?
早い話が多忙という名を借りて、さぼってるだけ・・・?
朝から何だかんだと時間だけが過ぎ去っていく。
あたふたと過ごす時間は本当にもったいないものだ。

貧乏性の住職。

じっとしておれず、手術後も即退院。
歩き回ったおかげで足が腫れあがっている。
医者の言うとおり寝ておればいいものを、
結果的には10日たっても治らずに困るのは本人。
毎日足を引きずっている・・・
「日にち薬」という言葉を信じて・・・・

これもあれも仏様の頂き物。
ひとつひとつ与えられたものを大事にしていきたいものである。
世のお父さん、お母さん、みんなみんな苦の中に幸あり。
信じて前を向いていこうね!

 



目が覚めると秋雨シトシト…外に出る者の事を考える
きっときっと今日は冷たい雨であろう。

今日1日で紅葉前線も里に近づくであろう、
ニュースによれば北の方は雪との事、
厳しい冬が目の当たり、みんなみんな頑張ってるんですね。

昨日はこころ塾開催43回目、100人を超す人達がおいで下さった。
話す事も、もっともっと知性を磨き高めなければならないのに
本質がダメなのであろう他愛のない話ばかり申し訳ないと思いつつ
せめて来て下さった方が楽しく過ごしてくれればと願っている。

時間の許される方達よ
毎月第4水曜にはこんな思いで開催しているので
老いも、若きも、暇人よ来たれ。



季節の移ろいは早いものであり
我々日本人はこの季節を肌で感じ、食を楽しむ風情を持っている。

過ぎゆく風を見、枯れ葉の散りざまを見、咲く花に驚嘆する。
あんなに長く暑かった夏も忘れ去り今日から一段と寒くなるのか、
木々はいっぺんに色づき、紅葉前線はいっぺんに里に下りてくるだろう。

充実したこの秋を1日1日見極め楽しみたいものである。

 

 

 



昨日久しぶりに、シャワーを浴びた。

たった数日だが入院していた為、シャワーすら入れなかったのであるが、
そのシャワーを浴びれる有り難さ。痛切に感じた。
まだ風呂には入ってはいけないそうであるが、
普通に風呂に入れる、こんなことが当たり前の生活をしていた私。

普通に食べれるという幸せ。

なんと我々は幸せな世界に浴しているのだろう。
「当たり前の生活」当たり前になり、そんなことをほっと考えさせられた。

膝を手術した事はそんなに大問題ではないが、
不幸の中に新しく光明が見える。
そんなことを考えると、不幸も不幸ではなくなるのではないか?

世の中には大変な人がたくさんおられるであろうが、
貧乏、病気、災難、多々降りかかってくる不幸をどうか乗り越えて頂きたいものである。
不幸を不幸とせず、その先に見える光明を見出そう。
きっときっと、素晴らしい光が見えるはずである。

辛い時は共に耐え、悲しい時は共に泣き、おかしい事は腹を抱えて共に笑い、
美味しいものは分け与えて、共に味わいたいものである。

みんなみんな仲間。

みんなみんな素敵な輪の中。

 

 



今週初め、九州の友人の見舞いに走った。
久しぶりに会う彼は私同様人生の年輪を感じた。
お互いそれなりの人生を送ってきてはいたが、
彼はホスピスに入院してしまっていた。
帰り際にはお互い手を取り合って泣いたが、
後ろ髪引かれる思いで、タクシーに乗った。

耳にタコが出来るほど、愛別離苦の教えを頂いていた、
根本理念であるが単なる机上の理論だけではなく、
実際問題になると理解しがたいものである。
我が母との別れにいたってもそうであったが、非常に辛いものである。

帰阪後今度はすぐに病院へ。
不覚にも春、家の階段でたった3段しかない石段を足を滑らせ
大転倒したときに痛めた足を、とうとう手術していただいた。
膝のなんとかが、なんとかで、なんとかなっちゃったのを、なんとかしていただいた。

おかげでなんとか退院できた。

今朝は足を引きずりながら歩いてみるも、
朝のお勤めをするのに足が腫れて足袋がはけない。

ホスピスに入るような大事ではないのだが、、
病室に戻ってきた時、手術中寝ている間におむつに履き替えさせられたことに気付いた。

あぁ・・おれの人生先が見えてきた・・
人とおむつの生活、最後はやはりおむつにお世話にならなければいけない人の一生。
考えさせられた一瞬であった。
私の周りの人たちその時はよろしく(笑)

そして最後は「ありがとう」と言って還りたいものである。

されど、家内には「あんたはのたうちまわって死ぬであろう」、なんて言われている・・
悲しいかな、現実(泣)。

 



多忙という名目でまたまた3・4日抜けてしまった。
ずぼら住職の証明か?

昨日は堺支坊の一日研修で京都方面へ聖地巡拝をしてきた。
くしくも、大谷本廟で龍谷会が営まれており、
全国から善男善女たくさんお参りに来られていた。
それぞれの方は御門主様がご親修されてる中、
どんな思いでお参りされていたのであろう。
かと思う時、心痛む思いであった。

夕方には本山にお参りすることができたが、
夕暮れと共に多分得度次第(お坊さんになる儀式)を終えたであろう、
頭をくるくるにまるめた、4〜50名のお坊さんの集団が入ってきた。
新しいお坊さんの卵の誕生である。

その中でくしくもひとりの知った人を見かけたが、
きっと新しく僧として旅立つ思いで胸をいっぱいにしながら、
本山の白砂をふみしめたことであろう。

ちょうど私も50年前同じ思いで、得度式をうけた。
たそがれが迫る中、あやしげに揺れるろうそくの火を見ながら、
剃髪式を胸が震える思いで受けさせていただいた。

それぞれが今日の思いを持ち続け、僧侶の道を歩んでいただきたいものである。

私自身身が引き締まる思いの今朝であった。

 



若者が我が古希を祝ってくれるらしい。
知らない所で、準備万端。うれしい限りである。

久しぶりに堺支坊に出向いた。
若者が語らいの中に成長していく姿がその中に見え、
これまたうれしい限りである。
人が育つというのは中々難しいものであろうが、
我々先輩は先達となり引き上げ育て、そして世に送り出す。
そこまで到達するには、困難なことであろう。

今朝は天高く、清清しい朝のそよかぜ。
光を感じ、そよぐ風を感じ、人の心も肌で感じる。

人が育つという事もこんなものであろう。

 



朝寝、朝酒※、大好きな住職。 
早い話が、人間ずぼらなだけであろう。

今朝は不覚にも寝過ごしてしまった。

一度目がさめた時には、薄暗かったが、
みんなのワイワイガヤガヤで目が覚めてしまった。

お坊さんは、朝早く起きて庭の掃除をし、
机に向かって書道の練習をし、読経にこころをこめて、
身をよぎる風で四季感じる。そんな風情を夢見てる私。
しかし夢は夢であって、ずぼらな私には程遠い世界。

やはり私はお坊さんになりきっていないのであろう。
宗祖親鸞聖人は「僧にあらず俗にあらず」とおっしゃったが、
私自身はただただ「ぐうたら」なだけであろう。

あぁ恥ずかしい・・・(/ω\)

※管理人注)住職はお酒全く飲めません。

 



庭には白と赤のコントラストをなした彼岸花が咲き誇り秋を醸し出している
池の睡蓮の盛りは終わったが
さるすべりはこれまた真っ赤に燃えだしている
うちの事務員も真っ赤に色付き…??

あれだけ暑かった夏もようやく過ぎ去り
実りの秋、食の秋、
満喫し今日も楽しい一日を過ごしたいものである。

古希になった小生、日々楽しく充実した毎日を過ごしている。
夕方から雨ときく、
雨もよし、晴れもよし、日々まさに好日。

 

 



我が宗派では、お位牌を作らないが過去帖を作成している。
故人の遺徳を惜しみ、ご縁を大事にしているその過去帖は、
私達も特に襟を正し筆耕させていただいているが、
つくづく己の字のへたくそさが思いやられる。

檀家さんには書の長ける方達も沢山居られるため、
いろいろと勉強させていただいている。

我が寺には20数名の僧侶が在籍しており、
それぞれが責任をもって書かさせていただいている。
僧侶としていろんな機会をへて精進してくれればと願っている。

僧侶は御門徒様に育てられていると思うし、
檀家が寺を選ぶ、と私は思っている。

みんなから育てられ、それぞれが立派な坊さんになって欲しいものだ。

 



昨日から降った雨は万物の恵か、
遅ればせながら、彼岸花が満開。
これからは一雨ごとに涼しくなり、冬へとまっしぐら。
あれだけ暑かった夏、耐え難いものだった。
ワシは暑いのは苦手だから、ただただ耐え忍んできた。

自然の脅威にはなすすべもなく、
我々はただ通り過ぎるのを待つしかないのであろう。

人間とは無能なものである。
個人にとってもその無能さを知り、決しておごる事なかれ。

おごればやがて、必ず己に帰ってくるであろう。

 



町を走ると安全週間ののぼりがやたらと目に付く。
過日、携帯電話を使用しながら運転してつかまったが、悔やまれてならない。
私としたことが、青切符をありがたく頂戴する。
安全意識とは判っていながら、現実の世界やはり先人は
一罰百戒よく言ったものだ。よく肝に銘じておこう。

判っていながら、何をか言わんや。
我が凡夫ゆえんの所為か?
我が寺はセキュリティがちがち。
よってなにか寺近辺で事故があると、
警察のほうから協力要請がよくくる。
これからは今までにもまして協力していこう。
・・・と思ってみたりもした。

※管理人注)住職はまだ青切符が相当悔しいようです。



昨日、生まれてこのかたたしか3回目だと思うが、
私にとっては胃がビックリするフカヒレスープの姿煮を
ご馳走になった。
「世の中には旨いものがたくさんあるんだなぁ〜」と、感心。
こんな旨いものありがたいやら、びっくりするやら・・・
そして、世に申し訳ない複雑な思い。

今朝の新聞によると、北朝鮮では先軍思想によって
庶民は飢えているらしい。
また韓国では、統一できた時の為にお金が必要で、
新たな税金が創設されるとか・・・
私は政治は一切解らないが、世の太平に馴れていくのが恐ろしい。

母は長寿を全うしてくれ、親孝行できたとは思うが、
父は早く亡くなったので、旨い親子どんぶりの一つも食わしてやれなかったのが、
残念で思えてならない。

腹八分目、粗食に耐え、睡眠をよくとる。
長寿の秘訣と聞いてる。

意思薄弱の私。朝寝が好き。旨いものが大好き。
腹いっぱい食べたい。
こんな私、わかっちゃいるけどやめられない。
当然のことながら、メタメタメタボ。大メタボ。



怒りの110番。さらに怒りの110番!

今日は反則金6000円を、
謹んで熨斗をつけて収める事にした。

何事にも、授業料が必要であろう。
20数年何もなかった交通違反。
これによってまた一段と安全意識がたかまるのか。
一罰百戒、先人はうまく言ったものだ。

免許を取って50年、いったい何万キロ走ってきたのであろう。
無事に今に至ってる事を思えば、授業料6000円は安いものであろう。
あと何年生きれるか、あと何万キロ走れるか。
交通安全には徹したいものである。

その昔おまわりさんの目を盗んで、曲芸的に単車を乗っていた私。
そんな事はもうありえないだろう。
交通安全に徹していく中でそれを甘く見たとき、
おまわりさんが目を光らせて待っているのであろう。

そして家の中ではお母ちゃんが目を光らせている。
お母ちゃんの目を盗んでいると落とし穴があるぞ〜

今日の日本の平和はおまわりさんが、
家の中の平和はお母ちゃんがしきっている。

どちらも怖い怖い。
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル



「ごめん!今運転中なので、後でまた電話するねぇ〜」・・っと
言って電話切ったとたん、前方からお巡りさんが・・・
おいで〜おいで〜と合図・・・・

何秒話していたのか?そんな問題ではないのは十分理解。
おとなしく切符にサイン。
お巡りさんのさとす言葉は安全運転に!とありがたいお言葉。
私自身、ありがたく青切符を拝受。

つくづく己の安全意識がまだまだ不十分な点重々反省しきり。
振り返ってみれば、免許をとって52年。
若き頃からあれだけ単車に乗りまわし、今もハーレーに乗っている私。

安全には十二分に気を付けていた私なのに、どこかに隙があったのであろう。
お巡りさんを甘く見てるとどこかで痛い目に遭うんだよ〜

安全運転を心掛け、今まで無事故・無違反といいたいところだが・・・
駐車違反1回、スピード違反2回、そして20年数年ぶりに、
携帯使用でお巡りさんからお灸。
されど一罰百戒。
こんなお灸も頂いて反省するチャンスを頂くのであろう。

取り締まりOK! おかげでネタ切れの小生おもしろいネタ頂きました。
当分このネタでひっぱります(^v^)
次回のこころ塾もこのネタ出るかもよ。



急速な冷え込みで鬼の霍乱か?
どうやら風邪の神様が乗り移ったらしい。
早々と風邪を引いてしまい、この冬はいったいどうするのか?
人によれば、早々と免疫が出来てよかったね!という人もいるが、
全く不徳のいたすところ。
例年なれば「風邪を引くなんてたるんでるからじゃ」と一渇していた住職。
今年はぐぅのねもでないであろう。

瞬間湯沸かし器、ワンマン、我侭なんて巷では言ってるらしいが、
それでも一人息巻いて・・・ケンケン・・・・ゴホンゴホン・・・
人の迷惑かえりみず、己だけに優しい。
おいしいもの大好き!
朝寝、朝酒大好き(管理者注:実は住職は全く呑めません(笑))。
これで今日もいくぜ!・・ゲホゲホ・・・
周りの皆様すみません。

世の嫌われ者、今日も行く!
・・・ゴホンゴホン・・

 

 



いっぺんに秋へと進んでいるが、窓をあけっぱなしで寝た結果、
どうやら風邪気味。
自分の不摂生さを今朝は悔いている。
若き頃より、身体を労わってきたわけではないが、
いつまでも元気でおれないのであろう。
この年になると、痛切に感じる。
くしくもまもなく古希。
みんながお祝いをしようと言って下さっており、
今元気におれる幸せをかみしめている。

出る杭は打たれる辛さを味わってきた私。
直接面と向かってはよう言わないくせに、
影ではこそこそと男の風上にもおけない連中ばかり。
今では「どつけるもんならどついてみろ!」と開き直っている私。
この私のふてぶてしい態度、きっと腹が立ってたまらないであろう。

こんなこと言ってる私ではあるが、実はひ弱・・・
みんな優しくしてね(^v^)

 

 




彼岸で多忙という単語を利用して、ご無沙汰してしまった。
かの2,3日の気候変動にはビックリ!

