浄土真宗 単立 泰心山 西栄寺では、永代供養、仏事、葬儀、法要などのご相談をお受けしています。大阪市、堺市、 尼崎市にあるみなさまのお寺です。

泰心山 西栄寺
 
             西栄寺おもしろ住職

 

 

西栄寺住職 山田博泰

住職が毎朝、直感的に語るおもしろ言葉をつづります。

 

平成21年の「おもしろ住職の一言」はこちら
平成22年の「おもしろ住職の一言」はこちら
平成23年の「おもしろ住職の一言.前」はこちら
平成23年の「おもしろ住職の一言.後」はこちら

 
 
 
西栄寺 おもしろ住職の一言(2009)



 

改正の青空に、国旗と仏旗がひるがえっている。
すでに年末正月休暇に入っている企業もあると聞く。

景気が良くて十連休の企業があるとは聞かないが、
仕事がなくて十連休の企業があると耳にした。
男としてする仕事がない、これほどみじめな正月は大変なことであろう。

日本の政治も大変革。
私は政治には無頓着な私であるが、政治家は政治家として本領を発揮し、
日本を良い国にして頂きたいものである。

親族の葬儀も直葬と称し、亡くなれば火葬場に一直線。
到底考えられない世界。

人の死に対して何も心に残らないのか?

これとて、教育の変遷が大要因であろう。
日本人として侘びとさびの世界、思い起こして欲しいものである。

 

 



あけましておめでとうございます。

昨日はもちつき、挨拶回り、除夜の鐘つきと多彩な一日。
今日は元旦、俗的なことであるが一年の計は元旦にあり。
今年は大それたことは言わないが、やはり心新たに元旦を迎えた。
70回目の正月を迎えたが、あと何年この世におらせてもらえるのであろうか?
社交辞令であろうが「お若いですね!」なんて言葉に翻弄されている私。
甘ちゃんもいいとこであろう。

前向きに向かっての70年、守りに入ったら終わったと思っている。
前に突き進むのみ!今年もきっとそうなるであろう。

みんなの支えがあって、監視があって、
みんなの愛があって、そんな願いを込めている。

みなさん・・いたわってね。

 



今朝は総勢27名が一堂に勢ぞろいした。

それぞれ統一された法衣、和袈裟に身を固め、
一人一人凛とした引き締まった顔。

それぞれの思いで会したことであろう。

記念撮影の後、朗々と響き渡る堂内に、何かしら今朝は
私自身胸襟を正した胸の内に熱い思いを感じた。

人それぞれ、色んな思いで
新しい年を迎えてくれることであろう。

前向きなお寺、縁結びのお寺として、
一人一人活躍して頂きたいものである。

 

 


 

年賀状作成真っ只中。
郵便局の中では、猫の手も借りたい忙しさであろう。

小生かたくなに、「年賀状は毛筆で」という一つのポリシーを持ち守ってきた。

が、とうとうパソコン人種に感化され、
本年は美しい年賀状を!ということを中心に考え、
遅ればせながらパソコンにて作成中。
いまごろなんだ?と言われそうであるが何はともあれ、
正月に間に合わせたいものである。

一年に一度、なかなか会えぬ人たちにも、
賀状を見たときその人の顔を思い浮かべるであろう。
懐かしさ、そんな思いの膨らむ心豊かなそんな思いを込め、
たった一枚の紙ではあるが思いを馳せたいものである。

 



目下、石庭とは名ばかりであるが造園中。
昨日、水をはってみた。
造園屋さんは何か不満らしい。
されど私はご満悦。

どこやらの政治家は
男は最終的には池に鯉を飼い、胸にはバッチをすることがロマンだと聞く。

人間には色欲、食欲、名誉欲・・・
欲がある我々。

ああ、悲しいかな、釈迦は人間の根本的なものを教えてくださった。

人間の欲とは恐ろしいもの。
どこまで欲を貫いていくのか
とめどもなく・・・

 



秋の空は、いつの間にか冬まっ只中。
国旗も仏旗も寒々とたなびいている。

そんな中、当寺は目下、小さいながらも
石庭造園に日々職人さんが頑張ってくれている。
三人の逞しい男、本当に寒風の中、
ご苦労様なことである。

巷でも、お父さんが歯をくいしばって
頑張っていることであろう。

これもあれも、お母さんの笑顔と子供さん達の笑顔のため、
そしてまた、帰って一杯の晩酌を楽しみに、
歯をくいしばってくれているのであろうか?

お疲れ様!

お母さん、今日も笑顔で迎えてください!
(これは住職自身のことであろうか…?)

 



ここ2、3日強烈な寒波がやってきた。
北のほうでは雪の便りしきり。
我々にとっては情緒的なものであるが、生活する人にとっては
これから大変なことになるであろう。

私の故郷、越前もきっとコンコンとふりつもる雪に埋もれていることであろう。
その昔、豪雪の中2階から出入りしたことを思いだす。
ここ都会では、雪が1センチ積もっても交通麻痺をおこしている。

慣れるということは、現況を把握しそれを利用していく術(すべ)を学ぶと
いうことであろう。生活していく中では、いい事ばかりではないのが現実だから、
不幸を幸とし嫌なことを避けずに転化させていったものである。

今日も寒波の中、我がお寺の勇士は鉄馬にまたがり颯爽と出ていった。
彼達の背中には力がみなぎっている。そして後光が光っている。

幸多かれ。


 

我が寺の職員30名もボーナスもどきが支給された。

巷に聞くとこのもどきすら出せない企業もあると聞く。
また名のある企業とて15%カットらしい。
奥様方はきっとご主人の帰りを待ち焦がれたことであろう。

私としては出せたことの喜びがあり、
反面、薄くて申し訳ない気持ちもある。

何はともあれ、浄財の中からの出費、
ご門徒様に感謝の思いでいっぱいである。

当日の夜、職員の3人の奥様から、お礼の電話を頂いた。

この奥様のお礼の言葉には、私自身、感銘を受けた。
頂けるものは多いに決まっている。
その中に込められた心まで頂いて下さった奥様の心は
とてもとても嬉しかった。

巷ではボーナスも無い世相に自分の立場を弁え、
頂けたことへの喜びを感じられるその奥様の家庭愛、
きっときっとこのご主人も大事にして頂ける奥様であり、
その家庭は光輝いていることであろう。

ほのかな愛に包まれた家庭を感じさせてくれる。




まさに秋晴れ、凛と引き締まる思い。

国旗はゆるやかに揺れている。
銀杏の葉も散りゆき、空気も澄んでいる。

今朝は小用のため早朝に出ていったが、まだ真っ暗な中、
トラック、そして車がすでに走っていた。

朝4時過ぎというのに、
こんなにたくさんの人々が働いているのである。

信号待ちをすれば、横の商店で
シャッターを半分開いて用意をしている人達。

本当に頭が下がる思いである。

普段であれば、私はまだこんな時間、
温々と寝ているのに、
巷では人それぞれご苦労様なことである。

人には見えないところで頑張っているのであろう。

これから寒さに向かっていく季節、
元気に頑張って頂きたいものである。

ご苦労さまです!


 

さて、我々は毎朝、お勤めを集団でやっていて
当然のことながら行事化しているが、
今朝は孫がお勤めに参加していた。

学校に行く時間と重なるため、なかなか難しいようであるが
仏様に手を合わすという習慣はいつの間にやら
身についているらしい。

今まではゲームに専念。

俗にいう「勉強せぇ!」ということは一切言わないが
野球とゲームは一生懸命らしい。

しつけという言葉を大事にしているが
まぁ、なんとかやっているみたい。

日頃の生活の中に培っていく精神が、
自然に身につくと信じている。

諸兄はいかに?

 



今を盛りと、多種多様な来年のカレンダーが我が寺にも届いている。
来年度は、思い切って当寺オリジナルのカレンダーを作ってみた。

一部作るのに3千円かかるらしい。
値段もビックリであるが、出来栄えもこれまたビックリである。

写真家とは、まさにプロ!
その出来は素晴らしいものであって、
きっと施主さんもよろこんでくれることであろう。

餅は餅屋、何事の世界もプロとはこんなものであろう。

我々もプロとして認められるような僧侶になりたいものである。

決めるのは私ではなく、檀信徒に決めて頂くもの、
そんな選ばれた僧侶になりたい。


 

暮れ近くになって境内の庭をいじり、倉庫の建築が始まっている。
コンカンと賑やかなほどである。

何事にも前向きに進んでいる西栄寺、いつも活気がみなぎっている。
お祭り人間の住職、何かしらやっていないと落ち着かないのか?

今朝は倉庫の組み立て始まり、槌音多角ひびいている。

井戸掘りもやっていたが、
いざ彫ってみると残念ながら油の層がでてきた。

ここ境内は工業地帯だったがために
土の下はどうやらめちゃくちゃらしい。

井戸掘りは念願のものであったのに、断腸の思いである。

植木に水をやり、境内に散水し、
夏は近隣の子供たちに水遊びさせるのが夢だったが
この件ははかなく消えた。

井戸掘り日記も呆気なく消え、ほったらかしになってしまった。
でも、出来ることは何でもやってみたい!めげることなく。


 

住職は、今朝もまた角を立てている。
毎度のこと、そのうちに血管が切れるでしょう。
自覚していおるからまだマシなのか?

されどなぜみんな気が利かないのか?

身の周りの絶えずアンテナを立てておく、
自分は今、何をしていいのか?何ができるのか?
そんなことを考えてほしい。

大所帯になってきて人が多過ぎるのか?
いつの間にやら自分のことだけしかしない我々になっていないか?

企業戦士の諸兄は、きっとアンテナを張り巡らし
寸暇を惜しんで立ち働いていることであろう。

外はまた冷たい雨、
ごくろうさまです。

 


 

昨日は京の都におもむき、所用がてら京野菜を食す機会があった。

うどんというより、長いでっかい団子のようなうどんすきであったが、
日本情緒豊かな中で、京野菜を美味しく、たっぷりと食べさせてもらえた。

値段も値段であったが、野菜をこんなに美味しく食べさせる食意識を
日本人は培ってきた。

大きな文化であろう。

ただ単なるうどんすきであるが、最後にその出汁で雑炊を頂いた時、
本当に美味しいと感じた。

こういう食事をしている我々であるからこそ
侘びさびの世界を感じ取れる文化が生まれたのであろうか?

食べる世界、いろいろなものを食ってしまう人間、
もっと素直に食したいものである。


 

このブログは毎朝、思い付きを述べているコーナーであるが
あっという間にまたまた5日もサボっちゃった。

ありがたいことにお怒りのお電話まで頂ける幸せをかみしめている。

そんな今朝、西栄寺も活気があふれている。

犬小屋の建設、庭をいじり、井戸掘りの削岩機がうなりをあげている。
若き僧侶たちは前向きに話かけてくる。

69歳を迎えた住職であるが、周りの元気を頂き、これまた翔んでいく。

今朝はまず京都、そして午後には食事会のお誘いを受けている。

元気もの達に囲まれている住職、本当に幸せものである。
365日、薔薇色の人生と自負している。

昼には友人に囲まれ食事会、楽しみである。

夜もまた花が咲くのか?

困ったことである。

 


 

職員が今朝出勤してきた。
やる気まんまん。

されど一人、右顔面に炸傷あり。

わが寺では毎日全員スクーターで走り回っているので
「またやってきたか!?」
と思ったが、聞くと酒でご酩酊の様子・・・。

馬鹿たれが!!!

自転車で自損転倒らしい。
住職は酒は一切たしなめないので理解に苦しむ。

まぁ、自己反省すればいいか。

百薬の長とのいわれるが、人生を破滅に導くのも・・・

諸氏達よ、酒には大きな落とし穴がある。

嗜むのもいいが、心せよ!

飲むには時と、場所と、相手を選んで。
されば、酒もまた楽しからずや。


 

 

久しぶりに堺に泊まった
我が宿直室には立派な布団が有るのであるがコタツ布団で寝た
当然のことながら、夜中寒くて寒くてたまらないが、起きてもう一枚布団をという勇気がない
判っていながら止められないもの、これが塵沙の惑というものか
お釈迦様は人間の心をよく語っている
日頃の生活の中に釈迦の心を取り入れることが出来たならば本当に素晴しい人生になるであろう
判っていながらこれも不可能、これが塵沙の惑か…


 

 

か弱いうちの事務員がインフルエンザの予防注射から帰ってきた。
名前は誰とは言わないが、この人だけはインフルエンザも逃げていくだろう。

巷では、通常のインフルエンザの予防注射も枯渇していると聞く。
春口、月光仮面のようにマスクをしまくっていた街の異様な雰囲気を思い出す。
おかしな世の中で、何かひとつマスコミをにぎわすと猫も杓子も追従していく。
事件があっても不祥事が起こってもすぐそれに翻弄され、
アッという間にこれまた忘れ去られていく。

インフルエンザの予防は気をつけなければならないが、
巷の噂に踊らされてはいないか?
今一度、自分の足元を見つめなおして欲しいものである。

それでは、今からインフルエンザの予防注射に行ってきます。



今朝はこころなしか寒いぞ。
どんよりとした雲が垂れ込めている。
風はなく雨は降っていないが、世のお父さんは疾風のように飛んでいく。

外には七人の敵がいるというが、ひとりひとり打ち払いなぎ捨てる。
はったはったとなぎ倒し、お父さんがんばっているのか。
お母さん。帰ってきたお父さんを褒めてやってください。
きっとあなたのために働いてきたはず。

世のお父さん、己のため家族のため
がんばってください。
きっと家族はあなたの背中をみているはず。

ごくろうさま。m( _ _ )m


 

昨夜、仲間に食事に誘われた。

私が幼少の頃親父がにわとりを飼っていた。
ある時市場に毛をむしられた鶏がショーウインドーに
並べられてるのをみて、強烈な印象をうけたのを覚えている。

そんな関係で鶏を食べないことにしていた私であるが、
昨夜鳥料理を食べに連れて行かれた。

またまた新しい味覚をこの年になって覚えてしまった。
ホルモン的なものは食べられないが、モモ肉を濃厚なタレで
食べる味はまさに美味であった。

動物は生きるための狩りはするが、それ以上の狩りはしないと聞く。
しかし人間は悦楽のために殺すこともあると聞く。
人間ほど恐ろしい動物はいないのではないのだろうか。

飽食の世の中、食べ物を捨てるという事実がある。
生かさせていただくために命を頂く、
その精神を忘れてはならないだろう

与えられた命をいただくのであるから、
おいしいと感謝し大事に食したいものである。

昨夜のとりさんすみません。
おいしかったです。



今日はまだまだ雨。
お寺の前に観光バスが止まっている。
この雨の中どこへ行かれるのであろう。

過日、当寺も日帰りバスツアーを催したが、
雨には降られず何とか助かった。
文化資産である閑谷学校見学、
そして素晴らしい紅葉が目に焼きついている。
時にはこうした癒しの世界があってもいいだろう。
されど世の中には明日のために頑張っており、
そんな時間を許されない人達もおられるのであろう。

〜心の余裕〜
その前には金銭的な余裕も必要であろうが、
なにもお金をかけずとも野に山にそして街の片隅にも
心を癒せる景色があり、風があると思う。

草木や動物の動きにも目をやって欲しい。
そして豊かな心を養っていただきたいものである

しとしと降る雨の中に、感ずるものがあるはず。
水溜りの中にも、何か小さな小さなものが見えやしないか?



ひと雨ごとに秋が深まっていく。
どんよりした空。
その中に野球に行く孫が走っていく。
雨も何のその、真っ赤なユニフォームに自転車にうち跨り、
バットを背負っていく。
彼の頭の中には、一点の曇りもなく真っ白な空であろう。

私もその昔、親から怒られようがどつかれようが、
勉強を一切せず、何の躊躇いもなく剣道に打ち込んでいた頃があった。
早それから50年、真っ白なキャンパスは、今や真っ黒けになっている。

人生というキャンパスに人それぞれ、色んなことを書いてきたはず。

老境に至った小生、この黒いキャンパスをどう取り扱っていくのであろう。
孫の世界はこれからであろう。
世の若者に期待したいものである。



住職も69回目の誕生日を迎えた。
今年はどうしたことか、たくさんの方が「おめでとう!」の言葉や、たくさんの花や品々を頂いた。
そしてまた、夕方には二十数名の職員や客人が
それはそれは賑やかな誕生会パーティーを開いて下さった。
いまだかって、こんなにたくさんの人たちや有志の者から祝ってもらったことはなかったが、
たいへん賑やかな一日だった。

人から愛されることや、人との付き合いとは難しいものではあるが、
その中でこうしてたくさんの方々から祝ってもらえる果報者だと嬉しい限りである。
世の中には人知れず亡くなりそのまま荼毘にふされる人もいるのに、なんとありがたいことか。

今日は机の上に花が、そして贈り物が積まれている。
あと何回、誕生会を迎えることができるのか?
日々研鑽したいものである。


 

今月は行事が多大なり

昨日、日帰りバスツアーを開催した
今回は備前の紅葉を散策、そして旧閑谷学校の見学をさせて頂いた

残されたる文化、そしてまた先人が残してくださった心遣いをひしひしと感じ取ることができた
あのような閑村に文化の礎を築いて下さったこと、これまた驚きである

このような、目に見えない文化を我々も育み温めていかねばならないだろう
私にとっても良い刺激を与えて下さった、参加して下さった老若男女もきっときっと感じ取って下さったのではないだろうか

年二回の小旅行ではあるが、この親睦は大いに深めていきたいものである



当寺ではいろいろな活動をしている中に、毎週月曜日
月曜会と称し、囲碁同好会を開催している。

今日はその集大成となる囲碁大会が開催される。
日頃の研鑽、誰が優勝するのか。

住職は囲碁を打つというものの、サービス係、
私とあたった人は星を一つ稼げて嬉しいはず。

とにかく今日一日楽しんで頂きたいものである。






久しぶりに堺支坊に来てみた。

なかなか堺支坊で泊まることは少ないが、
堺は小さな式場が7つ8つある為、
業者さんからの依頼で部屋を使うことがよくある。

昨夜も2回、電話で起こされた。

業者さんは、こんな深夜に稼働している。

私は起きて、部屋の鍵を開けるだけであるが、
夜起きるという現実が相当の苦痛である。

本当に巷では、職種職種によって、
頑張っていらっしゃるという事実を知らされる。
世の中のお父さんは、こんな目に見えないところで頑張っているのである。

お父さん、体に十分気を付けて、頑張ってくださいね。
お母さん、お父さんの知らない世界、理解してあげてください。

今日も、お父さんは死にものぐるいで頑張っているんですよ!
寝食を忘れて。


 

今日も素晴らしい秋晴れ。
山門を開けると清々しい風が頬をなでる。
国旗と仏旗がはためいている。
今日も胸をはり、前向きに生きていけそう。
今日一日、今こうして生かさせてもらえる喜びを旗のひらめきにみることができる。

我が寺では祝日だけではなく、毎日国旗・仏旗は仏教徒である喜び、
また日本人の誇りとして掲揚している。

国旗を揚げることが、なぜ軍国主義になるのか?
私には分らない。
日本人の誇り、その根幹が国旗ではなかろうか?

昔、船員さんから聞いた話であるが、遠く異国へ離れて
寄港地で停泊している船に国旗が燦然と輝いていた。
そのはためく国旗をみただけで、
ジーンと熱いものが感じられたと聞いたことがある。

学校においても国歌斉唱しないと言っている先生がいると聞く。
私には考えられない。

国旗、国歌、そして仏旗、
胸をはって見上げられる自分を私は自慢にしている。

難しい問題もあるようだが、純粋に日本人として誇りを持ちたいものである。


 

18禁という単語を知ってるか?
そんな言葉を耳にした。インターネットって恐ろしいもの・・・
こんなことまで、家庭の中まで入り込んでいた。

節度という言葉はどこに行ってしまったのだろう。
以前マンションのポストにいかがわしいチラシが
軒並み入っていたのを目にしたことがある。
私も大好きなそんなチラシであるが、子供が目にするポストに
なんのわだかまりもなく投函されている事実にびっくりした私。
されど、インターネットではモロに見られる事実・・
どこまで行ってしまうのであろう。

過日孫が残虐極まりないゲームをしていた。
厳しく叱ったが、性にしろ暴力にしろ節度を越えてはならないだろうか?
紙面をにぎわす犯罪も、根本はこんなところからおかしくなっているのではないだろうか?
陰に隠れてしまっては出ない明るさも必要とはいうものの、

あからさまにしては情緒も何もあったものじゃない。
日本には燦然と輝くワビ!とサビ!の世界がある。


 

昨日とは打って変わって、今朝はどんよりした空模様。
人の心も同じように変わるもの。
人生もこれまた同じか。

真っ暗な夜も必ず朝が来る。
辛い日々も必ず明るい日差しが射すはず。

幼き頃、寒村で育った私、
地平線の彼方に沈み往く太陽の燦然と輝く光に
神秘感をもった頃が思い出される。

雲間から大空へと放つ光が、仏様の後光に思えた。

その幼き頃の神秘感は薄れてしまっているが
やはり、大空に放たれるあの太陽の光は
夕日か何かを思い起こさせるであろう。

これからは一雨ごとに寒さを増すのであろう。

睡眠、休養をとり、健康管理に気をつけ、
年末に向かって頑張って頂きたいものである。




心配していた雨も去り、秋冷とはいえ真っ青な空の下、
老若男女、600数十名の参詣をみた。

参詣の後、生かされている今を感謝しつつ、屋台に舌鼓を打ち、
耳にはヒトエマブターズのライブ、フリーマーケットを冷やかし、
茶席でお抹茶をすすりながら、秋の一日を楽しんでくださった。

当日は、泉北の身障者施設の方々のご協力を頂き、
クッキー、焼きたてパンの販売、用意していたトラックいっぱいの
トイレットペーパー、フリーマーケットの品々、
すべて完売という嬉しい話。

世話人達のご苦労と、参加者に対して感謝の思いいっぱい、
近隣の方達には迷惑をかけたことと思いますが、
この場を借りてお礼とお詫びを申し上げたい。

当寺は考えられる色んなことにアタック!
みんなに愛される寺を目指していきたいものである。

関係者各位、本当にありがとうございました。
明日からまたこのブログもサボらないように頑張りたいものです。

あまり期待しないように・・・。




出発は次元の低いことから始まった。こころ塾開催、第31回を終えた。
「継続とは力なり」とよく言ったものだ。

住職の他愛のない話、涙あり笑いありなんて恰好のいい話、
なんの教養も知性も磨かれるようなそんな話は全くない。
ただただ2時間楽しく遊んでもらおう!という趣旨にのっとって開催してるだけ。

なにか世の中に逆らっての話が多いのか、怒りをぶちまけ、笑いを誘いそんな事だけではあるが、
よくまぁ集まって下さるものだ。
今回も100名ほどの参加者を見たが、私としては本当にありがたいものである。
おべんちゃらであっても「第4水曜を楽しみにしている」なんて言われたら、
舞い上がって喜んでいる天然ボケの住職。

一人家の片隅でテレビの番をしてるような、そんなさみしい生活ならば、
満面の笑みを浮かべて、どんどん外に出るきっかけを見つけていただきたい。
私自身毎度のことながら、何を話していいのやらと思うばかりではあるが、
ただただ皆さんと眼を見ながらお話しをし、悩みをぶちまけ、怒りをぶちつけ、
共に泣きたいものである。

暇人よ来たれ!悩める者心を開け!怒れる者ぶちまけよ!
みんなみんな私が引き受けます(^^)


 

まさに台風一過、点には雲一片もなく、すがすがしい朝だ
都会の煤煙は吹き飛び、木々は青々としている。

過日のPET検査で胃カメラにて、内視鏡検査をせよとのこと。
己の胃の中をガサゴソやるらしい。
68年使ってきた体、探せば何なり故障もあるであろう。
あと何年、生かさせてもらえるのか。

遍照金剛と言いながら、病気になれば
それなりに上手にお付き合いしていきたいものである。
与えられた命、与えられしまま、
お任せしてピンピンコロリとなればいいが・・・

家内曰く「あなたのような根性悪い性格のたうち回って死ぬ」らしい。
己自身、どんな死に方をするのか見て見たいものである。
何とも与えられたままで良いのではないか。
宮沢健二はこんな考えでいたのであろうなぁ。

雨にもマケズ、風にもマケズ、行くで!!



甘露の法雨という言葉がある。

私にとって今朝の雨は本当に有難い雨。
当寺はエコ寺院と称し、太陽光発電は無論のこと、
雨水も貯めている。

特に無精者の住職、植木に水をやらなくても良いのが助かる。

次元の低い私、阿弥陀様の世界から見れば、
人間生活、全てこんな狭い中にあせくせやっているのでろう。

しっとりと降る雨に草木は目覚める。
人間の施す水なんて微々たるもの。
浅はかな感覚であろう。

これからは一雨ごとに寒くなる。
季節が移ろう中に実りの秋を感じ、 心豊かな生活をしたいものである。


 

孫が事務所でパソコンをおもちゃにしている。
機械に慣れることは良いことであろう。

パソコンは若者の必需品の一つになっている。

当寺もIT化、システム化に取りかかっている。
お寺がシステム化なんて考えられないかもしれない。
檀家管理、会計管理、すべて機械化することにより、かなりの事務簡素化が捗っている。
お参りの予定は無論のこと、檀家の一件一件の情報、また預骨の管理、
全てはこの機械がなければ到底管理できないだろう。
近い将来はパソコンによってお参りができるようなシステムを考えている。

なれど、全て機械化してしまう中、忘れてならないのは心の問題だろう。

えてしてそういう問題は忘れがち。この心を忘れてしまったら、
何事も上っ面だけの処理に終わり、皆はついてこないだろう。

いつの世になっても、どんに便利になっても人と人との触れ合いは大事にしていかなければならない。


 

久しぶりに旧友から懐かしい電話があった。
思っていたら、これまた学生以来のお付き合いの旧友よりうどんの贈り物。
嬉しい限りである。

学生時代、何の躊躇いもなく口角泡を飛ばし激論した仲間。

社会に出るとあきらめや遠慮が出たりしてなかなか自分の思いを主張しようとしない。
あの純真な真っ白な心はどこにいったのだろう?

そんな仲間が久しぶりに語り合う言葉は何の利害関係もなく心をさらけ出して喋れる。

そんな若き頃の想いを語り合うことが少なくなった昨今
やはり旧友は心を温めてくれる。

今日も空は青空。天高く青色が目にしみる。
今日の一日、心豊かな思いであってほしい。

・・・また語っちゃったなぁ。


 

僧侶といえば概して短髪をイメージするが、浄土真宗では長髪を認められている。
住職もその昔、オールバックにしていた。

僧侶として目覚めるなんて大それたことは思っていないが、
若き頃から、いつの間にか短髪にしていた。

早い話が、整髪がめんどくさかっただけのこと。

わが寺には現在、22名の僧侶が在籍しているが、
彼達も、いつの間にか頭を青々として刈り上げている。

お育て頂いて僧侶としての自覚が出来てきているのであろうか?

その昔、恩師から「僧侶はご門徒さんが育てる」と聞いたことがある。
「井の中の蛙、大海を知らず」と言われるように
寺の中に住み、ふんぞり返っている人がいなければいいが…。

と、反省絶えず目はご門徒さんの方を向き何を求めているのか知らなければならない。
と、思っているが果たして…


 

わが寺では、雅楽を吹けるよう、お朝晨(朝のお勤め)のあと練習している。
流れゆく時を静かに感じ、静寂の本堂に厳粛さを醸し出している。
今日は太鼓も叩いてみた。
響き渡る静寂の中にメリハリがあり、太鼓の厳かさを感じていた。
一日という時間の中に太鼓のようにメリハリある時を感じとれたら、
人間として生活にうるおいを持てるのか?