彼岸の中日を過ぎ、忘れているのかと思っていた彼岸花も、
アスパラガスのようにまっすぐに伸び出てきている。
まさに遅らせながら挨拶しているのであろう。

私は燃えるような真っ赤な彼岸花が大好きである。
我が寺には白い彼岸花も咲くが、やはり赤色が群を抜いている。

これからはしばらく好季となるであろうが、秋を満喫したいものである。
暇があれば久しぶり鉄馬(ハーレー)にもに跨ってみたいものである。
どこからか「エー年して・・・」と言う声が聞こえてきそうだが。(・へ・)

 

 



昨夜は知人の紹介によりライブに行ってきた。
ライブハウスにはすでに十数名の人がいたが
どうやら友人の集いのようであった。
私が行く事によって違う意味で刺激があったようである。

それにしてもその集いは音楽の目指す人達の集いのようであったが、
こんなにも沢山の若者が音楽の道を目指しているのか?

昨夜はその主人公のオリジナルのを歌っていた。
人生経験の中でのいろんな恋の物語を七曲ほど作詞作曲をしていた。
一つの恋をいろんな表現で、音楽の世界、メロディーの世界そして詩の世界。
私にはとうてい表現できない世界だ。
技術というのはこんな世界であろう。

たまには音楽もよし。絵画もよし。
味わってみてはいかがなものか?

 



流石(さすが)
大好きな言葉の一つである。

独善的な事とは別として自分のことに即反応してくれるそんな時、
わが職員は流石(ながれいし)!といって褒めてあげている。

誰しも褒められれば嬉しいはず。
しかし、なかなか褒められる事は難しい。

褒められようと思って起こす行動はいかがなものかと思うが、
たえずアンテナを立て回りの言動に注意している。

我が小寺が大事にしている事である。
何事も、相手の立場にたってみて!と言っている私。
どこまで伝わっているのだろう。

 



いつのまにか、住職の机に猫が座っている。

わが寺には総勢32人の職員が頑張ってくれているが、
誰一人として、住職の椅子に座るものはいない。
されど、我が家のねこさんは泰然と寝そべっている。
勇気あるやつだ。

猫の世界にもそれなりの順位があるようであるが、
人間世界の順位はなかなか階段を上りきれない。
世のお父さんたちは、その階段を上り詰めれるように
頑張っているのである。

嫁や子に見られたくない時もあるはず。
嫁や子に見せたくない時もあるであろう。

人間の順位は決められないが、社会生活での順位は
いつのまにやら決まる。
それを嫌う人もいるであろうが、仕方ない面もある。

お父さん・・・頑張って!



今年は暑い暑いと、連発の日々。
今朝、庭に水をやってるとススキの穂が出てきている。
暑い中にも自然はたいしたものだ。

そういえば、来週は仲秋の名月。
庭の美人松の枝を通して見る月を今年も観られるのか。
桜といい、月といい、はたしてあと何回観れるのか。
この頃になるといつもそんな事を思っての月見。

観られなくなってもよし。観られればなおよし。

一日一日感謝。




その昔、南の果てに行った事がある。
水不足は深刻で台風をも祈る思いで待ち焦がれ無ければならない事実。
水の恵みを受ける半面、台風を被害をも考えなければならない。
その辺りが難しい…そう聞いた事がある。

最近水をやっていなかったので庭木も枯渇しているであっただろう昨今、
昨夜の雨の恵みはまさに充であったであろう。
今回の台風、今の所各地の被害は耳にしていないが
庭木に水をやらなくても良いというたったそれだけで
ずぼらな住職は満足している。
最近は試しに入れた池の金魚も餌をやると連合艦隊の様にやってくる可愛いものだ。

金魚の餌やりも庭木に水をやっている住職…
その姿だけなれば微笑ましいものであろう。
瞬間湯沸かし器の住職。
これだけでは済まないであろうがこれだけでは済まないであろう。
今日も一日、波乱万丈の一日が
ただただ、頭上を過ぎ去っていくのを祈るのみ
やはり台風と同じか(^▽^;A



表の池のメダカさん達も今朝もまた元気だ。
暑い中 ちっちゃな池の中の世界でも一生懸命生活しているのであろう。
与えられた命を全うしているのであろうか。
小魚は思考というものは無いのであろうが
それでも命を全うするという意味を理解しているように思える。

人は思考という考えがあるからこそ人間と呼べるのであろう。
パスカルは『人間は弱い。しかし人間は考える葦(あし)である。』と言ったが
考えるからこそ与えられた命を断とうとする人はいるが
単純に一生懸命生きるだけでも良いのではないだろうか?
何事もやり終えた感激は一入(ひとしお)のものだ。

私は生きて生きて生き抜いてやる。



小さな池を作り 井戸を掘り 夏には近隣の子供に水遊びをさせようとした試みも
冷たい水が汲み上げられるものの、
この西淀川区が元工業地帯であった為か
土壌汚染甚だしく池の水にも適さず
子供に遊ばせようとした試みも水泡に期してしまった。

散水の為にだけ供しているだけであるが
それでも“eko寺院”として自負している小生
何かしら後ろめたい気も…
池は作ったものの未だに少しずつ漏れているし
やっと近々金魚が死ななくなったばかりである。

ちっぽけな事であるが人間は自然に立ち向かう事は出来ず
自然に受け入れるという心がないとこんな事になるのか
と、水を見ながら嘆いている。
この工業地域も長年人間が驕り要らない物は川に捨て地に埋めて
地球を壊してきたその証拠がこの地中なのであろう。
元の地球に戻るという事は何万年何百万年とかかるのであろうか。
人間よ驕るなかれ。



今日も近隣のゴミ拾いに汗を流している。
久しぶりに植木に水をやると芍薬(しゃくやく)も哀れな姿になっている。
この夏の暑さに負けたのか・・・
来年の春は芍薬の姿を見ることも出来ないであろう。
無論、水やりを怠っていた結果であれば
可哀そうな事をしたものである。

人間もかけがえの無い命に
水やりしないと良い命も枯れ果ててしまうのか
“鉄は柔らかいうちに打て”と人は言うが、
堅くなっても打てばそれなりに形になるもの
知性を蓄え世の中に少しでも還元したいものである。
生きているという事は恩返しをしていく事である。

 



小用あり、西宮北部の山村に行ったが
強烈な日差しの中に秋風を感じた。
ツクツクボウシが鳴いていたが
心なしか往く夏を惜しんでいると感じられた。
やはり自然はいいものだ。

都会の真っただ中、
あまり自然は感じない日常ではあるが
ワビサビの世界、また花鳥風月。
心をとらえられる優しさを失いたくないものである。

やがては来る秋を
全身で感じ取りたいものである。



久しぶりに泉南布教所に行ったが
窓を開けると田んぼの稲穂があっという間に頭を垂れている。
黄金の穂波、今暫くか。
今年も秋の収穫は間違いないのであろう。
その収穫の努力は想像するのみであるがお百姓さんの苦労を偲ぶ。

“百姓”とは百人の姓の人を助けるから
“百姓”と言う事をお婆ちゃんから聞いた事がある。

その昔高校時代、友人の田の稲刈りに参加した事を思い出す。
今思うと、手伝いとは名ばかりなのに
沢山のお土産を頂いて
友人の母がにこやかに見送ってくれた事を懐かしんでいる。
その友人も今では白髪の紳士か
逢いたいものだ。




ふと気がつけばこんな暑い日が続くのに蝉の声がしない。
自分の頭の中には“セミ=暑い”という
連鎖反応があるがそれだけではないらしい。
今年の暑さは異常だと聞くが 暑いのももうしばらくか。
我々の感覚の外ではやはり
自然は巡り巡っているのであろう。

巡りゆく中に身近では仕事の事、身の回りの事。
また遠くを言えば友人の事、
遠くとも言えずとも高校からの友人の事
定年の後 生活どうしているのかな?なんて
頭の隅をよぎる。

たまには友人に逢いたいな。
薄くなった頭、白髪になった頭髪(笑)
また逢いたいものだ。



文字に親しんで60数年。書道を始めて何年たつやら…
仏教学院在籍中 書道部にいた事を思い出した。
あれからだけでも40数年とはいえ
書道と言う固有名詞もそもそもお恥ずかしい私。
やっと初段にならせて頂いた。

剣道2段、囲碁2段、居合道初段、空手名誉初段…(笑)
色んな免許をとった小生
やはり段とは値打ちのあるものだろう。
されとて この年になって書道初段...
まったくお恥ずかしい次第である。(^▽^;A)

諸々の段も、うちの寺の階段も
段とはやはり値打ちのあるものか?!
きっとこの文を読んで旧友は笑っている事であろう。
簡単に言えば時間が経てば それなりに段を与えてくれるのであろうか?

私にとって諸々の段。
値打ちのある段だろう。
これからも精進したいものである。



私たちは毎日葬送の機会があり、それなりにこなしてきている。
昨日は当寺の檀家総代の奥様が還浄土され、
本堂においての仮通夜にはご主人と3人で語り、笑い、そして泣き・・
深夜に至ってまで話し込んでいた。

そして朝目覚めれば、喪主の会長は憔悴していたが、
それでもその中に見える前向きな精神。
さすが大会社を率いてきている社長ではある。
式が終わり、落ち着いた様子ではあるものも、
その毅然とした姿勢には敬服した。

本堂で共に寝たのは、母が亡くなった時と2回目である。
人それぞれ、みんないろんな思いでお送りしてるのであろう。

いつかまた・・・「倶会一処」。
彼の世界でお会いできる教えがある私たち。

幸せである。みんなみんなありがとう。(-人-)



毎月開催のこころ塾も無事終った。
とても暑い中ご参集してくださった方感謝の極みである。
毎月、 常例布教のつもりでお話しするも
くだけた話の中に何か掴んでくれればと思ってはいるが
私自身の力の無さに反省しきり
上手な話も出来ないのに 皆勤出席者数名含め
本当にありがたいものである。

日中は焼きつく太陽、まだまだ続くのであろうか?
世の中のお父さんたち、ご苦労様です。

目下、隣では工場解体をしている。
炎天下、ガードマンをはじめ、
流れる汗に負けず働いている人を見ると
私自身力みなぎってくる。
働く即ち、世の中に貢献できる事を噛みしめている。
ご苦労様です。

 



お盆が過ぎたと言うのに暑さひとしお。
こんな中、今朝も恒例のゴミひらいをして下さっている。
汗を流し、
終わった後。みんなとワイワイガヤガヤ
お茶を飲みながら談笑している。

他愛の無い話であるが
話をするという事は気心が知れ
人としての触れ合いが出来上がり
和気藹々としたほんわかムードで楽しいひと時を送っている。
これがあるからみんな集まって来てくれているのか。
今朝もそんな楽しい朝であった。



お盆法要の慌ただしさの中に
それぞれの思いが過ぎ去って行った。
やはり一番感動的だったのは
本堂の片隅で人知れずそっと手を合わす家族。
心の中は癒えないが、
きっときっとその人の心の中には
亡き人を思う心があり
送りゆく人の心を静かに追っていた事であろう。

多忙な中にお盆と言う静かに
御先祖様を思う時間があってもいいものだなと思う。

残暑とは名ばかり、暑さひとしお。
食べるものを食べ
夜更かしをせず
慈愛して頂きたいものである。



今朝もまた近隣の人達が集まって地域の清掃に出て行った。
暑い中、わきあいあいと出て行く姿に
私もつられて道に行ってビックリするのは
毎週行っているのに道路にこんなにもたくさんの煙草の吸殻が…
日本人の美徳意識を疑われる。

とやかく言う私もそんなにりっぱな道徳心を持っていない
偉そうな事は言えないであろう。
みんな行ってくれるからついついつられて行き
みんな見てるから拾っている。
暗ければ私も捨てているであろう。
鬼と仏が住む私
お恥ずかしいかな。



全国津々浦々(つつうらうら)。
御先祖様をお迎えするという事でお盆法要が営なわれている事であろう。
私は仏教徒ではないという方もそれはそれ、
難しい事は言わずに、情緒豊かな御先祖様を語り合える
そんな ほのかな気持ちもあっても良いのではないか。

朝、お勤めから上がってくると
可愛い孫が黙々と宿題に追われているのか
それとも間違って机に座ってしまったのか…(笑)
彼女は彼女の世界もあるのであろう。

孫の名前を付けた事を思い出す。
私は阿弥陀信仰。
孫の名前を“あみ”とした。
可愛い奴である。
男の子は私のように巨人になれと
博泰の博と巨人の巨で
博巨(ひろおみ)とした。
男の子は住職に似てワンパク極まりない。
これも住職の名をとったからか?