空には薄雲が流れている。
この雲も鰯雲になるのが近い。
サンマを食し、柿を食らい、秋の味覚の醍醐味を味わえる好季。
一年の集大成を食を通じて感謝したいものである。


 

まさに秋晴れ。
青空のもと、今日はまた清掃奉仕活動のため三々五々集まってきてくださっている。
小さな活動であるが根付いてきているのか。
こつこつをモットーとしている我ら、ありがたいことである。

なのに、またまた四日間もさぼっちゃった…。

この間、野放図に生きている住職であるが、PET検査とやらを強制的に行かされた。
なんのことはない検診。
年なりに、それなりに
年をとっていってるだけ塩分を控えよう。
もっとやせろ。
腹八分目、そんなことはとうにわかっとる。
わかっていながら止められない。
これが塵沙の惑。世の諸師達よ、どうしたらいいんだろうね?
わかっていながら止められないこの事実。
でも努力だけはしよう。ね!


 

連休は明けた、
企業戦士は今日もまた突き進んでいくのか。
それぞれの思いは、ただ単なる金もうけと言うのではなく、
使命感に溢れ、心にいろんな思いを込め頑張って下さるのであろう。
人には与えられた使命があるはず。
その使命感に溢れて頑張れる人こそ、まさに社会人と言えるのであろう。
空は天高く、空気の澄み渡った好季、
心晴ればれとして前向きに生き現役を終えた者は、
それはそれなりに人の為世の為何かが出来るはず。
そういうのを掴んで人生を歩んで頂きたいものである。
自分の明日の為に。


 

天高く、青空にくっきりと浮かび上がる伽藍に今日も朝から、
響き渡る声明の声、聞き惚れる諸僧の読経は、たくましく、
三々五々スクーターに跨り駆け抜けていく。
今日も元気な朝の風景。活気のあるお寺である。

一昨日、昨日、の両日、雅楽の研修を行った。
北九州より、娘婿と友人が二人してみっちり教えて下さった。
当寺の楽人は11名居る。二日間の研修ではあるが、技術向上は目覚ましいものがある。

堂内に、響き渡る楽の音は、秋の空に響き渡り、厳粛な雰囲気を醸し出している。
眼にはくっきり浮き上がる伽藍。
緑の庭樹。
耳には心洗うような音色。
香しい香り。
なにか霊験な世界に入り込んだような落ち着いた気分になる。
寺院の、雰囲気とはこんなものか。

鹿威しの軽やかな音が響き渡り、静かな時間が流れていく。
こんな、時を過ごせるのも贅沢な時間であろう。
有難いことであろう。



久々の台風、最近はあまり体験することがない台風であるが、
やはり自然の猛威惨憺たるものや、自然の恐ろしさをまざまざと見せつけたものだろうか。
わが寺において、被害はなかったが仏旗が引きちぎられていた。
なんか象徴的なものが無くなる。
新しく仏旗を掲揚するも、我が心としては身を引き締め掲揚した。

遠い空には真黒な雲が飛んで行く。
雲の向こうには青空があるのか?

自然を受け入れ、自然を愛し慈しむ先に、
己の心も磨かれるのか?

風を感じ光を感じ、心の安らぎを得たいものである。



あっと気がつけば中秋の名月も過ぎ去っている、訊けばとても綺麗なお月さまだったらしい
私にとっては月は「月」ではなく「お月さま」であるかぐや姫の帰って行った里、
うさぎさんが住んでいる家、メルヘンチックな世界を醸し出してくれるお月さま、そんな風情はどこへ行ってしまったのであろう

一昨年、回廊から見上げる美人松の枝から垣間見えた月は神々しいものがあった
お寺の堂々とした伽藍、梵鐘や参門を神々しく照らし出す月、そこに佇む世界は霊験な世界であった、
でも今年は残念であった

明日は台風が来ると聞く
自然界には人間の力の限界がある、先人はそういう世界を祟りと見たのか
我々人類は地球を荒廃に導こうとしている、自然界の脅威が増したこと、これこそまさに天罰か

我らは少しでも出来ることをとエコ寺院を目指している、ゼロに等しい活動であるかもしれないが…



朝起きて、植木の水をやり、無精者の住職。
苦になる日課の一つであるが、目覚めて戸を開け雨が降った気配。
滅茶苦茶、儲けたようなあさましい根性。
こんなことで喜んでいる住職、ちっちゃいな〜。
当寺は、エコ寺院を目指し、太陽光発電、最大9キロワット。
雨水の有効利用の為、タンク設置。
移動は、エコ運転に徹して頑張っているが、この雨水のおかげで
水の大切さを知らされたことは、大きな自意識、成果だと思っている。
ちっちゃなことからコツコツと、言い古された言葉であるが
本当にみんなが意識改革すれば大きなエコ成果となるであろう。
エコ寺院なんて、なにかおこがましいような気がしていたが、最近は活動の一端として
立派に成果が上がっているような気がする。日曜日の朝、近隣の人たちが集まってきて
ゴミ拾いをする。こんな行為からもみんな自意識が高まっているような気がする。
なんでもありの西栄寺、やったるで〜の西栄寺、
こんなやんちゃなお寺であるが、コツコツとやって行きたいものである。



またまた、3日もさぼっちゃった・・・
多忙という名にかまけ、己のいい加減さが如実に現れたのか。
毎日の生活の中で最低限これだけはしなければというのが誰にでもあるはず。

こんなブログでも見ていて下さる方がいるのは本当にありがたいこと。
朝、机に座り直感したことを述べてるだけ、
その中に人として感じるものがあれば幸いである。

今日は私の机に小さな花駕籠が飾ってあり、
淡いバラの花が私に微笑みかけてくれている。

一輪の花も今日この日の話の為に咲いてくれている。
人それぞれ誰かの為に咲きほこってほしいものだ。
あなたという一人の人は、きっときっと誰かの為に役立っているはず。

一人の人が百人の為に、百人の人が千人の為に・・・・



窓を開けると、昨夜から一変雲ひとつない空に、国旗と仏旗が青空にはためいている。
爽やかな風は頬をなぜる。木々の緑は青々と目にうつり清々しい思いだ。
若き僧は、たくましくスクーターに跨って行く。
今日もそれぞれの思いをはせながら頑張ってくれるのであろう。
今日も、どんな人が来て下さるのであろう。
悩みを持ち、又は喜んで、御礼に来て下さる。千差万別。
心開いた、寺として親しみやすい寺院でありたいと思っている。
境内に一歩踏み入れ何かしら心に思うものを感じ取り持って帰って下されば、
有難いと思っている。なにげなく立ち入れる境内。
何事でも、相談してくれる寺でありたいものである。



月末になり、請求書が回ってくる
1ヶ月のお世話になった、諸々、業者さんにとっては、
この1枚の請求書に生きがいを感じ、仕事を成し得た喜びの成果であろう。
私たちにとって誠心誠意対処して下さったお礼の極みであろう。
請求書を出す者、戴く者、共にありがたく対処できればこんな素晴らしいことはない。
兎角すると支払う者は、上からものを言いがちであるが、
感謝の無い支払は生きた成果にはならないであろう。
気持ちよく仕事をして頂き、喜んで支払えるそんな素晴らしい果実を得たいものである。

昨日は、今月第3回目のお見合いバスツアーが挙行されたが、
7組ものカップルが出来上がった。
縁結びの寺として活動させて頂いているが、
何も男女の縁だけではなく、人それぞれのご縁を大事にしていただきたいものである。
合計、48組のカップルなれど、
お会いして理解を深めそのご縁を大事にして、
より良い人生経験を積んで頂きたいものである。
仕事においてもカップルにおいても、相手の立場を見ながら行動するところに
より良い関係が生まれるはずである。
今日は、秋雨。
しっとりとした風情。
そんな事をそっと心に問うのもいいんではないだろうか。



秋と言えば運動会を連想する
子供達の純真な姿を思い出すから、そしてそこから運動会にひたむきさを連想するからこそ心和むのであろう

68歳になった今思うに、その純真さを思い起こすことそのものが無くなってきている
今を愛し、風を感じ、時には月の明るさを見上げ…
時にはそんな心落ち着いた風情に浸ってみたいものである

まもなく中秋の名月か、今年こそ月を見ながら一句ひねりたいものである

わが寺には月一度第4水曜日に句会を催しているが、あまり立派な作句が出来ていない
されど上手下手は別として句を醸すという風情に浸るのもまたオツなものである

昨日は今月第2回目の中高年お見合いバスツアーを催したが8組のカップルができた
清々しい想いで見送ったが、落ち着いた心豊かなカップルであっていただきたい
そして、二人して来たるべき中秋の名月を眺めていただきたいものである



毎週日曜日になると、近隣の方達が集まり、
地域の美化運動の一環として、ゴミ拾いの為に集まってくる。
孫の手を借りながら、揃ってゴミ拾いをするこの家庭には、
絶対に非行なんて起こらないであろう。
おじいちゃんからコツかれ、おばあちゃんから怒られ、それでも孫はついて行く。
こんな素晴らしい家庭は、一朝一夕にしては育たない家庭愛であろう。
ゴミを拾うという行動の中に培われていく家庭環境が本当にうれしい。
ゴミ拾いをした後、これまた本堂に集まって茶話会の花が咲く。
日曜日の朝は忙しいが、住職としてこの輪に加わる楽しみは、また、格別である。
世間話や住職の悪口で花が咲く。
こんな素晴らしい集いは類を見ないであろう。

また、今日は、今月第2回目の中高年お見合いバスツアーも開催され、
今回は果たして何組のカップルが生まれるであろう。楽しみである。

あ〜忙しい、忙しい。



西栄寺本坊三年経った。
毎日掃除しているが、やはり汚れが目立つ。

今日は、塗装屋さんの浜川さんが来て奇麗に廊下を磨いて下さっている。
彼は、奥さんを亡くしてずっと一人で頑張って来ている。
いつも「一人はあかんよ」と言っているが、頑なに一人で頑張っている。
彼との付き合いも20年が経た。
人の心は、千差万別、されど彼は変わることなく接して下さっている。
俗に言う、本当にいい人。なかなか時間が経つにして変わっていくのが人間関係。
彼のように純粋に生きて行かれたらこんなに素晴しいことはないであろう。

寺の汚れは、掃除すればきれいになる。
自然のくすみと詫び寂のある寺院を目指したいものだ。
内面の汚れた僧侶には成りたくないと思っている。

兎角、隣の芝生は奇麗に見え、妬みしょねみを持つのが人間。
純粋な心で接し、人の幸せを喜べる人間でありたいものだ。

浜川さん、元気に頑張ってね。
そして、世の中の全ての浜川さんのような人、多く育ってほしいものですね。



お勤めが済み机に座ると、若者が冷たいお茶を持って来てくれた
いつも「アンテナを立てよ」「空気を読め」と言っている私、人に言われずとも周りの人を喜ばせられる自分でありたいと常々思っている
人によってはそんな気を遣ってばかりいなくとものんびりやれば、という意見もあろう

少なくとも私は、今朝の一杯のお茶がどんなにか心和ませてくれ、潤いのある雰囲気を醸し出してくれているかということに嬉しくてならない
たった一杯のお茶であるがそこから生まれる波紋の拡がり、素晴らしいではないか
今日も一日アンテナを立てて見廻していきたいものである。



 

こころ塾開催が終わった、毎月第4水曜日の10時が楽しみと聞くと大変嬉しい
たわいもない住職の話ではあるが、楽しみとしてくれる方達の心が本当にありがたい

近隣のご夫妻が今朝も散歩に来て下さった
彼岸花満開の庭に佇み談笑、住職としてもこの語らいが好きである
木陰の風が頬に心地良い
時は静かに流れ移ろいゆく日々の生活、人と触れ合い花を愛でる心の優しさの中に住まわせていただく喜び、大変得難いものである
いつも見守ってくれている仏さんがあるからこそこんな時間が流れるのであろう

今日も一日、仏さまの大いなる手に抱かれて…



今日もこころ塾が始まる。
毎月思うことであるが、私ごときの者の話、良く来て下さると。

有難いことである。

されど開催日目が覚めると、今日は何人来て下さるのだろう、
私のような者の話、聞いて下さるのだろうか。
少なくとも帰りには、何か一つでも心に思う事を感じ取り、
何かを持って帰ってほしい。と思いながらも話のネタを何にしようか。
結果的に毎月これと言ったネタもなく、話の思いを述べるだけ。
もっともっと味のある話をしたいものだ。
ただただ、都会の片隅にじっとしておられる人が、
一人でも二人でも、少なくとも私と接しられる時間を持ってほしいものである。

外の世界を見て下さい。外はあなたを待っている、きっときっとそんな世界が開けるはず。

それでもなければ、門を叩いて頂きたいものである。

おとうさ〜ん!

おかあさ〜ん!

お会いしとう存じま〜す!