可哀そうである。(‐△‐;)



我が寺では色んな事を模索しているが
その1つにお参りに来た人が一人一人過去帳を見れるように
パソコンを駆使して本堂の前に大画面のTVを設置している。

過去帳とは記録的なものであるが
お参りに来た人が亡き人を五感で感じるものとして
やはりお参りの際には、その人を実感でき大変喜んでくれている。
されど機械は機械で、どうしても一長一短があるものである。
画面に一体しか表示できないという事でもあり
参詣者の思いはまっとう出来ないでいる。

機械はやはり機械。
便利なものであるが最後は人の手と心がもてなすものであろう。
一服のお茶。一つまみの茶菓子
そういうものに我が寺では心を注いでいる。
住職の差し出す抹茶を飲みに来たれ。
心を添えてお出ししましょう(^-^)ノ



我が寺には身体障害者が増えている。
お寺としての需要的には困った事ではあるが
身体障害者優遇措置を強化している。

人それぞれ長い年月の間、大なり小なりの病気・怪我はつき物である。
私も70を越えて老化し出している事を自覚させられている。

春に我が不注意で、たった3段しかない玄関の階段で数を間違い踏み外してしまった。
一段残っているのを忘れていた。
まったく不注意極まりないものだ。

正座が難しくなったが、それでも上手に付き合っていくしかないだろう。
足の寿命は75年。人間の寿命は90年なんて聞いた事があるが、
このアンバランスどう克服していこうものか。

仏教の根本思想『生老病死』、四苦の第一歩。
まだまだと考えさせられている。
与えられた命、大事にして行きたいものである




全国あちこちで花火が打ち上げられている。
浪花の空も昨夜は夜空を焦がしていた。
久しぶりに見に行って来たが、あっという間に消え去る花火。
夜空を焦がす大イベント。
豪華なものであった。

友人の手を引き一緒に参加出来た。
これもまた友情を温められたのか
私にとって大事な人ばかり。
15名ほどで納涼船での鑑賞を美味に食し、
飲めない私も、酒と楽しい雰囲気に心地よい酔いを感じさせて頂いた。

短い時間であったが、有意義な時間を過ごせ
心豊かなものを感じる事が出来た。
夏の夜のひと時。心地よい思いをさせて頂いた。
万物に感謝。

今朝もまた近隣の有志が集まり、
近隣のゴミ拾いに参集してくれている。
みんなで肩寄せ合う素晴らしい光景である。
カンカン照りの太陽も良し。
蝉の声も良し。
さらに額の汗。これもまた良し。



全国あちこちで花火が打ち上げられている。
浪花の空も昨夜は夜空を焦がしていた。
久しぶりに見に行って来たが、あっという間に消え去る花火。
夜空を焦がす大イベント。
豪華なものであった。

友人の手を引き一緒に参加出来た。
これもまた友情を温められたのか
私にとって大事な人ばかり。
15名ほどで納涼船での鑑賞を美味に食し、
飲めない私も、酒と楽しい雰囲気に心地よい酔いを感じさせて頂いた。

短い時間であったが、有意義な時間を過ごせ
心豊かなものを感じる事が出来た。
夏の夜のひと時。心地よい思いをさせて頂いた。
万物に感謝。

今朝もまた近隣の有志が集まり、
近隣のゴミ拾いに参集してくれている。
みんなで肩寄せ合う素晴らしい光景である。
カンカン照りの太陽も良し。
蝉の声も良し。
さらに額の汗。これもまた良し。




全国にはいたるところうまいものがあるものである。
過日、金沢に行ったら海産物の美味い事。美味い事。
久しぶりに魚介類に舌鼓を打った(^^)v

たくさんの人達がこうして旅行に行くのであろうが
水揚げ量から言ったら微々たるものかもしれないが、
それでも山と陳列されている魚介をみると
こんなに人間が食べてしまってよく
無くなってしまわないものだと思ってしまう。

日本人の飽食。
食料品の2割3割を捨ててしまっているらしいが
それらのものに生かされている我々で
あるという事の自覚に乏しいのではないか。




久し振りに金沢の城下町を歩いてみた。

私は京都にご縁が長かったので京の町と比べる事がよくあるが
金沢の町は規模は小さくてもやはり落ち着いた町である。
文化と伝統の中に育まれた町の一隅、一隅を心膨らませて歩いてみた
先人の残された文化遺産を大事に大事に残していきたいものである。

今回の金沢訪問は旧友の病気見舞いであったが
心配していた筋委縮症も少しずつよくなっているようで安心した。

訪問したのはでっかいでっかい病院であったが
びっくりしたのは病院内が閑散として
人がほとんどいないということであった。
彼に聞くと難病患者ばかり集まっている病院ということで
入院患者の9割はもう自宅には帰れない人ばかりときいた、
何かしら複雑な思いであった。

生かされる命、その命の重さを考えさせられた。




今日は活動の一環としている囲碁の会がある。
近隣の囲碁ファンが毎週集まって来ているが
小生、お恥ずかしきかな囲碁段位2段。 ()
囲碁歴は古いのにこれ以上上達はないのか?
自分の事は棚に上げ師匠が悪いからなんて悪態をついているが
勝っても負けても面白いものである。

昔から囲碁敵(いごがたき)という単語があるが
腹が立って 腹が立って仕方がないが
顔を見ないと寂しい。そんな人がいる。

人間関係、良い意味での敵(かたき)はいいが
新聞を賑わすような敵はは困ったものである。
最近は無差別うんぬんの事件もあるが
世の中変な方向に向かってしまっているのか?
せめて、囲碁敵の様なほのぼのとした世界になって欲しいものだ。
ちなみに今日もまた、囲碁敵に会う。
小生の血圧が下がらないのはこの為か。
今後も頑張るぞ!!

 



夏祭りまっさかり。
例にもれず我が家の孫たちも自由奔放に遊んでいる。
ほったらかしにしておくと夜遅くまで起き、朝が遅い。
子供にとって朝寝をするのはそんなに罪悪感と思っていないのである。

朝寝坊は犯罪の第一歩ととらえている住職の
早く寝ろ!! 早く起きろ!!
早く寝ろ!! 早く起きろ!!
子供にとってうるさいジジイであろう。

我が寺では中高年の見合いを奨励している。
このうるさいジジイが世話焼きジジイとして頑張っている。
嫌われてもいい。
我が人生、貫くぞ!!



今朝もまた朝早く起きてしまった。

まだ薄暗い中、庭に出てみると
蝉の抜け殻が目に入る。
一つの命の尊さを感じ、一つの命の息吹を感じる。
一つの命とは色々な物語であり
命の尊きを考えるひと時であった。

そんな中、朝刊に目をやれば
またまた母親の児童遺棄の問題を報じている。
生まれてきた子供の尊厳と
短命にまた心が痛む。

投書コーナーのある相談の中に
「親が死んだとか、子供が死んだとか亡くなったとか」
平然と論じる文があるが私には考えられない。

命を失う、そんな簡単なものだろうか?心に問う。
そんな事、あってもいいのだろうか?



昨日のこころ塾には有名な演歌歌手の
「三門忠司」さんが華を飾ってくれた。
さすが!と思ったのは何気ない語りにも
みんなの眼はそこに集中するオーラが漂っている。
「こころ塾」として40回目を迎えた昨日であったが
毎回何を話していいのか思いつつ話している私。
その差を痛烈に感じると共に尊敬の念を抱いた。

有名な人は不思議な光を放っている。
今度は8月25日発売予定の「雨の波止場」を発売するらしい。

昨日は「浪花川」ほか6曲を披露し
アンコールも大拍手の中、
天性とも思える息のむ歌声もまた、美しいものだった。
彼としても今後もまた、期待をしたいものである。



今月また、こころ塾の開催の日となった。
毎回小一時間しゃべる中に
聴衆の方たちは、何か感じとって下さってくれるのであろうか。
毎回書かして頂いているこのコラムも
自分の思いつき、それだけの事である。
その中で何かその言葉から出発点にしてくれればと心から思う。

今日でこころ塾も40回を迎えるが、早いものである。
毎回皆さんの顔を見るのが楽しみでもある半面、
苦しみでもある。
されど聴衆の方々を拝顔するのも
これまた極まりない悦びでもある。
この小欄もサボれば御批判の電話もかかってくる。
続けることの難しさ、
これを克服したいと思っている。



今朝はめちゃくちゃ早く起こされた。
早朝のほほを撫でる風は とても涼しかった。
階段にねっころがりしばし犬と戯れていると
連日の灼熱地獄。垣間忘れ ほんとに涼しかった。(^-^)

暑うて暑うてたまらないからこそ
しばしの涼風も極楽の影に感じるのであろう。
私のように周り絶えず灰色人生であるからこそ
たまにする美しい行動がよく光るのであろう。
「水すめど魚住まず」綺麗ばかりが脳じゃない。

泥水の中にも人生あり。
穢れた人生にも光明あり。
みんなみんな、素晴らしい人生。
与えられた今日、大事に大事にされたし。




今年最高温度が出たらしい。
こんなに暑いと 毎日が最高温度。
こんな中、アスファルトの上では  地獄そのもの
隣では工場解体が始まり
ガードマンさんも太陽に照らされ
たまったもんじゃないだろう。( -_-;A)

お父さんは、こんな暑い中、
頑張っていると言うよりも
耐えに耐えているのであろう。
こんなお父さん。
帰ってきたらお疲れ様の一言が
どんなにか救いになるのであろうか。
今夜は思い切ってお父さんにひと事声を掛けてあげよう。(^ー^)
これは、ひょっとしたら
私に対する 切なる願いなのかもしれないね! (////)



昨日夕方に近隣の人たちが集まり
食用油・廃油を回収した。
油でローソク作りをやってみたが
たくさんの人たちがワイワイガヤガヤ
たくさんのローソクを作ったが
目的は廃油のローソクで8/16万燈会をする予定である。

炎にゆれる灯篭はきっと霊験の世界をかもし出してくれると同時に
子供たちにとってこの万燈会は
どんな思い出になるのであろう…楽しみである。

ちなみに夕方、祭りの神輿担ぎに参加させてもらったが
庶民の祭りとして勢い良く勇壮に祭られるお神輿は
これまた楽しい世界だった。

やんちゃな住職。
こんな庶民の世界…大好きだ。



我が家の猫が昨夜逃亡した
猫を探しに近所をウロウロ・・・
そこで気付いたのだが、野良猫の多い事多い事。
犬や猫を捨てる輩に憤りを感じている。

野良は毎日飢えている。
餌さえあれば自由奔放でいいのだが、
捨てる奴は誰かが餌をやってくれるだろう、なんて思っているのであろう。
見て見ぬふりを出来る奴はいいが
それが出来ない者の優しさを利用する
その心には…頭にきてしまう私。

こんな私も我が家の猫を探したり、
野良の中でもなついてくる猫には内面夜叉な私でも撫でてしまう
半面、なついてこない猫にはこの野郎!と思ってしまう私。

人間二面性を持っているもの
悲しいかなこれが私のありのままの姿、
いやらしいね。



昨夜は堺支坊での久しぶりの当直、
泊まってみて驚いた。
夜中の電話のなる事甚だしい。
営業は朝は8時から夕方は5時まで
御用の人は、後ほどお電話下さい、なんて 考えられない。

一本の電話がかかるにはそれなりの
色んな物語があってかかってくる。
そんな思いの中、私はいつでも
ツーコールまでに電話を取るようにしている。

電話の向こうでの語りの中には色んな思いがあり
色んな出来事があっての電話であろう。
たとえ夜中でも否、夜中であるからこそ 切実な案内があるのである。
その思いに少しでも耳を傾けられたのなら  幸せである。



朝は倫理法人会の会合に参加させてもらったが
実のある話を聞かせていただいた。
ホームレスの方たちへの炊き出しや
寝袋張り込みに尽力頂いている体験談を拝聴させて頂いたが
力強い話を聞くことにより私のように
軟弱な精神の持ち主には 余りある話だった。

人の不幸は蜜の味なんて言葉があるが
努力の嫌いな住職。
額に汗をするなんて なかなか出来ない住職。
私なんて到底ついていけないであろう。

でもそれをやっている方々が現実にいる。
しかもそれを 天から与えられた仕事とし
真念をもってさせて頂いているという、
心を大事にし世の中に対する
義憤だと称して自信をもってやっている姿に感銘を受けた。
少しでも私もそれに近付きたいものである。



挨拶に始まり挨拶で終わる。
掃除に始まり掃除に終わる。
挨拶と掃除は基本中の基本だと思っている。

お寺においての尼崎本坊22年を過ぎ
堺支坊は12年が過ぎ
大阪本坊は4年半が過ぎたが
西栄寺の理念として
聞法の道場は埃一つあっても許されないと思っている。

年月がたち、古くなっていくのは良いとして
その中に侘びとさびの世界をかもして見たいと思っている
毎週日曜日8時半から「ゴミ拾らい隊」が頑張ってくれているが
それもこの理念の一つである。

朝寝朝だけが大好きな住職。
掃除が大嫌いな住職。
この心の葛藤。
艱難辛苦である。

修行の足りた住職になれば
こんな事は当たり前だが
あぁ、悲しいかな 住職も人間。
人あらばこそ。




目下、お寺ではメダカにこっている。
十匹頂いたメダカをなんとか増やしたいと思っているが
水槽の中では生と死が繰り広げられている。
大きいものは小さいものを追い回し
知らぬ間に数が減っている。

こんな小さな世界なのだが
仏様の世界から見る私たちの世界も
こんな世界であろう。
若かりし頃、
小泉八雲 『蜘蛛の糸』を読んだ時
私の心はまさに驚愕であったのを思い出す。
まもなく お盆の季となるが
いつもこの季節になると如実に思い出す。

あせくせ生活している私たちも
こんなメダカの世界を見て考えさせられる、今朝であった。


さぁ、真夏まっしぐらか
さんさんと照りつける太陽。
空は真っ青。

今朝もボランティアの方たちが集まり
それぞれハッピをまとい
地域の清掃活動に繰り出して行ってくれた。
女性は異口同音にして
お肌の心配をしている。
老いも若きもと 言いたいとこだが、
集まって来てくださるのは老いばかり。

でも 終わった後、一同にして
お茶を飲みながら語り合える
雰囲気がみんな生き生きとしている。
ゴミを拾うのも素晴らしい事であるが
この、終わってからのワイワイガヤガヤ高らかに笑い語り
これが一番いいのであろう。

住職は
あまり熱心ではないが、
逆にみんなから背中を押されている。
仕方なくゴミを拾っている様子。
でも語りの場になると
俄然、元気が出ているようだ。
偽善者の固まりか。


荒れ狂った雷様の入道雲もどこへやら
今朝はぽっかりうかんだ綿のように白い雲が一つ浮かんでいる。
今朝もみんなで仏の前に額づく。
広い本堂に流れてくる朗々とした読経の音色
外では蝉が鳴き出している。

自然とはありがたいもの。
流れゆく時の中に皆それぞれ生活という
大仕事をしながら時は流れる。

子供達は夏休みがはじまったか
彼達にも宿題という難問題があるであろう。
人それぞれ、悩みはあるのであろうが
打ち勝って行きたいものである。


朝5時半より経営者セミナーにて
小1時間ではあるが話す機会を与えて下さった。

摂津方面の錚々たるメンバーのみならず京阪神各地から参集され
その立場にて教養を高めていこうという集団。
私ごときの話を聞いてくださるのであるがうら恥ずかしい思いであった。

会社が始まる前に意気を高め、朝食を摂りその足で出社。
こんな会社の経営者であるからこそ
この厳しい世相を乗り越えてきているのであろう。
まさに流石!の一言
きっとこんな会社は社員一丸となって頑張っているのであろう。


一緒にいる孫は中学になりハンドボールをやり出している。
朝錬と称し、近所の友達と三人で早朝よりボール突きまくっている。
うるさい事極まりないが反面、よくまぁ毎朝休みもなく
三人ともよく来れるものだ。
その為に、終わればそのまま学校に居る為、親の弁当作りは大変だろうと推察する。

小生も50年余り前はそれこそ勉強もせず剣道に明け暮れていた。
思えば、母も早朝より弁当二つ作り持たせてくれた事を思い出す。
まさに 順おくり。
孫も同じように私の様に従順で優しく人に接し、
人の面倒をよく見ていける人になるのか?
なんて思うが私はやんちゃの代名詞、大変な事だろう。

人に迷惑をかけない人間になってくれればと
願うのみである。

 


参議院選挙も終わったようですが小生、政治の事は解りません。
体制は誰がなったってという、諦めムードがあるのではないのでしょうか?
もっともっと我々国民が政治に興味を示さないといけないでしょうが、
なにかしら、お上の言う事には 逆らわない方がいいという国民性、
おおらかな日本人の良い面でもありましょうが
お上に任せておけば 安心、なんて…
出来るならば、そういうおおらかな世界を作りあげたいものである。
どんな世界も己が牛耳ろうとする、卑しい世界。

昨夜から嵐があれくるっていたようではあるが、
人は自然にはなすすべもなく
通りすぎるのを忘れるのみではありましょうが
じっと耐えるそんな世界に光明を見だし
明日を信じる、そんな世界が来てもいいのではないのでしょうか?