新入僧、本日、研修期間が過ぎ、初めて法衣を授与した。
彼にとって、僧となっての意気込みはきっと意気盛んなものがあり
僧としての自覚はきっときっと崇高なものを掲げているであろう。

思い起こせば四十八年前、初めて輪袈裟を拝受した時を思い出す。
私は、衣を着て、当たり前のことであるが、その当たり前のことが出来ない事実。
出来ていない諸師を見て思ったことであるが、衣を着て、「足を崩さない」「お勤めする時は
全身全霊を傾け礼拝する」今は考えられないが「たちしょんべんはしない」
この当たり前のことが五十年昔はよく目にすることがあった。

こんな思いで来ている私、新入僧を見て、自分自身、慣れの世界に甘えていないか
考えさせられる時を与えてもらった 。
何気ない素振り何気ない言葉見られているのだなあ。

襟をたださなくっちゃ。



第7回目、ほのぼの倶楽部(中高年お見合い倶楽部)開催となった。

朝から老老男女ご参集。
みんなそれぞれ、きらめくものが拝察できる。

一人で生きていくのは絶対だめ。

支える者、支えられる喜び、互いに見つめあうその心が大事なのであろう。
ときめく世界。こんな世界があるからこそ、
日々が楽しく生活できるのであり、前向きの生活が出来るはずである。

その心の余裕が仏様の世界であろう。
時間が流れる中に、心豊かな生活を送って頂きたい。
秋晴れの中、「お見合いツアー」思っただけでも楽しいではないか。

今日の夕方50名の見合いの中、何組カップルできるのか楽しみである。

私自身、心はきらめいている。

ひょっとしたら、一番楽しいんでいるのは私か・・

う・れ・し・い



今朝も、わが寺の僧侶がスクーターに打ち乗り颯爽と次々と出て行く。
頼もしい限りである。若者は、若者なりの信念を持ち頑張ってくれているのであろう。

週刊ダイヤモンドに、西栄寺は、全国ランキング169位のランク付けを戴いた。
宗教法人数は18万法人ほどあるらしい。
彼たちのお陰で設立26年を迎えた。
若い法人であるが、彼たちのお陰でこんな名誉を戴いた。
きっと彼たちも、いろんな批判中傷の渦中にあるであろう中に、
信念を貫き、壇信徒の心を揺さぶり、噴気して来てくれたのであろう。

「出る杭は打たれる。」先人は本当に上手く言ったものだ。
されど、私は、「出すぎた杭は打たれない。」と思っている。

これからも、しょねみ妬みに打ち勝ち
討たれれば討たれるほど強靭な精神と、
胸襟を正した仏道を精進したいものである。

本論は民衆は、何を求め、何をして欲しいのか、
目線を下げ民衆に溶け込み、心を掴みたいものである。
ぬるま湯に浸かることなく日々刺激がある生活が楽しくてならない。

世のお父さんたちよ、周りの敵に打ち勝て!
あなたの後ろには、あなたを信じてついてきてくれる人が必ずいてるはず。
いわんや、妻や子は絶対にあなたの背中を見てくれているはず。
ご苦労様です。世は連休の真っ只中。その連休を楽しめる人はこれまた幸せ。
反面、連休なんのその、額に汗し鉢巻きして頑張っている人もいるはず。

おとうさん。ありがとう。



目覚めれば、布団が無い。
ベットから落ちた布団を引っ張り上げながら、季節感を感じる。
あんなに暑かった夏が、軽い布団を欲しくなる。

移ろう季節の中に、生活感を味わっている。
日本には、この四季があるからこそ風を感じ、花を楽しむ。
月を愛ぜる心豊かな人間が形成されるのであろう。

今や、食材は季節感が失せてしまっているが、悲しい現実であろう。
住職は、下衆な人間であるが、花鳥風月を忘れてはいない。

院の庭には、季節の花が楽しませてくれるが、
それも、早朝水やりをしている中に、花々が愛おしく思えてくるのである。

北海道から美味なるものを送って下さった。
北の地は、早、秋の風が吹いているのか、

我々都会人には、自然の厳しさが分からないであろう。
その中に、培ってきた人々の苦労が偲ばれる。
周りの人に生かされている私達を知ろうではないか。
ありがとう。



昨夜、お付き合いがあり、串焼きを食べる機会に恵まれた。
酒が飲めない小生、とかく飲み事といえば避けてきた私。
こういった類の物を口にすることはなかったが、色々二十数本たいらげてしまった。
世の中には、こんなに旨いものがあったのか、と感心。
野生動物のハンティングの真意を見たとき、弱肉強食のむごさを見たとき
顔をしかめた小生。
人間は、調理という手法によりそんな酷さを見ないが、
考えてみれば人間が一番恐ろしい動物ではないだろうか、
野生動物はお腹一杯になれば、それ以上は狩りをしないと聞く。
人間は快楽の為に殺すという事実がある。
ほんとに恐ろしい動物である。
口に食するとき、与えられた食物の尊さを考えたいものである。
といって、私は昨夜、串焼きを感嘆しながら食べた事実。
あ〜いやだいやだ。
己の醜さ、あさましや。



我が家に病気の猫がご在宅
猫にとってのエイズのようで、発症すると免疫性が無くなり、小さな傷でも治らず死に至るという恐ろしい病気
猫以外にはうつらないらしいが色んな病気があるものである

自然界で生活する我々、自然に打ち克つ免疫というものが我々には備わっているはず、免疫性を高め自然治癒を根本に考えたいものである
外敵の強い攻撃力にいつでも打ち克てる、そんな頑健な体でありたい
お医者さんの助けを借りながら、根本は内面からの自浄作用していきたいものである

住職として絶えず攻撃にさらされている昨今、イジメられればイジメられるほど強くなる
だからこそ今日があるのか



住職68歳。西栄寺設立26年目に入った今、
思うに、精悍に立ち上がったあの頃、
「忘れる」という言葉は、ありえなかったことだと思っている。
忘れる、思い違い、勘違い、物事に大きな影響を与えている。

そんな痴呆の始まりか。いやなことだね・・

現実は、忘れることの多さ、我ながらあきれ果てている。
周りの者にそんなことは、おくびにも出さず、我を張り、虚勢を張り、張ったりをカマシ、
あたかも元気の塊を見せているが、本音はぼちぼちだなあと思っている。
されど、この想いはずっと持ち続け、精神だけはしっかと根付かしたいと思っている。

今日は母の命日。
お灯明を見ていると、仏様の光を感じ、仏の愛を見つめているような気がする。
仏の愛と、母の愛は、同じように表現されるが、母の愛をしみじみと感ずる今朝である。

鬼の目にも涙。
先人は、うまく表現したものだ。
家族の愛、友愛、人間界にはいろんな愛があるが、
これも大事なものであるのは間違いないが、
仏の愛は、永遠である。



ゴーストライターという単語を今朝聞いた。
あらゆる紙面に著名人が素晴らしい事をかいていなさる。
当小寺もいろんなことを書いているが、対比するに次元が低いことしか書けていないのである。
当小寺にはゴーストライターはいないが、住職として朝思いつくまま書きなぐっている。
私の想い・感じたこと、次元が低い私あまり人間性豊かなことは書けないが、
人と人とのふれあいを大事にしている。
著名人たちの文章の中にはゴーストライターが書いていることもあるらしいが、
私はそんなことはしない。
あるがまま、見たままを感じ、拾うも捨てるもおのおの面々のお計らいにまかしたい。
これからはひと雨ごとに気温が下がるのであろうが、
私の思いとしては日々熱く語りたいものである。

たとえ瞬間湯沸かし器と言われても、想いは大事にしたいものである。



晴天続きの残暑、諸兄毎日ごくろうさまです
早朝、植木の水やりが日課となっているが、今朝はやり終わった途端待望の朝だちが来てくれた
なにか今朝の水は勿体ない想いになるが、植木にとってはまさに慈雨であったであろう

仏様の教えもこの雨のようにゆっくりじわっと味わえるものであろう
親の教えはまさにこれ、後でゆっくり効いてくるものである
仏様の世界こんなふうに心から味わえたら本当に幸せである



今朝の頬を撫でる風は清々しく秋を感じさせた。
澄み切った空には、ほうきではいたように薄い雲がたなびいている。
あんなに暑かった夏も過ぎようとしているのか、家の草木も心なしか息を吹き返している。
朝やりの水で小一時間庭木を愛でているが、草木の一本一本が愛おしく逞しく、
本当に可愛いものである。

天台大師は「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」といわれ
ありとあらゆるものは山や川に至るまで、仏様になれるとおっしゃられたそうです。
にわんや風を感じ花を愛せる私たちが仏様になれないはずがない。
ただただ私たちはその仏性が眠っているだけである。

諸氏よ起きろ!目覚めよ!そして奮い立て!
なにをしてるのだ?時は今しかないぞ!
一刻一刻を大事にせよ。今日の明日は無い!
心せよ



今朝は、ミニ法話で、人に施せる喜びの話があった。
我が山門を叩いて弟子入りした彼。元は英語の先生であったと聞く。
人にはいろんな思いがあるのであろう。
その彼が、施すという言葉を口に出来るようになった成長がうれしい。

わが寺の山門を叩く人が多いが、
いざ入門して、僧侶が育っていく姿をみるのがなかなか難しいが、
現在22名の僧侶が活躍して下さっている。

住職の力なんて微々たるもの。
彼たちの才覚は大したものである。
それぞれ今日に至っている中に、
彼たちの今までの生い立ちを偲ばせ垣間見ることもあるが、
本当に素晴らしい人材に育っていってくれている。
住職は大したことないが、お陰で安心している。
今日も住職は、朝寝朝酒やりたい放題。



私はあまり機械の事は分らないが、
この頃なんでも、オークションとやらで、なんでも手に入るらしい。
検索して、自分で欲しい物が見つかれば、それはそれ、便利なものであろう。
反面、興味本位に覗いてみると、こんな物が、と言うような下らない物まで並んでいる。
時代の変遷とともに私たちはついて行ける者、また取り残される者、千差万別。
私は後者の方であろう。
温故知新。こんないい言葉もある。
なんでも捨て去るのではなく、古き物も生かしていきたいものである。
侘びと寂びの世界。これこそ真に、我々日本人にとって究極の世界であろう。
のほほ〜んと生活している私。夜明けの行燈か。



30名の職員を抱えている西栄寺であるが、
それなりに、大なり小なり事故はつき物である。
過日、寺の廊下でスッテンコロリン、肋骨にひびが入った、らしい。
本人、激痛を我慢して出勤してきたらしいが、アウト・・
1週間目に出勤してきた。やはり痛いらしい。
本人は、自分が出勤しないと寺は回っていないと思っているらしい。
果たして?
それはそれ、昨日の話ではないが、人の価値観を決めるのは仏さん。
みんなそれぞれ、仏の子。
私など、親父からどんだけ殴られたか。
そんな親父も去って久しいが、親父の意志は強固な思念があったと信じている。
その信念を、貫いていきたいものである。
殴られて、殴られて、でも、親父を憎むことなんてありえない。
愛情を持って、行動をとれば、きっとその子は育っていくはず。
やんちゃな私。でも、優しい心。人に施す心。そんな言葉を大事にしている積り。
赤鬼、青鬼になることもあろうが、そんな親父の心を忘れてはならないであろう。
巷では、やっぱり赤鬼は赤鬼か、そんなうわさもチラホラ。



手元に不動産の評価証明が届いた
文面にすると「証明書」のたった三文字であるが天下にまかり通る証であろう
なれば住職の証明書は一体誰が出すのであろう
私には証明書という書類は無いが、絶えずご門徒さんが育てて下さり、ご門徒さん自身が出してくれるのだと思っている
謙虚に耳を傾け、目線を合わせ、絶えずご門徒さんに愛される住職でありたい
きっと一生証明書を貰えないかもしれないが精進したいものである

演技者の住職、仮面をかぶった住職、どこまでごまかしていくのか
住職の内面夜叉の如し
諸氏よ仮面を剥げ!吊るし上げよ!
ありがとさんです



このお寺にはいったい鍵がいくつあるのだろう、鍵を整理していたらふとそんなことを思った
2年半前この寺を建立したとき、「塀はいらない、来る人みんないらっしゃい、目線を下げてみんなが親しめる寺でありたい」と願っていたが、防犯という現実を鑑み、それならばと参門を配し勇壮な構えとなってしまった
防火を主眼として鍵どころかガチガチにセキュリティーまでしてしまった
鍵の無い生活、そんなこと都会では無理なんだろうなー

心の鍵はしっかと閉めて寺の防犯は開けっぴろげ、そんな心の豊かな人達の集まりで支えあえる、そんなことも考えてみたが…あー悲しいかな現実の生活は厳しいもんだ、あけっぴろげな住職も心が痛む
鍵の無い生活、そんなこともたまには考えてみたい
こんな堅い話住職らしくないな



わが寺の職員の子供さんが肺に水が溜まるということで昨日から手術をしているらしい
まだあどけない子供がバイパス手術とのこと
車の故障ならば部品を取り換え事なきを得るのだろうが、人間の体はそう簡単にはいかないものである
怖じ気づくことなく手術に臨めるその姿、私には考えられない
精神的な負担は残らないだろうか

この68年生きてきた私、おかげで親から頂いた健康な体を無償で使わせて頂いている
これといった病気もなく今日まできているが、どこかに節目があるのであろう、頂いた命を自然に受け止め、このままあるがままに生かさせていただき、その時が来るまで元気でおりその時がきたらサッと逝きたいものである
憎まれっ子世に憚るという憚ってもいい、生き抜いてやるゼッ!
同志諸子よ憚ってやろうゼ☆

… でも、その時は出来るだけゆっくり来て……ね?