“先生、初心を忘れる事なく
奢る事なかれ。
国民の為に粉骨砕身精進されたし”


昨夜は第1回ゆめ舞台と銘うって華々しく開催した。
お笑い芸人3組、歌手2組、
ゲストとしてケイトさんが出演して下さったが
それぞれが立派な芸をみせ会場はおおいに盛り上がった。

また特別出演として榎本僧括と上田主任の板割りや瓦割りの空手道
および住職の居合道の竹切り、それぞれが立派なものであった。

レインボーミュージックの叶ともみ氏の主催によるこのイベントは
新しい芸人の発掘を目指したもので大いに沸いた。
おねだり豊さんが優勝したが、
他には尾崎未来さん、みよっさん、加瀬だいすけさん、松尾俊明さんの出演を見た。
今後彼達の活躍を期待したいものである。

各関係者にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。


毎年この時期になると
小生もこぼんちゃんなんて言われていた頃を思い出し
ホタルを見に行きたいなと思いつつ時間が経っている。
ホタルを見なくなって何年経つであろう
おそらく30年は見ていないだろう。

幻想的な光の中に私は母を想う。
母が旅立った朝、窓辺に何故かスズメが騒いでいた
スズメと母、そしてホタルの光を
心の中に交錯しながら母を想う時目頭が熱くなる。

母とはいつになってもその心の深さを感ずるものであろう。
仏の教えをよく母の愛に例えるが
不可思議な世界がその意味を考えさせられる。
高齢になり働けなくなった母も
私なんか早くお迎えに来て欲しいなんて聞くこともあるが
言語道断、あなたには後ろにいる子や孫がそっとみている
ただあなたがいるだけできっときっと心の支えになっているはず。

我が母も最後は赤ちゃんのようだった
そんな母も私にとっては大事な大事な母だった。
諸氏よたまには母を思い出せ、
父の日だけが父の日ではない
母の日だけが母の日ではない
親の健在な諸氏よ、今日あたり一本の電話を入れてみよ
残念ながらすでに他界してるならば心に灯をともせ。

 


今日日曜日、街は静まり
梅雨には珍しく陽が燦々とと照るものの
涼しい風が頬をなでる。
昼にはまた蒸し暑くなるのか?

昨夜振った雨も木々には優しく
大地には大きな恵となるのであろう。
与えられた諸々の全てを有難く拝受し
明日への元気の源に感謝。

とかくすると自分中心になりがちであるが
他の人有りての私、心したいものである。
まさしく詭弁の代名詞か。


仕事で滋賀県まで行く機会ができた。
久々の琵琶湖、田園には早苗が風に揺れ、
田の水はさざ波打ちのどかな風景に接しなごむ事ができた。
年と共に折に触れ、時に触れ、野に咲く一輪の花に目がいき
心豊かな人生を送りたいものである。

私にとって車窓を流れる琵琶湖湖畔
比叡山の峰々、そしてまた東山連峰も
若かりし頃僧侶を目指した若き血潮を思い起こさせる
お世話になった恩師の方々は既に還浄土されておられるが
先生達の心は永遠に受け継がれていくであろう。

真実は時として変わることがあっても
真理は変わることは無い
釋尊から受け継がれた真理は延々として
今日までそしてまた将来に至っても変わることはないだろう
この生かされた命大事に大事に生きて行きたいものだ。


我が寺の前にでっかいマンションがある。
それなりの業者さんが時々配達にみえるが
それを狙い撃ちするが如く緑のおじさんが二人連れでやってくる。

駐車違反が許されない事は百も承知、
順法精神は当然の事であるがその駐車違反に一言申したい。

当寺は駐車スペースがあるのでこちらに入れるよう申し上げておるが
悪質な駐車違反は当然取り締まるべきであろう
しかし有無を言わさず違反切符を張り付けて行く。
過日は宅配便のおじさんが張られていた
私は納得いかない。
お上に対する忠誠心も、
警察行政に協力しようという精神も吹っ飛んでしまう。

日本には「労わる」という素晴らしい言葉がある
いまだに遠山の金さんが人気のあるのは
人間性をみた武士の裁きがうけているからであろう。
緑のおじさん達も仕事とはいえ
秘めたる男の情けという精神が養われてもいいはず
取り締まりにルールや四角四面な事も必要であるが
使いこなした三角定規も角がとれてくるもの。

暑い中取り締まっている姿を見てご苦労さん!と言う前に
メラメラと燃え上がるこの怒りは私だけか?


昨日は大変な雨だった、四国では大豪雨ときく。
気象学は全くの音痴であるが、
何故あんなに一部分の所に集中的に降るのであろう?

地球上にとって水があるからこそ地球の繁栄をみているが
その調整も人間が手を加えることは出来ない。
環境は人為的に成す事などできないが
されどここ西淀川において人間のおごりが土壌汚染となり
ちっぽけな井戸掘りに至ってはまともな水が出ない
全てに畏敬の念を忘れた時、天罰として天変地異が起こるのか
異常気象も人間のおごりが天罰として下されるのであろうか

もっともっと地球を愛し、
力与えられたものを頂きそっと地に返す
そんな基本的な事を我々は忘れているのであろうか
天の恵、その恵という言葉を深く考えて欲しい。


地域活動の一環でやっている行事で
当地区では「サザンカ寄席」というのを開催している。

落語を聴いたのは何年振りだろう
狭い場所に5、60人さすがプロ、
他愛のない話を表現豊かに話をするあの話術、さすが落語家。
間近で拝聴するお話であるが
面白いというだけでなく聞かせるという巧みさ、
小生も毎月「こころ塾」を開催し、
たまには出向いて講演をしている私であるが心から感心した。

ひと時の間であったが心豊かに癒される夕べ
本当に、本当に楽しいひと時であった。
来てよかった!また来よう!
そう思ったのは私だけであろうか。


各地域には色々な人が色んな活動をしている。

大きくは世界に羽ばたき、世界の片隅で地道に活動している人
近隣に於いてはそっと手を差し伸べる人
どのような形にしろ自分の心の余裕を分け与え
ほのぼのとした温かみを醸し出している方々
又は地域活動の一環に落語会を催している人達もいる。

私としては、自分にできる事は何でもやっていきたいと思っている。
地道な活動は野に咲く一輪の様に
たとえちっぽけな花でもいい、咲かしたいものである。

今日の夕方その落語会に顔を出して
心に微笑みを持ちたいと思っている。
ハハハ、ウフフ、エヘヘ・・・


今日も朝から色んな人が来て下さる。

2、3人の人にお抹茶の接待をさせていただいているが
三々五々集まりだし5人10人となってくるとそれもできなくなってくる。
後から来た人は今度はよばれるのは当たり前のごとく
「私飲んでへんで」という仕末。
こうなるともう、お抹茶を差し上げるという精神は何処へやら、
させていただくという優しい心も何処へやら。

やんちゃな住職(そんなもん知るか)っていう感じ。
まさに内面夜叉の如し、ごめんなさい。


エコ寺院を目指し
屋根には大々的に太陽発電
雨水を貯める為でっかいタンク
井戸を掘り、池を掘って本堂の雨を貯め
はてはバイクの急発進、急停車、信号にはエンジンを切り
植木や散水は水道水を使わずできることは何でもしている。
自然現象からみればゼロに等しい戦いだろうが
職員31名一丸となってやっているつもり。

されど今朝も境内を歩いてみれば
井戸水は飲めるどころか薄茶色の水
半年たった池も何故かしら金魚が育たず
今朝も2匹お浄土に還っていった。
土壌は汚染され人間が今まで汚していったしっぺ返し
地下水なんて腐りきった人間の証しであろう
この汚れた土を元に戻すには計りしれない努力が必要だろう。

住職とて70才間近
汚れまくったこの身体はとっくに折り返しを過ぎた私、
清浄な元の身体なんて戻らないであろう。
昨日も誰かが歌っていた「死ぬまで騙して・・・」なんてごめんなさい。


窓からはそよ風が入ってきている。
国旗と仏旗がはためき曇天であるというものの
梅雨空を忘れさせる心地よい朝を向かえている。

これからは夏に向かって爆進中。
小生、少々夏には弱いが夏といえば活動的なイメージ
西栄寺の前向きな姿勢何事においても前進あるのみ。

お父さんの世界も、お母さんの世界も、前を見て突き進んでもらいたいもの
昨日の嫌なことは捨て置き明日の希望を持とう。
前向き!前向き!


梅雨入りかと思いきや大雨の後小休止、
お百姓さんはこの時とばかり田植えにいそしんでいる。
郊外に出ればそよ風の吹く田園がさざ波打つ光景は
一服の絵をみるようである。

いよいよ今日から梅雨が始まるのか、蒸し暑い朝となり
道行くサラリーマンが汗ばむ中上着を片手に急いでいる。
お父さん今日も頑張って行こうね
蒸し暑くなる一日、体をいたわりながらも頑張って頂きたい。

お母さん、あなたのために
今日も頑張っているお父さんに
微笑みを浮かべながら「おかえり」を言って頂きたい。

ひょっとしたらこれは私の願望なのかもしれないね(^^)


昨日は久々の雨、
近隣の方が雨の中ずぶぬれになりながらも
池の大掃除をしてくれた。
おかげで帰ってきたら池の水はすっかり綺麗になり
蓮の花が可憐に咲いている。

これまたメダカをもってきて下さった方があり
10匹のメダカが卵を生み
ぼうふらのようにちっちゃなちっちゃな命が無数に泳いでいる。
ちっちゃなメダカをみていると命の尊さを感じる。

これからまた梅雨の時期か
遅ればせながらとはいえ尊い雨を待っている人も多くあろう
まさに「慈雨」命の根源大切にしたいものだ。


不覚にも一昨日、ブログに記した生老病死の生が
変換間違いで膓の字が出ていた
恐ろしい事である。
仏教根本の四苦が覆されるような大問題、
パソコンの恐ろしさを知る。

そんなことからお釈迦様は四苦の根本精神を教えて下さったが
ふと逆のことも考えてみた。生かされていることの喜び、老いて大成を知る喜び、
病になることによって元気であることの喜び、死して仏さまになれる喜び、
そんな事も考えてみたが
それもこれもすべて自分の計らいの中のちっぽけなことか。
根性のひねくりかえった私、どこまでも永遠の課題であろう。

昨夜、高校時代の無二の親友より電話をいただいた。
こんなちっぽけなコラムも見て下さっているときく、
悠々自適の生活を送っている彼、
学生時代より悪たれ坊主の私が能書きたらたら
心ある諸師からみればちゃんちゃらおかしい事であろう。
されどいつも心を大事にしているつもり、
半端坊主やくざ坊主等々ご批判も色々あろうが
これからも思うまま反逆児といわれても
己に恥じない坊主でありたいと思っている。

世の中の嫌われ者よ暇人よ楽しく人生生きようぜ!そんな仲間達ご参集あれ。


若いと自負していた己であるが
玄関のたった3段の階段を踏み外し不覚にも膝を強打した。
己の自然治癒を信じ2ケ月余、とうとう病院の門をたたいた。

どうやらよく聞く半月板損傷らしい、
老人の仲間入りをしたと自覚、現実はひしひしと押し寄せてきているのか?

彼の世界は恋しいと思わぬ不届き者
親鸞聖人の「嘆異抄」に「恋しがらず」と述べられているが
現実の世界がやはり苦の世界なのであろう。
いやがおうでも生老病死の四苦は仏教根本の教え、
逃れることはできない。

これからいよいよ彼の世界に真っしぐらか?
いつかはやってくるであろうその時まで
今のように元気で、周りの者に迷惑をかけながらも怒鳴りちらし、
いよいよダメなればその時はサッと逝きたい。
なれど、それなればその時がゆっくり来て欲しい。

ピンピンコロリ、そんな事あんな事勝手気ままな思いを馳せながら
病院の待合室にいる私、何だかまな板の鯉か。


昨日は空も抜けるような青空のもと
初めての企画であるが、バス一台を仕立てて
丹波篠山のたぶち農園のご協力により田植え体験をさせてもらった。
植えているというよりも遊んでいるという感じ、
それでも大人も子供も泥んこになり楽しいひと時であった。

炎天下、畔道に座り頬ばったおにぎりは本当に旨い握り飯で、
そこで食べたおにぎりは素朴な食事だが
豪華レストランで食べる食事より本当に美味しいの言葉に尽きる。
参加した皆はお米の貴重さ感じ取ったことであろう。

百姓とは百軒の姓のついた家族を養えるから百姓というと聞いているが
本当に我々はそのご苦労を感じているか?
炎天下短い1日であったが
米の大切さやお百姓さんのご苦労を垣間見たような気がした。
こんな事を考えた時、米の価格はいかに安いかを痛感する。
ごはん1粒1粒にお百姓さんのご苦労が光っている。


窓の外を見ると今朝はひと際緑が目に沁み
爽やかな風に揺れ動く葉音が胸に心地よく感じる。

当寺にも若者が二人新風を寺の中に取り込んでくれている
今朝の勤行はそんな息吹が感じられた。
今日もまた膝小僧のでたGパン姿であったが
住職として寄せる期待は大きい。

年老いた私にはどれだけ彼達を理解してやれるのか心配
彼達の人間性、技量など引き出してやりたいものである
そして僧侶として人間形成ができればこんな素晴らしい仕事はない
人の心を理解できる僧侶になってくれたらと切望している。

 


各企業とも新入社員の張り切っている姿、
きっときっと社内に新風を入れ
本人達は希望に向かって真っしぐらだろうか。

遅ればせながら我が寺にも2名の僧侶の卵が入ってきた。
それなりの社会経験がある彼達であるが、
朝のお勤めにまずは足がガクガク
膝小僧のでたGパンを履き、ジャンバーをひっかけ頭はぼうぼう。
我が寺には職員は31名の職員構成になっているが
皆それぞれ門を叩いてきた時は
彼達のように風体の知れない若者であったが
育つということは偉大なものである。

2名の卵も先輩のように早くなじみ
お坊さんとして育っていって欲しいものである。
50年前、私はやんちゃな子僧であったことを振り返っている。

 


今月もまた「こころ塾」開催を終えた。

およそ90名程が参加して下さった。
今月は特に、レインボーミュージックの叶先生が
ピアノ伴奏を受け持って下さることになり
何より一段と音楽部門が強化され質の高いものになってきている。

また花柳龍幾次社中による日本舞踊の披露では
華々しい雰囲気に包まれ
住職の「こころ塾」講演のお粗末さをカバーして下さり
参加の皆さんは大変喜んでくれたように思う。

句会あり、茶会あり、たべりの会あり、楽しい一日だったと思う。
部屋の片隅に閉じこもらず淋しいものみんな来たれ!
また来月はきっときっと楽しい1日になるだろう
ぼやきあり、涙あり、笑いあり、そんな語り期待あれ。


孫が修学旅行に行くのに昨夜より興奮している。
楽しみの一つであろうが残念な事に久々の大雨
この分でいくと3日間どしゃ降りの旅行になるだろう。
本人にとっては人生にとっての思い出の1ページになるだろう。

みんなにとっても思い出の1ページの積み重ね
人それぞれ何ページの人生を送るのやら
最終章に立って振り返った時
真っ白の人生なんてありえないが
少しでも世の中に貢献できた最終章でありたい。

元気だと自負している私、
玄関のたった3段の階段を踏み外し膝を強打した
こけるなんてあり得なかった私だが最終章に入ったのか…
元気な爺さんも老境に入ったかと自覚した今朝である。

されど、やったるで!爺さんは今朝も負けん気でがんばってるで。


我が寺は現在29名の世帯になっているが
その顔ぶれたるや住職はじめ多彩な経験の持ち主ばかりである。
それぞれの能力を生かし、その能力を最大限に伸ばし
寺のために生かしていくというのが一番大事であろう。

中小企業の経営者の方達とお会いする機会も多々あるが
皆それぞれに肌で感じるのは
人は石垣、人は力という熱い思いを感じとれる。
私自身、果たしてどれだけの力があるのかわからないが
私の力とて微々たるもの、
皆それぞれ持っている力を発揮してくれるからこそ
今日の西栄寺があると思っている。

目下、横の机では納骨堂完成に伴い
職員の一人が募集パンフレット作製の為グラフィックデザインをしている。
私はこんな能力は全く持ち合わせていない、
やはり専門職とは凄いものだ。

色々な職種を大成してきたツワモノの集まり西栄寺、
どちらに向かっていくのか皆の力を借りて前進していきたいものである。


我が寺には昔から動物愛護の精神があるのか
犬猫が絶えた事がない。
目下猫は病気の猫を九州からわざわざ連れてきた。
迷惑千万と怒りまくっていた住職であるが飼っていればやはり可愛いもの。

それにしても仔犬や仔猫を捨てる輩が後を絶たない
なぜ飼うなら最後までみてやらないのか?
捨てなければならないのであればなぜ避妊手術してやらないのか?
飼い主の無責任さに憤りをかんじる。

近くの公園には目にふれるだけで5、6匹の野良猫が住みついている
痩せこけ哀れな姿、きっと毎日が空腹の連続であろう
捨てた飼い主にその姿をみせてやりたい。

世の中腹立つ事ばかり
住職の怒りもするものなすものみな全て腹立つ事ばかり
世の中変になっていくのを感じているのは
きっと私一人だけではないだろう。


半年振りに我が愛車、鉄馬(ハーレー)にまたがり、
夜の街を西の彼方まで走ってきた。
夕方から走ったので西の彼方が真っ赤に染まり
夕焼けに向かってまっしぐら!
本当に本当に綺麗な夕焼けだった。

刻々と変わる夕景色、時間と共に街のイルミネーション、
行き交うヘッドライト、こんな光景は久々の体験で
贅沢にもただ風を感じる爽快感であるが
ライダーだけが味わえる幸福感である。

人それぞれ色んな楽しみ方があるが
どんな小さな事でもたしなみ
幸せ感を味わってもらいたいものである。
小生は趣味多く時間が足りないが
人生を楽しく前向きに生きていきたいものである。

 

 


今朝もうすら寒い。

昨夜のテレビ報道によればお百姓さんが大変らしい、
野菜の生育が悪いそうだ。
これまた暖かくなればいっぺんに生育するのであろうが
これはこれなりに出来すぎて困るのか?
一般社会での仕事においても
まんべんなく仕事があればと思っている諸兄も多いことだろう。

窓の外には咲き誇っていたツツジも花弁の絨が敷きつめられ
真っ赤なシャクナゲは豪華に風に揺れている。

我々知らぬところでそれぞれお父さんは悩み
ぐっと堪えて頑張っている。
諸兄、あなたの背中をじっとみている家族がいる
お父さん御苦労さまです。


庭には次々と花が咲き誇っている。

今はシャクナゲが豊満に咲き、
石庭の角にはセッコクが忘れ去られたように可憐な花をつけている。

豊満に咲く花も人知れず咲く花も、花には変わりなけれど
一生懸命咲いているツツジの花は盛りを過ぎ
花弁が絨毯のように敷きしめられ
見れば人間の栄華盛衰を物語っているようである。

人としてどんな咲き方がいいのか判らないが
与えられた命、力いっぱい咲き終えたいのものである。

ちなみに我が寺にも寺務員という花が一輪さいている?!


昨日斎場に行く機会があった。
だだっ広い斎場にはいくつの釜があるのか数えたことはないが
その釜の前で毎日涙ながらの別れを惜しむ人が多々おられる事であろう。
残念なことにその炉前でテープを回してお経をあげている姿を見たが
私にとって飛びあがるほどビックリした。

お寺の相談コーナーに「焼いてもらうんなんぼ?」と言った質問があったり
「直葬」という美名のもとにまさに焼却処分的な考えを持った
不届きな感覚は私には理解できない。
一体この人達はどんな躾をされ、どんな教育を受けてきたのであろうか?

IT社会といわれている世界の究極
とどまるところは人としての心だと思う。
その見えない高貴な世界は一体どこに行ってしまったのであろう。
合理主義も結構だが
私達のこの不合理な世界は素晴らしい光輝く世界があるはず
それは…「心」である。



今朝も近隣の老若男女が三々五々集まり
地域のゴミ拾いに楽しそうに歓談しながら出て行った。
毎週毎週の事であるが
よくまあ拾うゴミがあるものだ
私として一番目立つのは煙草の吸殻である。

新聞紙上ではまた値上げされるらしい、
財源確保のためにやっているのであろうが
いっその事煙草一本1万円位にしたらいいんではないか?
あまりにも短絡すぎるが心の問題どこまでいっても
この言葉に尽きるのではないか。

煙草のポイ捨て、ペットボトル空き缶のポイ捨て、
人間の荒廃の象徴であろう。



昨日心斎橋筋に行く機会があったが
やはり浪花の中心地、人がごった返している。
大丸の心斎橋筋側に母の日の為か
延々と沢山の花が並んでいた。

その花を見て母への思いを一鉢の花に託して贈るのであろうが
母への思いとはこんなものだろうか?
思いを形に表しせめてものという思いで贈るのは素晴らしい行為、
されど介護センターにお世話になっている、
また入院を余儀なくされている親もあろう。
一番大事なのは母の目を見ながら一言話しをする
それを忘れてはいないか?

こんな仕事をしていると残念ながら亡くなった方を目にすることが多いが
相談のベルが鳴り「焼くのになんぼかかるんですか?」
という生々しい言葉を聞いた時憤りを感じるのは私だけであろうか。

明日は母の日、
たまの時間を一時でも割いて母の目を見に、
またしわくちゃになっているであろう母の手を握りに行き、
残念ながら既に他界しているならば仏の前に額づき母に詫びよ!



この二日程夏がきたという感じ
北海道に桜前線が到達と思いきや
沖縄では水しぶきを上げ歓声を上げる子供達、
今日から沖縄は梅雨入りと聞く改めて日本列島の長さに驚嘆、
つくづく日本人として四季の移ろいを楽しませてくれる有難さを実感。

若き頃から俳句という文化をちらっとみせていただき
日本の伝統文化である芸術の世界
本当に有難いことである。

何でもやってみてやろうというやんちゃな私は
年度末に日本舞踊を1曲舞う機会を得たが
これとて日本人としての楽しい思いをさせていただいた。

先輩諸氏よ何でもアタックして前向きに生きていこう
若者は冷ややかな目で見るかもしれないが
どこかで驚愕してるはず…ただ単なるやんちゃなだけか(^v^)



有名な野崎観音にご縁がありお参りさせていただいたが
狭い参道には出店が連なり門前町の賑わいを見せていた。

久し振りにみる光景であるが
出ている商品は現代的なものとはいえ
輪投げあり、スマートボールあり、リンゴ飴あり
私にとっては幼き頃の想い出に浸っていた。

久し振りに冷やしあめを飲み、
いい雰囲気だった茶店では一服のお抹茶をいただき
本堂前の広場では奉納舞踊が催され
大勢の人出で賑わいの中に、
私にとって良き想い出となる一日になった。

当お寺においても色々活動をしているが
少しでも地域の人に受け入れられる寺でありたいと願っている。



四月の住職の一言コーナーはあまり更新が多くなかったので
今月は心新たに皆勤を目指そうと思った五月であるが
今朝、事務員に今日はどうしますか?といわれて気づく有様。

新入社員も張り切っている昨今
きっときっと奮起している事であろう。
初心に帰るとよく言われるが
私の意表明はあてにならないものだ。

亡父からけたたましく怒鳴られ、張り飛ばされきた私
怒られた言葉に「もうしません」と言って謝った刹那をもう忘れている。

こんな私も70年過ぎてきた
今日少しは成長しているのであろうか?悲しいかな。



連休真っ只中
窓の外にはツツジが満開、華やかな世界を呈している。
されどこの連休も頑張っているお父さん御苦労さまです
それにつれてお母さんも朝早くから頑張っているのでしょうか。

今朝はまた6時半からのセミナーに参加させてもらえた
40数社の社長さん方が集い
精神的に生き残れる前向きな姿勢に感銘を受けた。
中小企業の社長さん方も如何に皆の幸せを叶えるのか模索している
その中に「にもかかわらず笑う」という素晴らしいことばを耳にした。
笑いとは素晴らしい単語
あなたの笑顔は周りの人皆が笑顔になれるんですね
なかなか笑える人生難しいかもしれないがとにかく笑ってみよう。

そうすればかならず相手も笑ってくれるはず、
私なんて生まれてこのかた70年笑われっぱなしの人生だ
ちょっと意味がちがうかな?



目下、九州逗留中。

新緑も目に眩く、
私にとって玄海の荒波は若き頃の血潮を湧きたたせる。
紺碧の青、新緑の緑、真っ青な空、
何をか言わざらんや。

帰阪すればまた新しく頑張れるか
青年時代の蓄積してきた漲る血潮を
奮い立たせてくれている。

 



池は出来上がったが三度目の水の入れ替え
今夜は又雨が降るというので水を抜いたが
排水溝に子供が小石をほりこみ上手くいかない。

我がお寺はどなたにも開放という事でやっているものの
いたずらっ子のイタズラで怒りもするが、こんな事あんな事あってのお寺
障子を破ったり、剥がしたり、
きっといたずらっ子も社会人となり遠く出て行った時、
住職に怒られたそんな事もあって良かったと感じてもらえればいいと思っている。
私自身も子供のころ田舎で育った思い出を懐かしんでいる。

今我が寺では地域社会になじむため
無料法律相談から子供空手教室まで多彩な活動をしているが
それらの基本はこの寺になじんで欲しいためである。

老若男女、暇人よきたれ!悩めるもの奮い立て!
明日は必ず朝日が輝くあなたの為に。



本堂の扉を開けると、
今盛なりと、次々と牡丹が咲き誇っている。
今朝は、黄色の牡丹が気品高く笑っていた。
高貴な空気が、みなぎっている。
まさに、花の王者。
周りの景色に一段と重みを感じさせる。
池の水のたたずまい、
早朝の、凛と引き締まった空間に、何かしら身が引きしまる思いである。
私は、一番好きな空間は、この回廊から見渡す景色である。
回廊にしばしたたずむ、このひと時が一番好きである。
下手な句をひねったり、友と語ったり。また時として、碁仇きと白熱の戦いを挑んだり、
また、まどろんだり、そんな世界を夢見ている。
ゆっったりとした、時間を楽しめる、そんな時を持ちたいものである。

いつか・・

近いうちにか・・

引退なんて事も考えないといけない時期か・・



一日何本の電話をとるであろう、
昨夜は思いがけぬ旧友S氏から電話があった。

丸刈りの頭に新調の学生服に身をつつんだ高校1年生
今でも覚えている5月の連休に新しくできたその友達の家に遊びにいった53年前の話。
その友達と大和川に入り水の冷たかった感覚が思い起こされる
お互い髪は白くなり少なくなった髪の毛を気にするような歳になった今も
たった1本の電話によって心躍る思い。

こんな純粋に付き合ってこれる友人も貴重な存在
お互い利害関係もなく積年してきた今日
なかなか人との付き合いの中に難しい人間関係
ずっとずっとなんのわだかまりもなく純粋に付き合っていける友達が
一人でも残されているという事実が嬉しくてならない。
お互い進む道は異なるので会える機会は少ないが
はたして私の身の周りの人間関係で
S氏のように付き合っていける人は一体何人いるんであろう

人の心は見えないが夜風と一緒で肌で感じるもの
そんなごまかしの人生をあゆんでいる我々
恥という言葉をもう一度考えたいものである。




今朝もまた倫理研究会という会合にご縁をいただいた。
中小企業のリーダー45社の方達とお目にかかれたが
さすが浪花のリーダーの人達はオーラを感じ光輝いている。
そんな中に語り合える幸せをみつけている。