我が寺においては現在、僧侶22名が活躍しておられるが、
ほとんどの者はいつの間にか丸刈りにしている。
門を叩いた時には、ほとんどの者が長髪であったが僧侶として自覚していくのか。
人それぞれ専門職に技術を磨いていくのであろうが、
その自覚とはご門徒さんが教えていって下さるのであろう。
瞬間湯沸し器の住職も僧侶として既に48年。
亡き人に教えられ、ご門徒さんに教えられ、育てて頂いたのであろう。

今朝も榎本主任との雑談の中、我々はいつ誰に見られても恥ずかしくない「行動」を、
との榎本主任のお言葉。
住職はいつまでたってもヤンチャな住職。
こんな住職ではダメだぞ。
元気はありあまってるがこのエネルギー、いい意味で活かしていけたらいいなぁ〜。

先輩諸氏、住職を育てあれ。

平成21年9月2日 水曜日


給料日が無事過ぎた。
早朝の植木の水やり、すがすがしい風が頬を撫でて行く。
三々五々、法務員が集ってくる。

1ケ月の給料の為に、働いてるとは思わないが、
自分に出来る技量を最大限に発揮し、
お父さんたちは今日も颯爽と駈け出して行くのであろう。
その駈け出して行く後ろ姿は輝いている。
輝きのある人たちは、本当に頑張っている人たちであろう。
給料の為に働いている人は、きっとこんな輝きは見えないであろう。
お父さん、今日も頑張ってね
あなたの後ろには、お母さんが、そして、子供たちが、あなたの背中を見ているのです。
お父さんの後ろ姿、きっときっと光り輝いていることでしょう。

空は真っ青。住職の顔は真っかっか!!
だから住職は赤鬼か・・青鬼か・・


お盆も終わり
少し落ち着いてきたか。
されど、ふと足元を見れば、多忙という名の下、おもしろ一言も忘れがち
数少ない愛読者?からお叱りの言葉。
嬉しい限り。私のような者の一言を待っていて下さる方がおられるという事実。
本当に申し訳ありませんでした。
今後、出来るだけ休まないようにと猛省しております。
喉元過ぎれば熱さ忘れる私。
自覚している私。
救いがあるのかなあ・・
人には厳しく、自分には甘い、こんな私。
みなさん、叱咤よろしくお願いします。
では、また明日から・・・


外には男にとって、七人の敵がいるという。
お父さんは毎朝、その敵に向かってまっしぐら。
右に左にはったと切り返し、勇猛果敢に突き進んでいく企業戦士。
家に帰れば、妻が子が待っていてくれる。
だからこそお父さんは頑張れるのであろう。
妻や子に見せられない時もあるであろう。
でも、お父さんは頑張っているんです。
逆にいえば、お父さんは、男として、社会人として、
自覚と責任を持って行動していただきたいもの。
老年剣士、住職もそんな思いがあるが、時として忘れがち。
お母ちゃんの手の中でころころ転がされながら、なんとかその手から逃れようとやっき。
所詮、赤鬼住職。いつまでたってもお釈迦様の手の中から逃れられない。
窓から見える朝顔も凛と咲き誇り、彼方の向日葵も今日も天に向かって咲き誇っている。
こんな向日葵大好き。


6時前、山門を開けた。
開けると同時に爽やかな風。
お盆が過ぎ、早朝の風は残暑を忘れてくれるような爽やかな風であった。

まだまだ残暑厳しいことであろうが、
この極楽の風を体感し、幸せ感を味わさせていただいた。
そよぐ風、やわらかな日差し、こんなことを先人は、
嗜む心を養っていたのであろう。
我々日本人の培ってきた、侘びと寂びの世界。
花を愛し、風を感じ、五感に優しい想いを養ってきたはず。
その先人の想いを大切にしたいものである。

住職、とかく世間の悪世にとらわれがち、目を三角にしがちな生活。
こんな優しい一面も持ちたいものだ。

今日も向日葵は天に向かって笑っている。


お盆が済んだ。

正月に神道に改宗していた人が、お盆になって仏教に戻ってきた人たちが、
人それぞれ、ご先祖様の御足を辿ってくれたことだろう。
この人たちは、年の暮れになると今度は、クリスマスでクリスチャンになるのであろうか。
なにはともあれ、例えレクレーション的な感覚であっても微笑ましいことだ。
昔ながらに、なすびの牛に乗って、ご先祖様が帰ってきて下さる。
そんなメルヘン的なお話を、孫と夢物語に語っている、
そんな風景を思い出せば、楽しいじゃないか。
人間が月に足跡を残して久しくなったが、
私としては、やはり月にはうさぎさんが餅をついている世界、
また、かぐや姫が帰ってきなさった、
そんな世界を、なぜか今日は、心優しい赤鬼さんになっている。
時にはこんな時あり、また時には、瞬間湯沸かし器になって赤鬼、青鬼になっている住職。
これまた、楽しいじゃないか。


68歳にして、はじめた剣道も素振りをすると、
今日もたちまちマメができてしまった。
息はあがり、汗はだらだら、喉はカラカラ、情けないことである。
親父から殴られ、ドつきまわされても、勉強せず、剣道に狂っていた私。
こぼんちゃんと言われながらも、「赤胴鈴之助だ!」なんてイキガッテいた美青年の剣士。
一体何処に行ってしまったのであろう?

ただ素振りをしただけで、マメに悩まされ、息あがってしまう老年剣士。
あぁ〜嫌だ嫌だ…。

意気込みだけは一人前。
剣道衣に着替え、袴をはき、颯爽たる姿。
見せかけだけの老年剣士でいこう!

我が家の犬も年老いてきた。
住職も年老いてきた。
意気込みだけは盛んである。

老犬モンと共にかみついていくぞ!
先輩諸氏よろしく。



本堂の仏様の前にはお中元の品々が届いている
それぞれの想いを籠めて仏様にお供え下さったのだろう
お盆となり、それぞれの想いがこういう形として表れるのだろう
人によってお盆に臨む想いは十人十色、その想いによってそれぞれ形が異なってくるのであろう

せめてもの心の救い、やすらぎを求めて人それぞれ、お盆の祭り方は違うであろうが、仏様はいつも私達を照らして下さる、これを遍照十方世界(へんじょうじっぽうせかい、「遍」の字は正確にはぎょうにんべん)という
でも、仏心のついた昨今、やはりお盆には仏様が帰ってきてくれると思いたいものである
形はどうであれ、せめて彼の人に会える喜びを感じ取ってもらいたい
母も去って2回目のお盆、何をか感じるや、母のことをいまだに引きずっている赤鬼の住職
まさに鬼の目にも涙か…


台風が来ていると聞く
西の空はどんより。
その中に、長靴を履き、合羽をからげて、颯爽と諸僧はスクーターに跨り走っていく。
頼もしいじゃないか。周りから注目の当寺。いろいろ言われているようであるが、
真正面からぶつかり、伝導という名の下に意気揚々と励んでくれている。
それぞれ僧として、末席を汚しながらも生きがいを感じてくれている。
庶民の目線に立ち、解り易い寺として奮闘している。
意見も多々ござろうが真摯に受け止めていくつもり。
新しい時代の寺院経営を目指して、僧括はじめとして獅子奮闘。
新しい世界を目指す寺院として、叱咤激励あれ。
いろんな話、お聞かせ下さい。
聞く耳は持っているつもり。
より多くの知識を得させて戴きたいものである。



甲子園が、燃えている。
全国の若人の結晶。
野球に興味の持たない者も、高校野球は見るという方もおられるようだ。
純粋に情熱を傾むけた全国の精鋭が、純粋に傾倒するから魅力があるのであろう。
涙して甲子園の土を持って帰る者。
歓声の包まれ喜び勇んで帰る者。
悲喜こもごもであるが、共に純粋という汗は称賛してもし尽くせないであろう。
若人よ、時として世間の煩わしさもあろうが、我ら心の汚れた者の指針たれ!!
住職も燃えているぞ!!奇しくも、開会式が私の剣道再開の初日となった。
早速、豆が出来た。イタイイタイ!でもがんばるで!!
68歳の抵抗か。果たしていつまで続くことやら・・・・・


わが寺はエコ寺院を目指してがんばってるつもり
最近はエコという言葉をあちこちで使ってるが、
はたして成果は上がってるのであろうか?

住職はスイッチ一つ忘れてもやかましい。
こんなちっぽけなことと周りの者は言ってるだろう。
が、そんなちっぽけなことが基本中の基本であろう。

「たえずアンテナを立て空気を読め。周りに目配せをせよ。」
こんな言葉が事務所内では飛び交っている。

本当にうるさい親父だろうなぁ。
みんなに好かれるなんて私は思っていない。
嫌われてなんぼ!と私は思っている。

いいのよ。影で悪口いっぱい言ってちょうだい。
どうせ私は嫌われ者(^へ^)


 

ものの見事な真黒な大きなスイカをたくさんお供えして下さった。
こんな見事なスイカを作るのに、
どれだけの労力を、惜しみなく愛情とともに注いで下さったのだろう。
供えて下さった檀家さんは、岸和田で農家をなさっているが、
真黒に日焼けした精悍な方である。
作物が出来るという喜びを感じ、それを生きがいにしていると聞く。
人の喜びは、希望と興味を持って、前向きに生活している事であろう。
昨年、北海道に、鉄馬に跨りツーリングをした時に、
傳助スイカという北海道の珍味を味わったが、
負けずと劣らず立派なものである。
まだ、お供えのスイカは味わっていないが、
食べた時、きっときっとアゴが落ちるのが心配。
アゴを支えて、早く食べて見たいものである。


 

わが寺には二十数名の僧侶が活躍してくれている。
別に私は剃髪しなければならないと言ったわけではないが、
ほとんどの僧侶は年を重ねるごとにいつのまにやら丸刈りにしてきている。

寺に来ていただいた時は一人の社会人として入ってくるのであろうが、
僧侶として自覚して僧としての基本を自然と学んでくれているので あろう。
私にとってはいっさい言わない中にこうして小さなことから学んでいってくれる
彼達がかわいくてならない…

という私はその昔から丸刈りを通してきているが、
お坊さんであるから丸刈りというわけではなく、
めんどくさいから丸刈りにしているだけである。

すなわち見せかけだけの坊主??なのだろう。


梅雨明けが遅れている。
各地で豪雨。
それに伴って、被害が甚大な様子。
本当に気の毒なことである。
心からお見舞い申し上げます。

自然災害は天の怒りと解した先人、まさに人間の傍若無人を表しているのか。
人間界この地球を制したと思いがち。
何事もおごるものはどこかでしっぺ返しがあるのであろう。

西栄寺は前にしか見てこなかったが、
謙虚という言葉を噛み締めなければならないのか・・・
住職の性格として、足元を見るという言葉を忘れているのか・・・

今日の向日葵は、雨に叩かれ、でっかい花が下に垂れてしまっている。
添え木をして、頭をあげてやったが、
なんだか私自身を物語っているような気がしてならない。

今日は住職、少々んでいる。


庭の向日葵が笑っている。
特に今年の向日葵は、横を向いてではなく
45度上を向いて高らかに笑っているように見える。
私の心を見て笑ってくれているのであろうか。
先を見つめることは出来るが、先を見透すことはできない。
仏の知恵は、真にこの力であろう。
先のことはわからない、生かされている命を大事にし、
今を生ききったことが大事なのであろう。
それが向日葵の咲く姿ではないだろうか。
緑色の葉っぱ真黄色のコントラスト。
素晴らしい世界じゃないか。
盛夏に負けず、風にゆられ、ギラギラと照りつける中に
たくましい力。悠然と立つ姿に心打たれる。
多々苦難があるが、打ち勝って行きたいものである。
ただただ、歯を喰いしばって・・・・



今朝は、頂いたトマトのジャムをつけて食べてみた。
やはり私は古い人間だろう。ジャムとはイチゴジャムしか知らない。
料理家からいえば何でもジャムはできるのであろう。
こういった視野の狭い世界に住んでいるのであろう。
何事も自分の住む世界に没頭してしまい他の世界を見ようともしない、
人生観が狂ってしまうのであろう。
専門職は専門職として、当然その世界は突き詰めていかなければならないだろうが、
視野の狭い世界におってはとどまってしまうであろう。

やんちゃな住職「何でもアタックしてみよう!」という精神、
大事にしていきたいと思う。
あまり変な方に行かないように、諸師先輩方よ住職を見はれ!

とかくすると、お母ちゃんの目を盗もうとする。
くわばら、くわばら・・



 

今朝はなぜか、5人の僧侶が事務所にたむろしている。
美男の男、それなりの男、精悍な男、わが寺には、総勢22人の僧が活躍してくれている。
武道家もおれば、文人もおる中、立場立場で活躍してくれている。
人それぞれ、顔が違うように本当に素晴らしい人材だと思っている。
住職は、ただの凡人だが、彼たちの非才をふるに発揮させ、才能を引き出し、
幾重にも寺を守ってくれている。頼もしい限り・・か・・な??

みんなみんな、ありがとう。(^人^)


 

朝のりんごは「医者いらず」ときく。
堺なかもずに昨夜から来ている。
朝食とは名ばかりのみんなでお供物のおさがりをよばれた。
寺の者は昔からこうして仏様のお蔭をこうむっている。
仏門内においてはお仏飯に育てられたという言葉がある。
はたして謙虚にそのお供物で生かされている僧侶と自覚している僧侶は何人いるだろう。
とかくわれわれは単語だけ理解して、本当にわかっていない。

寺の中でふんぞりかえっている僧侶はいないか、己に聞いてみたい。
いわずとしれたわたくし、お恥ずかしきことかな…時として赤面することばかり。

ああ…だから住職は「赤鬼」といわれているのだろう。


 

中村美津子のコンサートに行った。
老老男女何百人居たことか。
過日は大月みやこも行く機会があった。
共に、大物歌手。

私は芸能界の事は全く解らないが、でもあれだけの集客力。
さらに聞いている我々を引き込んでいくあの力はいったいなんだろうか。
2人を比べるに、違った持ち味を持っている。
共に見ている間にオーラというものだろうか、ぐいぐい引き込まれていく。
私は毎月、こころ塾を開催しているが、小1時間しゃべる中に
絶えず聴衆に目をやり退屈させていないか、眠らせていないか
目やりながら話をしている。
毎月来て下さるのに、なんとかしてこちらを向いて下さるように苦心している。
あの大物たちの自然に引き付ける力、本当に尊敬する。
私如き、しゃべりの中に少しでも心を傾倒してくださればと苦心しているが、
本当に難しいものである。

やはり、住職の浅知恵か。

それとも、毛が三本足りないのか

それとも、三本どころか、年と共に毛が抜け続けているためか。

こんな住職なれど、来たれ、若人よ、また昔若人よ!!