昼前帰宅すればまたまた今度はNHKからの取材、
優しい言葉のなかに地域に何ができるのか
若者の熱意をあつく感じるとともに
昨日70にして初めてのピアノレッスン
負けちゃおれんとばい!乞うご期待。
半年後にショパンの1曲でも弾いてやろうか、思いは馳せれど・・・
見たり聞いたり何でもやってみたい住職どこまでいくのか
今日も帰ってきたら孫が前の駐車場でスケボーにのっているのを見て孫に貸せ!の一声、
無論乗れたもんじゃない。
せめてもの救いはひっくり返る前に来客
住職が怪我をしなかったのは来客のおかげか?
ピアノを始めたがスケボーは絶対無理であろう。



目が覚めれば大雨が叩きつけている
晴れがあり曇りがあり移ろう風情を楽しませてくれる。

窓から見える景色は花々が心癒し
菜の花は黄色の花を揺らし、赤き真っ赤なボタンは盛りをすぎたが
ピンクの薔薇が今盛んなりと咲き誇り、ツツジはこれかのために花の芽をだしている。

我々四季の中に恵まれた世界に生まれさせていただいている
晴れもよし曇りもよし雨これまたよし、
お父さんお母さん毎日御苦労さんです。



久しぶりに空は真っ青!すがすがしい朝である。

本堂の回廊から庭を見れば真っ赤なボタンが咲き誇っている
花の王者我がお寺の奥様方もボタンのようにどっしりと艶やかな姿を呈している
だんだんお尻も大きくなり40年前はほっそりとした白百合のようであったが
時間と共に体重が増え態度はでかくなり、こんなはずではなかったはず
今では誰が住職やらわからなくなった存在。
住職とは名ばかりか…あー嘆かわしや。

世の女性達よ男達は日本の美をいつまでも追い求めているんだぜ。
《 立てば芍薬座ればボタン歩く姿は百合の花 》



今朝は大阪西区倫理法人会・経営者モーニングセミナーに
お迎えを賜り、お話をする機会を与えていただいた。
さすが経営者ばかりの集り、第一声からみなさんの活気あふれる声・声・声
さすが経営者仲間すごい活力を感じた。
その中で45分間の時間を頂戴し話をさせていただいたが
私の話はどう映ったであろうか。

私の事はさておき、私こそ彼達からいただくエネルギーは脈々と伝わり
彼達の前向きな経営理念を感じさせていただき嬉しいかぎりである。
週に1回こんな素晴らしい会合を日本各地どこかで開催しているときく
5万人余の会員がおられるとのこと。
日本の国もこういうリーダーがいればこそ成り立っているのであろう
私ごときものが講演とはお恥ずかしいかぎりである。

がんばれリーダー!
中小企業の人達であるが
その礎はきっときっと日本という城の石垣を築きあげてくれていると信じる。



咲いた花がまだ残っているが
潔く散りゆく花びらに郷愁を感じ、散りぞこねている花は何か汚い感じがする
そんな思いをはせていた小生である。
今年は寒さのせいで花の命は長いが
やはり咲くものは咲く、散るものは散ることによって全うされるのであるが
何事でも中途半端はいただけないであろう。

仏教には中道という素晴らしい教えがある、
中途半端は中道ではない。
我々も生活にメリハリをつけ人生を全うしたいものである
考えも中途半端ではなく中道の教えに耳を傾けたいものである。



今年の花は2週間以上も我々の目を楽しませてくれているが
今日の雨は無情にも咲き誇っていた花びらに雨がたたきつけている。

日本には四季があり、移ろう時とともに次から次へと風情が変わり
目に耳にそして肌に感じさせてくれる趣があるからこそ
素晴らしい文化が生まれているのであろう
心豊かな世界を見い出す水や風、目に見えない肌で感じられる世界が大好きだ。

私はケツを半分出したスタイルなんて見たくもない
日本の文化にはそんなもの無かったはず
情緒豊かなほのぼのとした世界大事にしたいものである。
如何なものか半ケツスタイル?!

 



昨日は今年度第2回目のほのぼのクラブ(中高年お見合い)開催。
40名程の参加であったが5組のカップルができた。
当然のことながら熟年を超えた人達ばかり、
特に最高齢の84歳の男性がカップルになったことを非常によろこんでいる。
カップル確立25%嬉しいかぎりである。

今朝もおはようサタディというラジオ番組でユニークな寺として
婚活の話をとりあげてくれた。
20分程出演しラジオでもしゃべったことであるが、
今後もユニークな寺として目線を下げ市民とともに歩む寺を目指したい。



この1年はマスコミによく取りあげられた
TV出演も何回あったであろうか
明日も又、今度はラジオ出演で(おはようサタディ)番組である。
FM放送で20分という時間が与えられた、
どんな感じになるであろうか、私自信楽しみにしている。

関西では、
大阪府豊中市FM千里83.7、貝塚市エフエムかいづか82.6
兵庫三木市エフエムみき76.1、豊岡市FMJungle76.4
宝塚市FM宝塚83.5、加古川市ban-banラディオ86.9
奈良県生駒市三郷町FM西大和81.7
他各県FMで放送されるらしい。

うれしい事であるが反面メディアの影響は多大であり
悪い事ばかりしている住職はそのうち「Wanted!」と
なるのだろうか?



鳥取の山奥に行く機会を得た。
その昔疎開し、そこで亡くなった方の法名を確認する為
墓標を確認しにいったのであるが今は既にその住処はなく墓標だけが残っている。
全国一の過疎地といわれているが
七間四面の立派なお寺もこれまた後継者がなく廃寺になろうとしている。
人が住まないということは急速に自然の猛威が襲い雑草の生命力は驚愕に値する。

あんなに立派な本堂も近い将来は無残な姿になるのか
当お寺は幸いにして当地に新築できたが、そこの関係僧侶たちは何をしているのであろう
栄華を誇った立派な本堂をみすみす見棄ててしまう本山に憤りを感じる
包括寺院に入れるとか入れないとかそんなちっぽけな問題以前に
全国の朽ち果てていこうとするのを守らない体系ががまんならない
本山や組内の屋根の下に泰然と構え、
漫然としかみていないで日本の伝統ある文化が失われていくのであろう
本山の奮起を期待する。

 



昨日、6月初旬に体験田植えイベントを考えているため
丹波篠山の予定地を見にいってきた。

久々の晴天、天高く雲雀が舞い上がり、さえずる声を久々に聞いた。
青空の一点をホバーリングして縄張りを誇示している雲雀を見、
足元には元気よく土筆がでていた。
こんなのどかな姿も久々の体験、なんだか嬉しくてならなかった。
まだ田植えは始まっていないが、のどかな田園姿を一望にし
実りの秋を信じて田植えの体験をさせてもらえる
そんな心広がるのどかなひと時であった。
近々田植え体験の募集予定である、諸氏よ来たれ!

今日は職員の結婚式
明日と9日は中高年の婚活(ほのぼの倶楽部お見合いバスツアー)
桜舞い散る中嬉しい日々が続く。
春よ恋々早くこい、果たして何人のカップルができるやら。

 



世の中は年度初めという会社も多いだろう。
当寺も新年度となり業務刷新、新しい部として整備部ができた。
考えてみれば30台近くのスクーター、車が稼働している中
一人くらいの整備士がいてもおかしくないはず。

おかげで当寺にも車輛整備士を確保。
車輛部門からも安全対策を考えると
まだまだしなければならない事はあろう。
車輛部主任の佐藤氏を中心として改めて安全運転に徹し
エコ寺院として恥じない一貫にしたいものである。

 



窓から見える国旗と仏旗は風もなくだらしなく垂れている。
旗はそれなりの風がありはためく旗を見、
はためく音を聞くことにより旗の値打ちがでるのでろう。

人もファッションという美名のもとにだらしなく見えるのは多々おられる、
何でもかんでも布をぶらさげているとしか見えないやからもおるようだ。
おじさんになると、靴をだらしなくひきずって歩く姿そんな姿みたくない
颯爽と清潔感あふれる健康的な姿こそ美しい姿ではないだろうか。

 



桜もちぢこまり開花宣言1週間が見ごろといわれている桜もまだちらほら
今年は桜の花も長く楽しめるであろう。
この季になるといつも思うことであるが、
果たしてあと何回楽しめるのであろうかと思いつつも
改めて花見に行くこともなく漫然と過ぎ去ってしまう。

人それぞれ花をみるにつれ色んな思いが去来するであろう
楽しい思い、悲しい思い、決して華々しい事ばかりではないだろう。
そのひとつひとつをかみしめながら
今年もまた咲き散っていくことであろう人それぞれ
その思いを心で温めながら過ぎ去りし日を思いお越し
明日への糧にしていただきたい。

 



いつも来てくれていたメジロさんが2、3日姿を見せない
お山に帰ったのであろうか、
いつも切ってやるミカンはヒヨドリとスズメがついばんでいる。
数少ない木に飛び交う小鳥たち、
こんなちっぽけな世界にも弱肉強食の世界が見られる。

強いものの間隙をぬってついばむ小鳥たち
人間世界はもっともっと目に見えないいやらしさがある。
人の心と夜風は肌で感じるという諺があるが
肌で感じられるものは、
その人間のいやらしさと同時に人の心の優しさも感じ取る。
あなたは人にどんな感じ方をさせているやら
住職という看板の裏にひと皮むけば夜叉のごとく…おそろしい限りである。

 



今月のこころ塾は年度末ということもありスタッフ一同張り切ってやっていた。
話を45分涙あり笑いあり実のある話になったと思う。

音声のトラブルがあったとはいえ楽しく歌い、
特に空手剣道いあいそれぞれいろんな趣向をこらし
ご参集いただいた皆様は楽しまれただろうか。
特に最後には特訓5か月住職の日本舞踊、
本人は澄ました顔で踊りきり
感激のあまり師匠や踊り仲間ともども泣いて喜んでくれ
70にしての手習い本人も気をよくしている。

昔からとれる免許は何でも取ってやれときた
70年多芸な住職であるがされど上手なものは何もなし、
ただ少々器用なだけか?
何はともあれ本人が一番喜んだんであろう。
毎月第4水曜、寂しきもの来たれ!泣きたいもの集まれ!
楽しいものはみんなで笑え!
来月も又皆さんのご来賓をお待ちしております。

 




お彼岸という多忙なことを理由にしてブログも休んでいた
早い話が住職のズボラ者の証しであろう。

春の彼岸はいつも少なめの参境であるが、
それでも合計700人くらい来て下さったのであろうか
台風なみの荒れ模様であったが
法要両日は天候に恵まれ久しぶりに皆さんと歓談でき嬉しい限りである。
せめてこの彼岸中かぎりでも…との思いでと有り難いことである。

無料奉仕してくださっているお世話人の方達もみんな嬉々として迎えてくださり
おかげで彼岸法要を終えることができた
住職も歳をとったのか法要途中副住職と交代
彼も巣立っていってくれているであろう。





窓から見ているとスズメに初めて事務員がミカンをやっていた。
皆がそれぞれ慈しむという言葉を大事にしているのか?
ちょっとした気遣いや心遣いを見聞きすると温かみを感じる。

小さな事に目を向けるということは心のゆとりのある証拠
ゆとりある生活を送っていただきたいものである。

当の本人、巷では瞬間湯沸かし器といわれている私。
良い意味にも悪い意味にも即効性の住職即く行動は実行してきた
特急列車の住職危ない時は止めてね!

 



訪れた越前の空は例にもれずどんよりとしていた。
父母が生まれ育った100年前も今もこうして見る越前も
じっと耐え忍ぶ苦難の生活を強いられたふきのとうは頭をだし
梅は満開の花々をみせていたりメジロが春を待つ静けさに心打たれた。
そんな強い意志があるからこそ春を満喫できるのであろう。

やがて春、先輩諸氏よじっと耐え忍ぶその先にきっときっと花が咲くだろう。
世は不況ときく、辛い日々だろうが春を信じよう。

 



巷では年度末ということであろうか人事異動たけなわ、
ここ西栄寺も目下模索中。
それなりの人が退職したり昇格を夢見たり男の世界も大変だ。
一つの企業として成り立たしていく上で住職なんてちっぽけなもの
人それぞれそれなりに長所短所引き立ててあげるのが住職の仕事であろう。

近日中に決意をもって人事構成を行う予定、
新しいエネルギーを発揮してもらいたいものである。

 



今朝もメジロさんがやってきてくれている。
輪切りにしたミカンをついばむ姿は本当に可愛いものだ。
ちっちゃな目はまんまる、細いくちばし、ついばむ姿の美しいこと。
どこで見ているのかりんと張りつめた空気をきっさきまさに電光石火、
それでもたまにやってくるスズメ、それを追っかけまわすヒヨドリ
こんなちっぽけな餌場をとりまく縮図。
生存競争を味わっている間もなくミカンもなくなるであろう、
お山に帰っていくのであろうか。

 



鬼の撹乱の為住職風邪でダウン、4日程不覚にも寝込んでしまった。
その間良い意味にも悪い意味にも問題発生、生きている証拠か?

東京進出も準備室開設の為やってくれている。
お恥ずかしきながら人事的にも色々考えなければならない点がでてきた。
院内においてはそれはそれ、良き人材に恵まれそれなりに対処している
職員一丸となって対処してくれることであろう。

外界ではここ2、3日冬に逆戻り、暴風雨逆巻いているようであるが
うちの事も大変なときだからこそ我が寺の職員の資質が問われるであろうし
又よく頑張ってくれている姿もよく見える。

凡人の住職、これまたよく見えるものである彼達の手腕を信じていこう。

 



風邪をひいたかと思った住職もどおやら1日で全快したようだ。
やったかなと思ったが約束のカキを食べに行く話に喜び勇んで
仲間と高砂で海のミルクといわれるカキをたらふく食った。
やはり効果抜群あんなにしんどかった前日も
友人の工場見学も兼ね、帰ってくれば元気100倍!
夕方にはもとのうるさい親父になっていた。

それにしても同行賜った今井鉄工所会長ご夫妻、
この50年間に蓄積していた大工場と技術をまのあたりにしご夫妻のご苦労が偲ばれる。
人は過去の苦労は知らない、
今恵まれている環境のみを見て判断しがちであるが
夜も寝ず働き額に汗した過去があるからこそ現代があるのであろう。
我々も学ぶ事多し、
苦労なさっている諸先輩のその苦労を感受せよ先の光明を信じよ!

 




鬼の撹乱かどうやら住職も人並みに風邪をひいたか?

日頃から皆には風邪をひくのは油断しているから風がはいってくるのだと
公言していたご本人、今朝は元気がない。
まさに油断していたのか?この歳になって剣道を始めて
若者に負けず張り切っていた住職であるが
まさに一瞬のスキを見つけられ面一本を取られたのか、
やはり住職も人の子、負けず嫌いの住職もかたなし。

でっかい体を小さくして今朝は口数も少なし…
職員一同は住職の静かな朝を喜んでいるのか?皆元気!

 



庭の水仙も終わり、ちっちゃな庭には黄水仙が名残に残っている。
松の横にはひっそりと百万両の赤い実が、
そしてさざんかの可憐な花がそっと寒さに耐えてきた。

春の日差しにメジロがみかんを切ってやった餌をついばんでいる
都会のちっちゃな庭であるが四季の移ろいを感じさせてくれる。

今朝も朝からメジロの夫婦だろうかやってきて
窓を眺める住職の夜叉の眼をなごませてくれている
自然とはやはりいいものだ。

ちょっとした瞬間であるが憩いを感じさせてくれる大事なものであろう
そんな自然をみんなの力で残していきたいものである。
メジロさんありがとう。

 



過日、淀川河川敷お掃除に参加させていただいた。
当寺でも毎週日曜日、西淀川区役所を中心にした近隣を、
朝から皆さんの協力を得て、お掃除をしているが、
淀川河川敷掃除部隊は、1500人ほどのボランティアの方達が、
長靴をはき、本格的に汗を流している。
人間のできることって自然に比べれば本当にちっぽけなものであるが、
一つ一つコツコツやってきている、このボランティア部隊には感激させられた。
いざ河川敷の中に入っていくとゴミの山と言わざる得ない。
それにしても、石油製品の見棄てられた容器や、プラスチック製品のなんと棄てられていることか。
われわれ近隣の掃除には、煙草の吸殻が多いのにびっくりし、マナーの悪さを痛感していたが
大きくは外を見ると、ペットボトルはじめプラスチック製品がいとも簡単に棄てられているのに驚く。
早朝から来賓に市長がみえていたが、びっくりするのがおかしいのかもしれないが、
我が地区の荒木市会議員が一般参加されており、我々と同じようにゴミを拾い、老体に鞭打ち、
両手に拾ったゴミを抱え一つしかない靴を泥んこにし、されていた姿を拝見し、
こんな議員さんもまだおられるのだなあと感心した。
自分でできるちっちゃなことをコツコツやっておられる姿は本当に美しいものである。
それにしても、大阪浪速っ子はマナーの悪い集まりなのか、嘆かわしいものである。
交通マナーも社会的なマナーも高揚したいものである。
そんな私も、人が見ていなければ、やはりポイ捨ての私なのか、人が見ていると拾う私、暗くなると捨てる私。
ごめんなさい。



久々の雨、エコ寺院をめざしている西栄寺にとって待ちに待った雨である
井戸掘りそして石庭造りと消光してきた。
何回も何回も水漏れを修繕してきたがやっと完成
今日の雨で池に水が張れるだろう。

故田中角栄氏はそのむかし池に鯉をはべらかせていたのを思い出した
男は最後にはバッチと鯉を欲しがるらしい。
私はそんな男になりたくない
我が家の池にはメダカが似合っている、
メダカはメダカでも泰然と構えたメダカになりたいな!
西栄寺は鰡をすでに飼っている、
鰡は鰡でもおおボラ吹きである(^O^)

 



西栄寺東京出張所開設の為、吉田僧括が東京の様子を見に行ってきた。
思い立って5年、この時間的なロスはやはり大きな痛手のようだ。
住職自身この目で又肌で感じ取った空気は大変だろうなと感じる。
「時既に遅し」の感は否めないだろう。

早速お葬式を1軒言って下さったが有り難いことである。
この東京1軒目のご檀家さんは大きな飛躍の第1歩になるのか精進したいものである。

昨日、35回目のこころ塾が終わった。
いろんな思いで集まってきてくださる方々にただ感謝
来月24日は3年目の節目として面白い企画をしているが、
今から準備万端住職も張り切って11月より特訓をしている。
はたしてどんなイベントになるのかこうご期待。

 




もっか西栄寺は東京出張所をつくろうとしている。
既に5年前から計画していた事であるが
本坊新築という大事業の為
遅ればせながら本年度の事業計画を前進させるため動き出した。

されど、上京してみるとこの5年間の時間の経過が時すでに遅しかと思わせる。
息子のような年齢の人が活躍しており、お話を聞かせてもらうと
己の年齢と時世の遅れを肌で感じ己の力無さを痛感している。
西栄寺は座してはならんと前向きしか見ていなかった私であるが
やはりいつの間にやら世間から置いていかれてるのか?
ITの世界もさることながら全く疎い私、周りの人から色々教わっているつもりだが
自分の能力はたしてどこまでか…。

くしくも本日は「こころ塾」開催日。
私のような話をよく36回も聞いて下さった事にただただ感謝。
今日も今から私のぐうたら節がはじまる
毎月第4水曜日、暇人よきたれ!
来月は年度末、大イベントを計画している。

 



パソコンは、もう生活の必需品になった。

わが寺においても、
手書きだった事務処理を、機械化して、早15年くらいになるであろうか。
檀家管理システムを導入した折、なかなか抵抗があり、馴染めなかったが、
現在は、もうこれなしでは寺の運営はできない存在になっている。

文字を書かない、辞書を引かない、古い私にとっては、いまだに抵抗がある。
また、一瞬にしてインターネットによる回答が得られる。
こんな便利なものは手放せないとは言うものの、一長一短があるパソコンであるが、
安易な文字変換の間違いや、 心まで表現するのは難しい。
これもまた、危惧すべきであろう。
活字だけの世界。無味乾燥なパソコンの世界であるが、最後はやはり、人の手に、
また、心を軽んじては、この機械も変なものになってしまうであろう。

私の変人奇人もこんなところで葛藤があるのか・・・もしくは、ただ単なる変人奇人か。



仏教徒の行事の一つに初参式というのがある。
生まれて初めて仏様にお礼を申し上げる行事で、
昨日その初参式をした。

私の眼には祖母に抱かれたでっかい赤ちゃん、
たった百日しか経っていないのに
こんなにも早く大きくなるものであろうか。

皆の中心でひとつの命が暖かい眼を注がれ
輝く瞳にはどんなイメージが映っているのでしょう、
こんな純白な瞳が汚される事なく
純粋な心を持ち続けてもらいたいものである。

祖父母も親御さんもこの子をみつめている目は輝いている。
悪多く汚れた社会、されどこの子をみている皆の心は真っ白である
大人も子供もこんな世界があるからこそ初参式の意味があるのか
我々もたまにはそんな世界に酔いしれて見よう。

住職の汚れた世界も一瞬とはいえ白い世界に浸ったのか。



昨年、能登から帰ってきた時、降り立った大阪駅のほとんどの人が 、
マスクをはめ、異様な風景に写ったことを思い出した。

マスコミに踊らされ、猫も杓子も新型インフルエンザと騒がれ、
まるで、宇宙人の集団であるかのようであった。

食中毒と騒がれ、政治改革と騒がれ、ちょっとした事が、針小膨大に取りあげれられ、
あっと広まったと思えば、すぐ冷めてしまう。変な日本人の集団である。

政治資金問題も、もっともっと国民は、怒らなければ政治家の思うつぼ、
改革なら改革なりに旧体制なりに、もっともっと国民に怒りを持ち続けないと、
いけないのではないか。

斯く言う私も、おかあちゃんの忘れ去るのを待っている私。ごめんなさい。


 

冷たい雨が降っている。
この雨の中、濡れながら仕事をしている人もいるであろう。

過日、井戸掘りをしていた時、ずぶ濡れになりながら
一日中がんばっていたおじさん達は
何事もないような顔をしていた。

根性であろう。

見ている私は「風邪をひかなければいいが」
その思いだけで何もしてあげられなかった。

今日も雨の中で頑張っているお父さん達、
頭が下がる思いである。

帰ってきたお父さんを迎えるお母さんの笑顔とお子さんの微笑みが
どんなにお父さんを奮え立たせるエネルギーになることでしょうか?

一杯の熱燗と家族の思い、そんなあったかな一枚の絵画を思い出させる。

「お父さん、頑張ってね!!」

・・・と住職の願望か?(笑)



その人がなくなるには、色んなドラマがあり、
色んな過去があったはず。

巷では直葬という言葉もうまれてきているが、
本当に心の中に何か残らないのだろうか?

色んな思いがあっていいはず。

私はそんなことが悲しくてならない。

こういう仕事をしていると色んな場面に直面する。

いがみ合い、喧嘩、逆にまた悲しみを共有しようとする
心豊な人、人の別れには色んなドラマがあっていいはず。

みんな心しようではないか。

されど、罪深い私、それこそ誰も来てくれないのかな?

このコラムが途切れた時は、私が直葬されたと思って
お線香の一本上げてください(苦笑)


 

昨日はとても温かい一日であったが、これから暫く三寒四温を体感するのか?
あんなに寒かったのに、考えられない。
やはり春はそこまでやってきているのであろう。

ミカンを切ってメジロに上げていたが、
福井に行っているあいだ休んでしまった為、メジロは来なくなった。
春と共にお山に帰ったのか?
木の枝に寂しくミカンの輪切りがぶらさがっている。

曲りなりに井戸も完成、ちっちゃな石庭にも今日は水はりをしている。
少しづつ落ち着いた風情になってきているのか?

されど、住職の心は乱れっぱなし。悲しいかな・・・。


 

今朝の国旗はうなだれている。風もなく、凛と張り詰めた空気。
寒くはあるが気持ちの良い朝。気温はまだマシなほうか?

過日、越前海岸を走ったら、やはり北陸の空はみぞれが降り、
雲が垂れ込め、寒風が吹き荒れていた。
どんよりと気持も荒びそう。

されど、こんな厳しさの中に生活してきたからこそ、
北陸の方達は、我慢という素晴らしい財産を後の人に伝えたのであろう。
寒風に吹かれながら可憐な水仙は今を盛りとたなびかせている。

寒さも暑さも乗り越えた世界に素晴らしい世界が待ち構えているのであろう。
不幸の中に幸あり、不幸の先に光があるのであろう。

お父さん戦士、がんばっていきましょう!!


 

毎日メジロさんのためにミカンを切ってあげているが、
多忙であった為、昨日は忘れてしまっていたためか、
今朝はメジロさんはお休みのようである。

でも、この寒風吹きすさぶ中、
どこで餌をついばんでいたのであろう?
人間は勝手なものである。

メジロさんは絶えずついばまないと
食い溜めなんてできない小鳥なのに・・・。

どうしたんだろうか?心配である。

本当に人間の勝手な感覚の中に
地球をふりまわしているつもりだろうが、
決して決して、そのツケは回り回って
人間世界を窮しめることであろう。

エコ寺院として、少しでも何かお役に立ちたいものである。


 

昨年は剣道をやり始めたが、途端アキレス腱を痛め中断していた。
若者に負けないように意地をはって始めた剣道であるが、お恥ずかしい限りである。

意を決して、また再開したが、すぐに息が上がってしまう。

練習するどころか基本の打ち込みだけで何のことはない。
道場の人達の労わってくださるのは有難いが、反面、意地になりそう。

歯痒いやら、悔しいやら複雑な気持ち。

やはり足腰の衰退はいつの間にやら忍び寄っている。
少しでも健康に留意し、元気でいたいものである。

先輩諸氏よ!
良い意味で若い者に迷惑をかけず頑張っていこう!


 

節分祭は終わったが、追い払われた鬼はどうしてるだろう?
本来、鬼なんているはずがないんだけど、
一番恐ろしい鬼は己の心に内在する鬼であろう。

嫉妬という赤鬼、妬みという青鬼、内在する鬼は十人十色、
私なんか十二色も鬼が住んでいる。
節分が終わっても、この鬼はきっと住み続けるであろう。

わが寺でも豆まきはしたが、
豆まきというよりも参加して下さった7〜80人の方々が
レクリエーションとして楽しんでくれればいいと思っている。

海苔巻きも体験でみんなで2本ずつ作ってみた。
これまた楽しからずや。
さらに残った人達が中高年のお見合い、婚活。
これまた楽しからずや。

この方達こそ、早く福がやってきてほしいものだ。

は〜るよ来い♪は〜やく来い♪
春!春!晴る!(^o^)/


 

見舞いに行った叔父にありったけの思いで、
感謝の念を込めて目を見つめた。

細い目にどんな思いで受け取ってくれたのであろう?

ついでに幼き頃までいた越前海岸に回ってみたが、
北陸の海は黒々と怒涛逆巻き、空はどんより垂れ込めていた。

森進一の「うさぎ」という歌の歌詞を思い出した。

幼き頃、貧しい村を後にし、母に連れられて去っていった自分の姿を思い出している。
貧しい寒村は今も脈々と続いていたが、住人は大変だったことだろう。

みぞれ降る中に手足を真っ赤にして分教所に通ったこと、
歩くしか交通手段のない通学路、今も続いているのか?

水仙の花は観光資源として根付いてきているようであるが、
その昔はその水仙畑に寝転がった郷愁に思いを馳せている。

日本全国皆貧乏そんな世相であったその昔、
自然はいっぱいいっぱいあったはず。

そんな素晴らしい日本を、そして私たちの純粋な心の思いを、
末永く残したいものである。

叔父さん、ありがとう!!(鬼の目にも涙)


 

どんよりと曇った空模様。
その中、今朝も三々五々、近隣のごみ拾いの為に集まってきて下さっている。
この掃除部隊も、ごみ拾いも大変であったが、
近隣に対する美意識も高まったのかごみもずいぶん少なくなった。

人間の心理として、やはり何もないところにはごみは捨てにくくなるのであろう。
それとともに「ありがとう!」「ごくろうさま!」の言葉をかけてくれる人も多くなった。
こんな一言も嬉しいものである。

一つの言葉にどんなに心が広がるものであろうか。

住職は人が見ていなかったらごみを捨てる。
みんながやってくれるから住職もごみを拾いにいく。

そんな人間。

でも、彼達のささやかな気持ちにもゆり動かされている昨今である。


 

今朝は庭の散水に思い切り井戸水を使いまくった。
井戸を掘りたてなので、どんどん水を入れ替える為
流しっぱなしにしている。

電気も水も天からの頂き物。
こんなに使いっぱなしで、
井戸水とはいえ申し訳ない気持ちである。

一週間後には綺麗になるというものの
果たしてどんな水になるのか?