近隣の橋本氏より頂戴した月下美人が、
遅く帰った野獣(住職)を迎えてくれた。
目に豪華な華麗なる花。
香りもほのかな高貴な香り。
香しい香りに包まれた部屋に入れば、

野獣、一たまりもなく、コロリンコン・・・・・

古より、花の命の儚さを歌った歌人は、
きっとこの香りと、豪華さに驚嘆したのであろう。
桜の花、夕顔といった花々は、
ものの哀れを美となし、日本人の心をくすぐる。
だからこそ、人知れず咲く花に次元の高いものを求め
崇高な感覚が養われたのであろう。
住職のそのような!?、
そっと可憐に咲く花々を、感ずる心は持っているつもりだが
人はなぜか野獣という。
見ていないところで、そっと咲く淑やかものを求めていたいものである。

例え、瞬間湯沸かし器、野獣と言われても・・・・・


第31回こころ塾が終わった。
今回は花柳龍幾次、花柳興桂、各名取師のご協力により、歌手北野ゆきさんの
華やかな舞台の日本舞踊を 総勢12名という豪華メンバーであったため、
大幅にレクリエーションは広がりすぎたが、無事終了することができた。
これまた楽しいひと時であった
こんな華やかなひと時があってもいいんじゃないだろうか

例によって住職節!何の他愛のない話。
それでも今回も100名余の聴衆がお目見えになった。
都会の片隅に息を潜めて生活することなく、こんなやんちゃな話、
人によっては賛否両論あるが、華やかな舞台。これを楽しむもよし。
毎月第4水曜、楽しくひとときを過ごしている。
どうぞ意を決して来て下さい。
寂しい人、辛い人、話好きの住職お待ちしてます。
辛くても辛くても、きっと必ず解決します。話ししましょう。
あなたの目を見、真剣に話し合った時解決の糸口があるはず。

今回は某テレビ局のバラエティ番組の取材もあった・
浪花っ子らしい受け答え、例によって住職ノリにノッテいた。
会場にも大阪の「たなかはん」のおばちゃんも沢山いた。
これまたノッテたよ〜!

9月初旬の放送予定、これまた面白くなるか。


今日は、皆既日食とやら。

これでも私が、子ぼんちゃんと言われた幼き頃←「おはずかしい」
田舎で、鼻タレタわんぱく小僧が、なにか暑かった頃と思うが、
ガラスの破片に油煙をかざして見たほのかな思い出が残っている。
私は天文学は一切駄目であるが、幼き頃の貧乏な田舎育ち、
良き思い出としてほのかな温かみを感じる。
こんな日食という、大ニュースなのに、
それどころか明日食う米もない貧乏生活のことが思い出される。
新しい世界、前向きな世界。前向きな生活を考えねばならないのに、
住職の世界感は、全く無知無能の世界。

みなさん、
ニュースをください。
刺激を与えてください。
ショックを与えてください。
さすれば、無能な住職も奮起する。

やんちゃな世界は留まる事はないが、もっと次元の高いものに高めたいものだ。

みなさ〜んよろしく!!

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…


「おもしろ住職」と検索すると西栄寺が出てくるらしい
それによって今度は某テレビ局から取材の申し込みがあった
どうやら有名司会者のバラエティー番組だそうな

私は普段から社会的に感じたこと、日々心に思うこと、政治的な怒り
そんなことを思ったまま述べているだけである
亡父から絶えずのたまわれたことをそのまま実践してきたが、
親父の教えが効いているのだろうか

どうやら僧侶としての資質が問われるのか、
お恥ずかしながら仏様の教えを説いたことはあまりない
こういう面から見ると失格坊主であろう

世の中隅々まで見てみると、とにかく言うこと為すこと腹が立つことばかり
まかり通らぬことが通る世の中
大きい声を出した奴が勝つ世の中、頭にきっぱなし
政治から社会面に至るまで嘆かわしきことばかり
あ〜頭にくる

そのうち私自身がプッツンとなるのか
そのときは皆さんよろしく (・_・)ノ

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…



人それぞれ、職責というものがある。
自分の立場が、今どのような立場にあるのか、
社会から必要とされている立場をわきまえ、
その仕事に興味を持って熱中できた者が、社会の中に伸びていく素因である。
おのずとしてそれが、楽しみながら仕事が出来るリーダーとなっていく行くのであろう。
言われた事やるだけ、親方日の丸的な感覚で仕事している者は、
決して楽しんで仕事をしていないだろうし、その人はそれで終わっている。
だから、自然にその人は不満ばかり募り、感謝という単語が忘れ去ってしまう。
世の働く人よ、働けることを喜ぼう!それが、己と会社が共存できる源であろう。

大いなる光のもとに日々生活している。
その大いなる光とは神仏であり、太陽であり、また時には親や友人であろう。
その光を忘れてはならぬ。

解っているのに住職は、朝寝が好き。朝酒が好き!?%$#。
そんな精神が大らかな心を養うのか。

それだけで終わってはならぬ。
大らかな上に繊細な心を持ち、先を見通す目を養いたいものだ。
他人に厳しく、己にやさしいグウタラ住職。

で、終わりたくはないと思っているのだけどな〜・・・・・・

(実のところ、住職は顔に似合わず一滴もお酒は呑めません←チクリ僧括吉田・・へへへ)



お供養させていただくのに、いろいろな方法がある。
その一つ、読経であるが、
今からお供養させていただけるという思いを込めて、導師が発音すのであるが、
その第一声が心を伴わないと、あとに続く役僧たちはだらだらとなってしまう。
何事も、その思いを心して取り組む必要があろう。
人間得てして、私のように他人に厳しく己に優しくしてしまうのであるが、
その心たるや己に厳しく取り組まなければ何事も大成はしないであろう。
今朝も、近隣の方たちのボランティアさんが、道路のゴミ拾いに行ってくださっている。
これとて、ほんの小さな事であるが、
継続している事実は、やはり、来てくださっている方の決意があるからであろう。
継続は力なりとは、良く言ったものだ。
最近は、あまり、ゴミが目立たなくなった。彼たちのお陰で啓蒙運動が実っているのであろう。

ズボラな住職。私一人だったらきっとゴミ拾いはしないであろう。
みんな来てくれてるから、わたしもつられて行っているのが実情であろう。
情けない住職。
ひ弱な住職。
みんな支えてね!!


わが寺には、書道家の藤井師がおられる。
その昔、専門学校在籍中、共に机を並べて、筆を握った仲間。
師は、書道家として大成。今や、書家として、京の都に名を轟かせている。
方や、住職は、ミミズと曲がった釘を上手に使い分けている。
よくこんな住職にお位牌を書いてもらっているもんだ。
すみません。されど、書道は全くの苦手。今日も私の机上には、師からの
書けよ励めよと手本がそっと置いてある。これも彼の心の優しいところか。
根性の悪さか。あ〜嘆かわしカナ・・
僧侶の見本は、朝早く起き、庭の掃除に励み、書に親しみ、勉学に励み
これが、僧侶の見本だろう。あ〜つらいつらい。
私はやはりいつまでたっても僧侶には成りきれないのであろう。
人には厳しく、己に優しい住職。
ごめんなさい。気持ちだけは前向きに取り組みます。
根性のない住職。


今まで、眼科に行った事は無かった。なのに、机の上に目薬がある。
過日、とうとう眼科に行った。立派な老眼だと言う。
私の歳からいえば当り前であろう。
なのに、今まで眼鏡をかけたことがなかったので
そんなんこと思いもとらなかった
そういえば、過日友人より、鼈甲の眼鏡を貰った。
高価なものであるが、使うのはまだまだ先だと思っていたのに
眼科医は、眼鏡をかけよとのこと。
お釈迦様は、仏教の根本、四苦「生老病死」と説いた。
私の老眼も、いよいよだな〜。
その内、おむつの御厄介にならなければならないのであろう。
あ〜いやだいやだ。
ピンコロリンと往きたいものだ。
家内の言によれば、私などのたうち回って死ぬらしい・・・
それはそれ、私は仏様に任している。
以前にも言ったが、まだ誰一人戴いていないが、目下香典募集中。
よろしく。


またまた、母の命日。
三回忌も過ぎ、何か大きな仕事を成し終えた、そんな気分であった私なのに、
母を思うと、やはり未だに引きずっているようである。
みんなそれぞれ、憎しみをなくしつらい目にあっているのは私一人ではない。
そんなこと解っているのに・・・・
朝早く、鈴虫の音色が、悲しく聞こえる。
まさに、鬼の目にも涙か。
マザコンではなかった私。
もっと優しい言葉を掛けてあげればよかったと後悔しきり。
そんな私も、前向きの人生。
昔とった杵柄。意を決して六十八歳にして剣道を再開することにした。
果たして、どこまでやれるのか。
その昔、赤胴すずの輔だ!!と自称していた豆剣士。
今度は、老体に鞭打つ老剣士。大丈夫かな〜。


世間は不況という。
企業戦士の方々は、この炎天下、東奔西走、額の汗を拭いながら、
颯爽と、駆け抜けていく。
この方々が、ボーナスを貰えるのは、一体何人おられるのであろうか。
世の奥様方よ、ご主人のその姿を後ろから手を合わせて今朝は見送ったか。
お父さんは、あなたの為に、子供の為に、頑張っているのです。
あなたの笑顔と、子供の笑顔と、そして、冷えたビールの一杯を楽しみにして
きっときっと帰ってくることでしょう。
お母さん、帰ってきたお父さんを労ってやって下さい。
あなたの一言が、お父さんは絶対明日は、また頑張れる糧になるでしょう。
ちなみに、当小寺も、今日はボーナス日。
夕食の、お父さんの食卓には、一品足してくれるのか。
住職としては、少額なれど、今夏のボーナスを出せた事を喜んでいる。
ボーナスも、出せない業者もいると聞く。
みんな健全な生活を送って頂きたいものである。


毎朝行っている晨朝勤行であるのが、月水金は、雅楽を練習のために付けている。
今朝は、堂内に鳴り響く笛の音に合わせ、一段と鈴虫の音が大合唱している。
そのためか、内心夜叉の住職も、心和らげたのであろうか。
後、これまた諸僧による、ミニ法話を聞かさせていただいている。
今朝は、当番が松井師であったが、
「かけた情けは水に流せ、受けたご恩は石に刻め」この言葉は知っていた私であるが、
今朝この言葉を聞いた時、身の奮わんばかりの感激を得た。
同じ言葉を聞くのも、心の持ちようでこんなにも違うものか。

鬼の目にも涙か!!

夜叉の住職も逆に内面は、優しいんだぞ。

こんな面も知ってほしいね。



朝、事務所に下りてくると、有象無象僧侶達の目が一斉にこちらを向く
僧侶として人それぞれ、若き僧、頑健な僧、初老の僧がいるが、その目には色々なモノが含まれている
笑顔で向く者、何か訴える眼差しの者、色々な想いがあって一日が始まる

人にはそれぞれ大なり小なり悩みがあるもの
その悩みを如何に受けとめるかによって変わっていくのでろう

親父からよく言われたこと
「迷ったらまず止まれ」
色んな想いがあるであろう、でもそれはそれ
一生懸命立ち向かっていくところにきっときっと解決策があるもの
ようは如何に立ち向かっていくかではないだろうか
当西栄寺もガムシャラに頑張ってきた

昨夕は讀賣新聞に掲載された
「中年の婚活」を大きく取り上げてくれた
これとて住職のヤンチャな精神から始まっている
「出会い」ともすれば変に誤解される要因もあろうが

世の中には寂しい人がたくさんいる
楽しい一時を送って欲しい、ただその言葉からの発端
寂しい者よ、意を決してダイヤルを回せ、ヤンチャ坊主がたくさんいるぞ
あなたのその孤独感に共鳴し共に語らってくれる人はきっといる筈

楽しい話をしよう、待ってるゼ☆


早々と生まれた鈴虫が、堂内に響きわたる音色の中、

庭の鹿脅しが、これまたのんびりと響き、

朗々としたあさの勤行が、私の心を凛と張りつめさせる。

仏の光明の中に照らされる喜びが、堂内いっぱいに満ち満ちて厳粛な雰囲気が漂っている。

僧籍の末席を汚し、はや四十八年。

読経に良い眩しいばかりの仏の光の中に、生かされている幸せ。

読経の度にそんな思いが起こる。

そんな私も、俗世間に汚され時としてやんちゃな生活

これまたいいか・・あんなんもあり、こんなんもあり。そんなこともあっての人生。

楽しく行こうね!!ゆっくりとあるがままに生かされて行こう。


わが寺の鈴虫はまだまだ小さく、またまた武田氏が20匹ほど持ってきてくださった。
でっかいのにビックリ!夜になり我が寺院の隅々に至るまで、
ただ一匹であるが堂内に音色が響き渡っている。

リーン・・リーン・・・

なんと素晴らしい音色だろう。
この音色は心乱れっぱなしの住職の心、そして堂内に凛と張り詰めた空気をも、
いよ張り詰めた心にまさに癒しの一声である。
鈴虫という虫の名前もさることながら、本当に素晴らしい。
日本の情緒、遥か彼方に思い起こさせる一声である。
早々と鳴き始めた虫。
これから次から次へと、この堂内をそして道行く人々の心に響くであろう。

虫さんありがとう( ´∀`)


鬼の霍乱という言葉があるが、とうとう住職もへばっちゃった。
寝込んで3日目、熱が下がらない・・・
知恵熱が出て68年、これまた下がらない。
困ったものだ。

煩悩の世界真っ只中。
「愛欲の広海に沈没し」と親鸞聖人はおっしゃっているが、
聖人は反省があるから血の滲み出るようなことをおっしゃったのであろう。
我ら、煩悩の世界に翻弄され 日々生活を送っている。
熱にうなされながら、いろんなことを考えた。
ただただお恥ずかしい事ばかりなり・・

明日こそは元気になるであろう。


お中元の季節、手土産にチョコレートを頂いた
生チョコレートは私の好きな食べ物の一つ、世の中にはこんなおいしいものもあるんだね

食べ物の甘いのはいいが、甘い話には裏があるらしい
住職も大好きな「人の不幸は蜜の味」
甘い話、おいしい話、そんなもの絶対にあるわけがない
これほどまでにそう言ってきた今日だが、新聞紙上を賑わす詐欺の話の根源は、やはりこのおいしい話から始まっているはず
人は一人では寂しいもの、心の迷いの中に潜む怪しげな黒い影、そこにつけこんで利用しようという族、絶対に許せない
騙した奴が悪いのか、はたまた騙された奴が悪いのか
住職のような悪い奴が世間にはうぞうぞ住んでいる
善人諸氏よこんな族に騙されるな、他人の用意したおいしい話とかは絶対に在り得ない
悪い住職であるが、人間コツコツやってきた者が最後には勝つと信じている
生きていくってしんどいなぁ〜
悪人諸氏よ一度住職を騙して笑ってやれ


短気者は己では短気と思っていない
住職自身まさにこれに該当するであろう、どうやら巷では瞬間湯沸し器と言われているらしい
その湯沸し器も温度調整が付いている
最近は文明の利器もだんだん改良されているであろうが、私の湯沸し器は死ぬまで直らないであろう
「血圧あがるよ」 「体に悪いで」
多々言われているが、人間の性格なんて中々変わらない
人には厳しく己に優しい、これがモットーの住職であるが、あわれなるかなきっと住職も沸点を越えてプッツン切れるのであろう
その節は皆さん宜しくお願いします
目下香典受付中
ありがたや、ありがたや〜
でも、精進致します
関係諸氏、すみません(≧v≦)


事務所から見る朝顔は、
情緒豊な可憐な花が咲き乱れている。

我が事務所にも二輪の花が・・・・

花はいいものだ。窓の外の朝顔も事務所のバラも・・・




人生の裏表、真っ白な紙なら当然文字は表に書くであろう
私達が見聞している人生も、これまた人間の表の世界か
だから「表面」というのか
私達はこの「表」を見ている私の眼が正しいと思いがち
裏面に秘められた形の無いもの目に見えないもの、作家達はそれを読んでもらいたいのだろう
私は特に、あまり着飾らない裏面の恥ずかしい部分に至っても、隠すどころか誇示して面白おかしく生きようとしている面がある
先輩諸氏よ、己を着飾っても所詮それはそれ、いつかメッキは剥げるもの
誠心誠意人に接しよ、そして、自分にあるものを少しだけ人に与えよ
与える喜びを感じ得た者は最大の果報者であろう
住職の仮面も剥げ、裸にせよ
きっとメタボの標本が現れるだろう
そんなもの見たくもないが…


あ〜あ。今日は給料日だ。

1ヶ月なんてあっと言う間に来る

巷では、奥様が、
きっときっと、この日のご主人のお帰りを待ち焦がれている事であろう。
世の女房族よ、お父さんは七人の敵を相手にして奮起しているのだ。
奥様方、ご主人の活躍ぶりを知っていますか。
きっとお父さんは、嫁子供に見せられない所で涙しているのですよ。
ある時は、痛風に悩まされ、ある時は、精神的ダメージを受け、
打ちのめされよう時もあろう。
それでもお父さんは、
立ち上がってファイティングポーズをとって、まだ戦っている。
また、ある時は、白いものを黒といわれても、反論の一つも出来ず、
最近では、奥歯が半分擦り切れている。

それでも、お父さんは、貴女の顔を見ると、にっこりにっこり。
家の中も、会社の中も、貴女の微笑が、世の中の花が咲くのです。
おかあさん、世の中の花をいっぱい咲かせましょう。

また、来月の給料日のために。

平成21年 6月30日 火曜日




日本文化には多種多様の良い文化が残されている。

私の机の上には、辻井師の書いた俳画が飾ってある。
出来るだけ簡略化され点と線の描写であろうが、心温まる俳画である。
そこには鼻緒の切れた下駄が転がってる単純なものである。

「七ころび ころんだまま見る 青い空」

ほのぼのとしたものである。
こんな単純な事であるが、私にはそんな能はない。
人それぞれ目に見えぬ力みなぎっている。

亡父の言によれば、私ほど馬鹿はいないらしい。
どれほど殴られて、どれほど鴨居に吊るされたか・・
こんな悪たれが住職している。
亡父は彼世界からから大笑いであろう。
こんな私にも何が取り柄だろう?

いくで!いくでぇ〜!



総勢32名に支えられての西栄寺、誠実を以って25年目を迎えているが人種的に見ても多種多様、色々な経歴や経験を持った人がいる
だからこそ十人十色、虹色の特色を持ったお寺になっている
最近に至ってはITに長けた人材も確保できた
西栄寺は時代の先端を歩む必用は無いかもしれないが、先を見つめた寺院経営を目指さないと時代に置いていかれてしまうであろう

私の学生時代の友人でもある藤井師も、やがて80歳になろうとしているが血気盛ん「やったるで」精神が旺盛である
住職も負けておれない
私にとって僧侶として尊敬できる人であり、いつも思うのであるが私が彼の年になった時、藤井師のように元気でいられるのであろうか
精神も健全であれば、肉体も剛健でありたいと思っている
お付き合いして48年、目指す人のいるということは有難いことである
私も、後からついてくる者で、私を目指してくれている人が果たして何人いるだろうか
おるや否や?
一人くらいは…
平成21年6月28日 日曜日



鳥羽には、海の幸が迎えてくれた。
あわびが、最盛期という。
夜には、目にも胃袋にも、ご満悦な一夜であった。
友人との語らい、日頃、なかなかゆっくり出来ない日々であるが、
本当に身も心も、ほっこり。
こんな至福な時間を持たせていただき、翌日昼には、これまた
食べきれない極上の海産物。
旅館の窓より見ていた沖合いでも、海女が潜ったり上がったり大変な苦労であるようだ。

食卓に並べられるまで、どれほど多くの方の苦労が有るのだろうか。

小生はあまり肉は食べないが、ある、コマーシャルに出ている。
昨日も書いたが、捨てるところは無いはずの牛さんが、かなり無駄に廃棄されているようだ。
与えられた命、最後の最後まで、有効利用させていただくのが、我々の使命であろう。

表面だけを見て、それを批判する輩がいる。

真髄を理解し、物の大切さ、命の尊さを見極めて頂きたいものだ。
あらゆる命をいただいて、我々は生きている。
その根源を理解し、命の尊さを見ていただきたい。

住職、メタボの代表者。

快食快便、快睡眠、今日も寝て寝て寝まくって命の尊さを考えることにしよう。


では、お休みなさい。

平成21年6月27日 土曜日




今朝は眼下に広がる大海原を眺めている
凪いだ海には漁船が点在し、場所を定められた漁場でアワビ漁をしている
アワビ料理なんて我々庶民の羨望の味覚、今が旬らしいがこの美味なる食材、海の幸として最高のものであろう

我々は生かされているということをこの頃忘れがちである
生きとし生けるものは他の生命を奪って生かされている
焼肉のコマーシャルに出ているが、これとて我々が生かされているということを認識してもらいたいがゆえに、敢えて衣を着て出ているのである

食材を捨ててしまっている我々
食材の一片も無駄にしてはならない
与えられた食べ物は命を奪ってしまった食べ物、大事に大事に頂こうではないか
獰猛な野獣はお腹一杯になれば他の命を奪わない
人間は命を奪うことにより悦楽に浸る感有り、何たることや
諸兄よ、他者の命の大切さを知れ
飽食の世の中を今一度考えよ

眼下では素潜りで頑張っている姿が見える
昨夜食した料理本当に美味かった
ありがとう


第30回目のこころ塾も無事終えた
前回同様100余名の聴衆の参加を見、住職としては嬉しさの極みである
「楽しい一時」それだけを求めてきたが、果たしてみんなの心の癒しとなっているのだろうか
私にとってはあのおじさんの笑顔が、あのおばさんの微笑が私自身を癒してくれている
一人一人のお顔を拝見し「生きている」、この実感は何物にも代え難い
また来月のこころ塾の約束をし、三々五々帰路につく姿を拝見すると、それぞれの生活の輪に戻っていく姿が見える
その人その人の人生に幸多かれと祈らずにはいられない
堀井さん、おばちゃんまた来月会おうね
今日もありがとうね



今日もこころ塾が始まる。
毎月の事ながら、想いは焦れど、話す言葉が見つからない。
よくまあ、こんな事で毎月勤まるものだ。
今や100人前後の方達が、話を聞きに来て下さる。
ほんとにありがたい事である。
毎月、皆さんは、どんな思いで御参集下さっているのだろう。
今日で30回目。よくまあ続いて来たものだ。
第2部として、あれこれある中に「句会」がある。
これまた毎月、投句しているが、始まる直前になり、数だけ投句して
責任を果たしているものの、まともな句はなく、その場をその場を誤魔化している実情。
私の人生そのもである。
よく父は、演技をせよ、騙し続けよ、それが出来ないからこそ一生懸命まじめにやれ、それしかない。
と、言われてきた。意に反して、おやじの半分のいいつけを守ってきている。
住職の仮面をはがせ!下には何があるのか、本人いわく通り内面夜叉の如し。
そのものか。


私の老体が老鉄馬にまたがり愛車「ゴールデンベンツ」=(ミニカ)で疾走する・・・
こんな老鉄馬は、25歳をこしているが、最新鋭のETCとカーナビを装備している。
カークーラーは音ばかり・・・実際は窓を開け 「強制空冷」の車中だ。
こんな老鉄馬はまさに「ゴールデンベンツ」よく走ってくれるものだ。
最近は「エコ」と称し使えるテレビも、地デジ対策で買い替え、テレビも冷蔵庫も廃棄されているようだ。
?ナ・ナーニーガーァ 「エコ」 ダーアーァ
またまた住職の瞬間湯沸かし器が煮えたぎっている。
この瞬間湯沸かし器のお湯をリサイクルし使って住職は動いているらしい?!



我が家には二匹の犬がいる、いったい何代目の犬だろうか
今は老犬になったが、この犬も番犬としては賢い犬だ
平静は素知らぬ顔だが、いざ鎌倉となるとけたたましく吠え激しく威嚇する
これを見るや不審者は身がすくむであろう
犬の世界も人間と同じ、震災後仮設住宅に取り残された人間のエゴの遺産、本人にとっては本当に迷惑千万
とうとう寺に居ついてしまった犬であるが、本当に可愛いもんである
今や耳が遠くなり、目はしょぼつき、だがいざとなれば瞬間湯沸し器のごとし
この老犬「モン」が早いか住職が早いか、同じ瞬間湯沸し器同士勝負!
モンよ頑張れ、俺も頑張るゼ☆
悪人世に憚る、なんといわれても生きてやるゼッ!!


既に梅雨に入っていたが今朝の雨、いよいよ梅雨か
我々日雇い人夫、外に出る者にとってこの雨の憎憎しさで朝から外を見上げる
されど「滋雨」本当に先人は上手く言ったものだ
この梅雨の雨が生きとし生けるものにとって絶対欠かせぬものであろう
およそ人間は我を中心に見ようとするもの、なかなか人様の為にと啓けぬ人種
野には花が咲き、里には実りの秋を約束する雨
四季のある生活、こんな中で育った私達、一年中楽しめる環境を授かっている
暑かったなら暑かったなりに、梅雨の時期は梅雨を楽しもうではないか
住職一人それを満喫して連日遊んでいる
心の遊び、楽しいもんだゼ☆
だから、パンにカビが生えていても、私の心にはカビは生えない♪


我が寺には、優秀な人材が豊富に集まっている。
僧侶というものは、学業に冴え、人生の指針とならねばと言われてきた住職。

親の期待を見事に裏切った。

しかし、社会性だけは長けているようである。即ち、わんぱくボウズのなれの果てか。
されど、集いし諸僧に支えられ、座右には2名の僧括以下、20名の僧侶の集団となっている。
どんな会社も、いかに優秀jな人材に恵まれるかによって左右されると聞く。
当小寺も、真にこれ、素晴らしい人材に恵まれている。

お経の下手な僧、字の下手な僧、ヤンチャナ僧の集いし寺も、人間性に長け、ITには冴え、
時代の先覚者、ニーズを先取りできる人材、こころの優しい僧。
そんな中につつまれている私、しあわせ、しあわせ、ありがたいな〜。


日本には四季があり、その中で素晴らしい文化が生まれている
小生、特に食に関してはいじましい限り
過日、母の法事に粗供養としてマンゴーを持って帰ってもらったところ称讃の電話多々有り
この時期ビワ有り、スイカ有り、そしてまたサクランボ有り
されど、太陽の贈り物と称される宮崎産のマンゴーは絶対的であろう
小生も一欠けら食すと昨夜よりほっぺが落ちてしまったきりである
おかげでますます丸い住職、いよいよ丸し
世の中にはこんな美味いものが有るんだネ
こんな高いもの買ってまで食わなくてよいが、でも一生に一度あの世の土産として食ってみてはいかがなものか
うまかった〜☆


近所を歩いているとこちらを窺っている黒猫、近くに猫好きの人でもいるんだろう
我が家もなぜか伝統的に黒猫を飼っていた
黒猫、カラス、どうやら嫌われモノの代名詞のように言われるが黒とは色の集大成であると聞く
「カラスの濡れ羽色」、なんと素晴らしい色ではないか
黒髪の輝きを最近は忘れていやしないか
輝く美しさ、深く究極の色、こんな素晴らしい色はない
今一度黒髪の美しさと、親から頂いたこの体を大事にしようではないか
脱色したり
穴を開けたり
ヘソを出したり
ケツを出したり
何たることやッ! 嗚呼、嘆かわしいッ!!
とか言いながら住職もその昔はマンボズボンを穿いて短い足で街を闊歩した人種
おはずかしきかな(>л<)


昨日は母の三回忌
今回は亡母と私が本当にお世話になった人達に手厚きご参詣を頂き、感謝の想いで勤めさせて頂いた
一世紀に渡って生き抜いた母は、長き変遷を経て偉大な財産を後世に残していったと信じている
私的には
兄が二人も近くにいる中で最後まで看させてもらえたこと
百歳の天寿を全うしてくれたこと
そしてまた、父は知りえなかったこんなに立派な日本建築の粋を集めた寺を見て逝ってくれたこと
この三点で私は何も思い残す事は無いと思っている
なのに未だに母のことを引きずっている
母を慕う子として思えば、何気ない言葉、何気ない仕草、そんな一つ一つの小さな想いが私の心を揺るがしてならない
当然のことながらこんな想いをさせてくれた母に感謝
反面、世の中には多々憎しみあわなければならない事実もある
人間は思考の動物という
この思考があるが故に人は憎しみあい、恋い焦がれるが、その触れ合いによってどうしてこうも相反してしまうのだろう、悲しい事実である
されど昨日、本家を始めご参詣を願えた人達とともに母を偲び、そして同じ想いで皆ともに感謝しあえた事実が嬉しくてならない
笑いあり、涙あり、怒りあっての人生、楽しんでいきたいものである
ご同慶の皆さん、頑張っていこー!