飲み水には無論適さないだろうが
どんな水になるのか?

井戸を掘ることによって、地下の目に見えないところに
人間のエゴが隠れていることに気付き、ほとほと呆れ果てている。

汚いもの、嫌なものは埋めてしまい、
目先の感覚でものを言おうという人間性。

日本の昔はこんなんであったのだろうか?

他国のことを悪く言いたくはないが、
経済発展第一位と言われるあの国も、
人権を守らないあの国も、
50年後には我々と同じように後悔するのであろう。

環境問題、もっともっと大切にしなければならないのでは
ないだろうか?

・・・その前に私の心の中を掃除しなくっちゃ!


 

井戸掘りが完成したようである。
手押しポンプを押してみた。

蛇口から勢い良く水がとび出す。

訪れる壇信徒も、昔を懐かしんで手押しポンプを押し
あふれ出る水の音に笑顔ほとばしる。

こんな水音にもしばしの潤いを覚えるのも
都会に住む我々にとっては心温まるものであろう。

されどあふれ出る水は汚染され、人間がこの地球を
けがしまくった汚い水である。

百年いや、幾十年の間にこのお寺の下を、
工業都市として栄えた西淀川の土地を、
汚染しまくったのであろう。

ここだけではなく、阪神間の工業地帯といわれた
この辺り一帯はどうなっているのであろう?

井戸を掘る間に、油で汚染された砂質が
30〜40センチは見られた。

掘り進むにつれ廃材か何か分からない木片が出てきたり
きっとゴミなどを捨てていたのか?

奢れる人間共は地球を少しづつ蝕んでいることを
知らねばならない。

目視すれば何の変哲もない大都会。

木々の色は本当の緑なのか?
私たちが吸っている空気は本物の空気なのか?

ちっちゃなことから始めよう。
大事な大事な地球なのだから・・・


 

ちっちゃな庭にメジロの為に毎日ミカンを切ってやっているが
今朝は来ない。

たった1、2匹のメジロであるが、とても気になる。

メジロをとり餅で捕るバカ者もおるらしい。
ちっちゃな駕籠に入れられ、鳴く声を楽しむ美名の下。

捕られた鳥、大空で自由に飛び回らさせ見て楽しむのも
更に大きな心ではないだろうか?
自分一人のエゴの為、人間恐ろしいものである。

地球を征服したかのエゴがいずれは己を滅ぼす元凶に
なる恐ろしさを知らねばならない。

されど一番恐ろしいのは私の心か?

己の心は夜叉のごとし。


 

久しぶりに堺支坊で泊まることになった。
色んな事業がある中に、堺支坊は建築後、十年が過ぎた。

その間、両サイドの敷地確保、裏の駐車場、また前の広い駐車場、
それぞれの方々のご理会を頂き、取得できた。

お陰様で、十年間の間におよそ十倍ほどの広さにならして頂いた。
当初に比べれば駐車場も広くなり、
ご門徒さん達に不便のないようになってきている。

昨夜は特に多くのお客様にお越し頂いたが、
それぞれご迷惑のないように何とか対処できたようである。

設立より26年目に入った今日、対外的には色々ご批判もあるようだが
私としてはご門徒さんに目を向け、ニーズにあった寺院経営を目指している。

賛否両論あるものの、最近ではコマーシャルを始め、
メディアにもいろいろ取り上げて下さっているようである。

人々に、特に庶民に愛されるお寺であり続けたいと思っている。
コリャーゲンゲン!


 

本堂の大屋根の雨を受ける雨どいの新設する為に
鉄パイプで足場を組んでいる。

初めは支柱もなく支えるものが全くないものに
あっという間に足場が出来上がった。

男の中の男がたくましく登っていく姿、驚嘆した。
餅は餅屋というだけではなく、正にプロの技を見たような気がする。

あの道もこの道も、プロというのは、その名に恥じない
一つ秀でたものがあるからこそプロなのであろう。

はたして私は僧侶として49年、プロになれているのか?
この生活、死ぬまでプロを目指していきたいものである。

先輩諸氏、プロという言葉を深く味わって頂きたいものである。


 

快晴の空の下、凛と張り詰めた空気が漲っている。
今日も父の御命日、還浄土した朝も今朝のように眩しい朝であった。

ギラギラ輝く朝日に父親に対する思いに馳せながら
いつの間にか父の歳を越している。

院内の諸々、次から次へと大きな事業が待ち構えている。
一つのことを成し遂げるのに大きなエネルギーを要する。

倉庫の建築は終わったが、井戸水の掘削はまだ完成をみていない。
名ばかりの石庭であるが、これまた同じく水漏れがし、いつできるのか?
会館も、目下設計を発注中。

何はともあれ、一つ一つやり遂げていきたいものである。

職員においてもそれぞれ婚活、結婚、新居、大変のようである。
されど、活気漲る寺となっている。

今朝も近隣の清掃活動に、老若男女、奉仕の人達が
三々五々、火ばさみとごみ袋を持って笑顔で散っていった。
人の出入りの華々しいこと、嬉しい限りである。

忙しい人、暇な人、みんなみんな寄っといで!


 

久しぶりに東京の空気を吸ってきた。
さすが大都会、行くところ行くところ人の波。

よくまぁ、こんなに人が集まってきたものだ。

今回は、寺院経営として、果たしてどう対処していっていいものか
いろいろ勉強させて頂いた。

一番感じたことは、端的に言って檀家制度の崩壊。

すなわち人と人との心の触れ合いが希薄になり、
その希薄を埋めるものは更になくなり、
心との触れ合いが全く感じられない。

我々寺院におるものは、院内において漫然と座し、
大海を見ようともしない。

その漫然と構えている姿が、私には我慢ならない。

葬式坊主と言われ久しいが、その葬式坊主もいよいよ簡略化してしまい
葬式の時ですらお通夜と翌日の儀式のみ、
たった二回、施主さんと顔を合わすだけ。
あとは四十九日、初盆、そんなものか?

施主さんの顔に数多くお目にかかる機会を得て、
お話させて頂き、そしてその心をつかむのか?
式だけして後はもの言う機会のなくなってしまった。
そんな葬式坊主も、いよいよ地に落ちてしまうであろう。

死亡者の半数は直葬、無宗教葬と聞く。

大都会の中、人知れずお浄土に還られる半数の人は
そんな人のようである。

還ってゆかれる人をお見送りするのに、何の心も感じず
犬猫のように焼いてしまえばいい、
そんな世の中になっていくのか?

大海を見ない僧侶諸氏よ!裏面を拝せよ!
心せよ!人間に見えない人の心を呼び戻せ!

嘆かわしきかな・・・。


 

西栄寺も設立26年、法人化24年目に入った現在、
浄土真宗系単立寺院として良きにつけ、悪しきにつけ
少しは認識していただき今日に至っている。

鬱陶しい存在と思われている半面、喜んでくださっている方たち
人それぞれ、有り難いものである。

宗派を越え、僧侶派遣グループとして「お寺さんの会」の存在感も
少しづつ認識してくださっているようである。

釈尊の教えは両手を広げた包容力のある教えであったはず。
宗派が生まれ、その宗派に固執し、伝統という言葉に甘えていやしないか?

教えはそれぞれ尊いものである。
相手の宗派を認め、その認めた上に我が教えがなりたっていると思う。

印度は仏教の発祥の地だが、今は他教徒の地域になっている。
この柔和な仏教の教えが仇になっていたのかもしれない。

されど、仏教とは仏様の教え、大きな心をもった教えであるはず。
隣の人も、どの人も教団に固執せず、もっともっと懐の大きな仏教であっていただきたいもの。

西栄寺も今年度は他府県にも羽ばたく年だと位置付けている。

また波風が立つか。

 


 

井戸掘りが、素人目から見てもうまくいっていない。

その昔、ここ西淀地区だけではなく、不要なものは地に埋め、
川に流しどんどん環境汚染が広がっていったんだろう。
たった5・6m掘っただけで、廃油がでてくる、廃材がでてくる。
おそらくなんでもかんでもいらないものを埋めたのであろう。

わが身の周りだけでも、こんなに地球が汚れているのだ!

昨夜、焼肉を食べる機会があった。
小生あまり肉を食べないのだが、焼き魚を食べた。
さんまの骨を抜き、中に明太子を入れた珍しい料理であった。

環境を汚し食文化という美名のもとに、
ありとあらゆるものを食ってしまう人間。

この世の中で一番恐ろしいものは、人間であろう。
肉食動物といえども、自分の生きるためだけのものしか殺さない。
人間は悦楽の為に殺すというおかしな精神の持ち主もおる。
憐れなるかな。
動物の頂点に座している我々。何か勘違いしてはいないか?

昨夜のさかなさん、おいしかったです。
すみませんm(_ _)m


 

小さな庭木に、最近毎日メジロさんがやってくる。
そのおこぼれにスズメさんもやってきている。

毎朝ミカンや果物を木にぶら下げるのが日課になっている。
仲良くついばむ微笑ましい姿に住職のちっぽけな目がさらに細くなっている。

庭の小さな世界、窓から見る世界ではあるが
寒風の中とはいえほのぼのとしたものが味わえる。

お釈迦様が、木蓮尊者の願いにより亡き母の姿を見た時
自分を育てる為に罪をつくり地獄に落ちている亡き母を見て
衆生に供養することによりお盆の行事が始まったと聞いているが、

仏様の世界から私たちを見れば庭木に集まってくる

小鳥のようなものか?

無論、我々はそんな可愛い存在ではないだろうけど。

少なくとも「天知る、地知る、我知る」この世界の意味合いを噛みしめたいものである。

 



わが故郷は豪雪のニュース。
大阪ではどんよりした雲が垂れこめている。

幼き頃、毎日しぐれる中
真っ赤に霜焼けの手をこすりながら
ござの合羽を着て学校に行ったことを思い出す。

田舎も70年前はそういう生活であったのだろう。

両親のおかげで、大阪に出て教育を受けさせてもらえた。

雪降る中に2階から出入りしなければならない豪雪地帯。
本当に大変なことであろう。

それなりに慣れていくのか?

でも、その暮らしに甘んじなけれならない生活もある。
だからこそ、我慢強い精神が養われるのか?

じっと堪えて春を待つ不屈の精神が、きっときっと
雪の中から可憐な花を咲きだすフキノトウのように
花を咲かせて頂きたいものである。


 

年末より企画してきた建築も、次々進んでいる。
寺院倉庫の完成はみたが、井戸掘りは失敗か。

再チャレンジと堀り始めたが機械力のすごさをまざまざと見せつけている。
されど細部に至って、また仕上げにあたっては人間の力が必要なようである。

ここ西淀地区は元工業地域の為か掘れば油の悪臭、廃材が出てくるという条件の悪さ。

昔は何でもありであったのだろう。

井戸の水は、たとえ完成したとしてもとても飲めるものではない。

当寺はエコ寺院として銘打って
「出来ることは何でもやってみよう!」
そんな思いであるので、例え散水用しか使えなくても完成を見たいものである。

石庭を作ると頑張っている。

これまたちっちゃな池であるが、水漏れ甚だしい。
どこでどうなっているのやら。
水漏れも止まってほしいものである。

何事も細心の注意を払って、人間力を発揮してほしいものである。

 

 



わがお寺の会報誌、西栄寺だよりも76号を迎えた。

わが寺の行事、挨拶、ニュース、あらゆるものを載せているが
早いものである。

年間4回の発刊であるが、待っていてくださる方もあると聞く。

たった8ページの紙面であるが、
いろんな嗜好を凝らすこらしているつもり。

されど、いつも時間に追われ、締め切りに追われての発行、
待っていて下さる人がおられる喜びを感じながらの発行である。

ブログ愛読者のみなさん、もし宜しければ、
お申込み頂ければ配送させて頂きます。

ありがとうございます。

 


 

 

晴天に恵まれた凛と張り詰めた空気が流れている。

今日からまたまた3連休と聞く。

カレンダー通りの3連休という恵まれた環境の人、
やりたくとも仕事がない3連休、
これまた大変なことであろう。

昨日、労務協会の方と話をする機会を得た。

ここ阪神間において零細企業の経営者は大変なところが多いらしい。

仕事をすればするほど、やればやるほど、
食い込み、取り崩しながら何とか少ない雇用者を確保し
食いしばっていると聞いた。

こういう中小企業であればこそ、磨かれた技術が残っているらしいが
そんな技術を未来永劫受け継いでいかなければ
日本の産業の基盤が崩れていくのではないだろうか?

頑張れお父さん、頑張れ中小企業の経営者!

私は政治のことは分からないが、国民の為の政治を目指して頂きたいものである。

 


 

お屠蘇気分も抜けないであろう今朝も、巷の企業は本格的出動か?
企業戦士は胸襟を正し、颯爽と出かけていく。

不景気な世と聞く。

その中に生き残るため頑張るお父さん、あなたの背中は後光が指している。
きっとあなたの背中にはお母さん、子供たちが両手を合わせていることであろう。

されど、その奥様も家庭では、きっときっとご主人や子の為、
優しい眼差しをもっていることであろう。
内面に光るもの、輝くもの、それはあなたたち一人一人の心の中に光るものである。

その光を大事に大事にして頂きたい。


 

寒風の中、心なしかお正月も明るい日差しをうけて、
今日も国旗が笑いながらはためいている。
騒音の中のわしも静かに静まり返り、
車の往来もなくのんびりした空気が流れている。

巷ではまた今年1年、景気が良くならないであろうといわれている。
景気が良くならなくとも、せめて心明るく前向きに考えたいものである。

年始回りにお越し下さった方の中に、このすさんだ空気の中を前向きに
とらえている人たちが2人おられた。
これらの方たちは日々精進、目先を変え新しいものに
絶えずチャレンジするその心構えには驚嘆する。
伸びる事業は、そのオーナーの心のとらえ方ととらえさせていただいた。
その2人の心をわしは灯とさせていただいた。

寒風が吹こうとも霙に叩かれようとも、尊敬するこの2人には
きっと素晴らしい事業が待ちかえていることであろう。

特にこの2人の事業成果を年末には評価してみたい。
私も心を新たにさせていただいた。
みなさん、寒風とはいえ突き進んでいこうではありませんか。


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