今日は母の三回忌
朝早く目が覚めた
住職の席の左の壁には
「明け染めし 窓に雀や 終の母」
の額がかかっている
新緑の中に、母が帰っていたときのことを思い出す
母は赤ちゃんのようになって戻ってきたが、逝く直前の「お婆ちゃんに会いたい」「田舎に帰りたい」という言葉が私の心の中に痛みを感じさせる
100歳になって、今まさに旅立とうとしている母が祖母を恋ゆる言葉が私の胸を締め付ける

ヤンチャな私の人生
優しい言葉もかけてやれず逝ってしまったのが悔やまれてならない
一生懸命母に尽くしたつもりであるが、尽くしきれないのが母の恩であろう
今日は私の友人知人を招いている
日頃のご恩を切実に感じ皆を迎えたい
平成21年6月16日 火曜日



我が寺には色んな人種が住んでいる
快活な人、開けっ広げな人、しっとりした人
人それぞれ皆特徴があって面白い
特徴があってこそ、人間の心を呈した人こそ、良い僧侶になれると思っている
今朝も一人の僧が、悩みなど持っていないような僧侶であるが、本当は内面に傷を持ち一番恐ろしいお母ちゃんの顔色を窺いながら生活しているという話を聞いた
円満の秘訣か
当寺も20名の僧侶を抱えることになったが、色んな人種がいて面白い
住職はどんな人種か?
答えは皆さんの心のなかにある



今日もまたビデオの収録があった
「防人の族」(さきもりのたみ)という歌である
今の平和を成し得た礎となった人達のことを私達は忘れようとしている
身を呈して日本を守ろうとした人達は軍国主義の犠牲者であろうが、それを信じ散っていった彼らは英霊と称えられながらも、果たして私達はその志を活かしていると言えるだろうか
頬につたう涙は遺族だけのものではない
私達もその涙を感じ、南海に散っていった想いを忘れてはならぬと思う
何も終戦記念日だけが記念日ではない
「防人の族」忘れまじ
鬼の目にも涙、住職引き締まる想い



美しい人も、それなりの人も、うちの職員にはおるようだ
住職の朝の第一声「かわいいね」「今日はお化粧してるやん」「部屋が明るくなったね」
こんなたわ言から始まる
嘘つきも甚だしい
みんな住職の腹の中がわかっていても笑っている
やはり人は誉められると嬉しいもの
そんなこと言って68年、我が身の周りは灰色
真っ黒もこれまた問題、本来は真っ白でなきゃならないだろうが
住職にとってはしんどすぎる
やはり、身に伴わないものはやめとくことにしている
周りの人達よ、どうぞ住職を支えて下さい
ありがたいことです



梅雨に入ったらしい
感覚的には涼しく、梅雨というイメージは体感せぬが、曇り空に今日も日の丸と仏旗がたなびいている
最近は日の丸もあまり見ないが、日本人の誇りとしてたなびく旗に雄雄しく力強いものを感じる
日本人の心が荒んでいるのか、マスコミを賑わすことが多いが、心の中に忘れてはならぬ先人の残していかれた知恵と誇りというものが忘れられてはいないか
ヤンチャな住職、されど逞しく雄叫びを上げ、雄雄しく突き進んで行きたいものである
街宣車には乗りたいとは思わないが、日本人の心は忘れたくはない
せめて心の中に翻る旗を翻らせ続けたいものである
三等席からは雑音も聞こえてくるが、負けずにやるゼ☆
ハチマキをたなびかせながらッ!


事務所へ降りてくると机の上に沢山のゆで玉子が盛り上がっていた
我がスタッフが朝からモリモリ食べている
タムロする若者、口から迸る玉子
談笑の中に玉子談義、理屈的に言えば無精卵か
大きく飛躍した話だが、生きとし生けるもの全て他の生命に支えられての命である
考えてみれば人間が一番恐ろしい動物か
動物は生きる為に、食べる為に殺す、されど人間は悦楽の為に殺す
そんな世の中、ほんとうに恐ろしいもんだ
道を歩いていて、いつ災難に襲われるかもしれない
その昔、辻斬り強盗があったと聞くが、考えてみれば現代が最も恐ろしい世の中に変遷しているのか
もっともっと心の余裕を持って「あたたかみ」「すこやか」「ほのぼの」そんな言葉を大事にしたいものである
住職の鬼の目にも涙か…(ToT)



その昔、「少年剣士赤胴鈴之助だ!」といって美青年、自称正義の剣士だなんて言って学校へは勉強しに行くのではなく剣道の練習をしに行っていた
好青年も今は年老い、美青年なんて元々いなかったのであろう
そんな私、久しぶりにボーリング大会に招待された
完全平面である床に転がすまん丸い球、不思議にピンに向かわず溝に落ちる
正眼の構えが大好きだった
そんな想いで転がす球だが、年老いて根性も何もかも曲がってしまい、もつれてほどけない
このボーリングの球に表れているのか、68年の生活のサマがボーリングの球の行方のようである
年老いて人は丸くなるというが私は三角か四角か…
角が取れる人生を目指したいものである
角が取れるまでの年月足りんかな?
私のかの先には、その時が来たときにきっときっと閻魔様が待っている
どんな顔をするだろう?
絶対にらめっこしてやるゾ☆


今までなんでも有りの西栄寺
できることはなんでもさせてもらう、そんな西栄寺であったが、おこがましくも障害者の方に目を向けようと思い立ち、第一弾として、理解を深めるために1/4の奇跡(よんぶんのいちのきせき)という映画の試写会をした
集まったのは主だった面々30数名であった
私自身全く理解していなかったが、一歩前に踏み出したかなという感じ
奈良の市職員谷野氏に今回のご縁を頂いた
何かできることはないだろうか、そんな思いである
何事もこのように、一人の人が我が寺のスタッフ2名に、そして30数名にと拡がりを見せている
8月16日大々的に映写会を実施する予定
心の片隅に身体障害者への理解という単語が芽吹けばと思う
全く分からない世界、どんなことにも挑戦していきたいものである
努力が嫌いな住職、楽な方に目を向けようとする住職
されど想いは遠く胸を膨らませている
おかげで最近腹が膨らんできた
メタボ万歳ッ!!


毎朝お勤めしているのに、今朝改めて賽銭箱に目がいった
皆さんの浄財が時々チャリンと鳴るのを聞く、そんな浄財も仏様をお守りする為の大切な浄財になっている
この賽銭箱を改めてよく見ると釘一本使われていない
けやきで作られたこの賽銭箱はきっと作者の傑作であろう
日本の伝統を守る技術がこうしてしっかと守られていることに感嘆した
当寺院は日本建築の粋を凝らされた傑作の集大成である
住職としては、現代建築の中にあって恥をかかないようなお寺をと宮大工さんにお願いし、完成して2年半、正式な日本建築技術の真髄が惜しみなく用いられたお寺を守らせて頂いている幸せを感じている
一本一本の柱には大工さんの想い、そして、ご門徒さんの想いという計り知ることのできない莫大な想いが託されているだろう
そんな頼もしい想いに支えられているから西栄寺の柱は逞しい
建物は立派に建ったが住職のヤンチャな精神、この道場で叩き直せるものであろうか
柱のように太くて真っ直ぐ、そんな精神住職のどこにあるのであろう
こんな住職、シブトイぜッ☆


急用があり、小浜のおじさんお寺に、夕方から愛馬の鉄馬に跨り疾走した。
ここ浪速の国では、額に汗していたのに、若狭の国は寒いほどであった。
都会とは、これ程空気が汚れ、ヒートアイランドになっているのであろうか。
この時期、暑さに弱い小生。夏になったら焼け死ぬのであろうか。
おじさんの寺は、ひっそりと静まり返り、当寺としては落ち着いているというか考えられない。
静寂の中に、黒々と本堂が建っていた。おじ94歳。後継者ままならぬ寺であるが、将来は
いったい如何するのであろう。日本全国見回した時、朽ち果てて行こうとしている真宗寺院
は多々あるであろう。座して見ているだけの寺院、昔の栄華に酔っているだけの寺院、反面
額に汗し、東奔西走している住職もおられるであろう。昔から「住職は檀家が育てる」という
言葉があるが、眠っている寺院の門を叩け!座してみていてはならぬ。叩かれた門は、大き
く広げ、万民に門を広げるべきであろう。結果的に何もなっていないかもしれないが、少なく
とも西栄寺は前に向かっている。刀折れ、矢射つくし、どうしてもダメなときは、前に倒れて
死のう。決して後ろには倒れない。心ある諸師よ、奮い立とうではないか。
たとえ、ヤクザ坊主と言われても。


久しぶりに「吾亦紅」を唄ってみた
まもなく母の三回忌、いつまで引きずっているのか
思えば、延命措置をしないという大前提に沿っての看病
赤ちゃんに戻ってしまっていた母の姿を思い出す
終末、子としてもうあれ以上してやれることは無かったのか、あれで良かったのか
思えば後悔のしきり、何気ない言葉、何気ない仕草が脳裏に焼き付いて離れない
「母の日」になると巷が騒がしくなるが、一年365日「父の日」、「母の日」であって良い筈
いつまでも母の思いを引きずっていることが良いとは言わないが、何か大きく心に思うことがあっても良い筈
過日、赤バスの後ろに「直行15万」なんて公告があった、激しい怒りを覚える
遺体を焼いてカルシウムが残る
事実はそうであろう、されど、その想いはどうなってしまったんだろう
私はそんな世界には住みたくない
お金はかけずとも良い、でも「直行」という、ただ焼いてしまえば良いというような、そんな発想が許せないのである
私という存在は、先人の、また身の周りの人達の支えがあってこそ、今あるのである
そんな想い、即ち「感謝」という素晴らしい言葉を忘れてはしないか
どうか人として生きる道を求めて欲しい
私ごとき極悪坊主にもそんな想い、一欠片くらいは残っているッ!
…のかなぁ〜?


読売新聞社から、また取材があった。
西栄寺の前向きな姿勢を、感じ取ってくれていたのであろう。
取材中、いろんな活動に感嘆しているようであった。
新しいニーズに対応した、西栄寺の寺院経営が、大きな目で見て拡充されている、
そんな感じが受け取れるとの由。
その第一歩が、こころ塾から始まっている。30回目を迎えようとしている中、
住職のいつも言っている他愛の無い話。拡がっている活動。
今現在、大きく取り上げられている中高年の見合い。寺が開催しているという安心感が、
たくさんの会員を集めているようである。されど、当事者としては嬉しい悲鳴である。
できるだけ多くの人達に出会いを提供したいものである。
かなり、くたびれている住職。
あまり、かっこ良く出来ない私であるが、形振り構わずイクゼ!
孤独の諸氏よ、外を見よ!!
思い切って、ダイヤルを回せ!!


当小寺の恒例の行事、「こころ塾」と称し月に一度楽しい集いをしているが、初めは次元の低い発想から始まった
「こころ塾」も昨日で29回を終えた
初めは20人ほども来て下さればと思って開催したが、昨日は参加者100名を越えたようだ
住職の拙い話ではあるが、毎回ご出席下さる方々に感謝の念が一杯である
昔からお説教の大嫌いな住職、 法話を伝える者としては失格者である私の他愛の無い話
でも、その中には悲喜こもごも、やはりそんな話がいいのか
本音で喋っている私、思いつくまま述べている私、皆さんの心の片隅にでも残れば幸せである
昨日も喋ったが、他人の不幸は楽しいもの、他人の不幸は蜜の味
そんなことまで喋ってしまった私であるが、皆さんの心に訴えたい私の内面
恐ろしい、
恥ずかしい、
痛まわしい私の内面、夜叉ノ如シ


第29回こころ塾の日が来た。
毎月の事ながら、私如き者の話を聞いてくださる方が、いつも会館一杯満席で、参集している。
朝目覚めると、満足な話も出来ない私なのに、今日は何の話をすればいいのか迷うしきり。
時間がせまり、壇上に立てば、皆さんの笑顔が迎えてくださる。本当にありがたい。
ただ、私は、楽しい時間を持てればとの思い。それだけのことである。
都会の隅には老人が一人テレビの番をしている現実がタマラナイ。
たった月一回だけど、他愛も無い話、心静める写経、又はひざを交えて、茶菓に舌鼓を打ち、
賑やかな人々の集い。帰りは庭の花を見て、心豊になって頂きたい。
人、1人寂しいものです。心のどこかで私を支えてくれる人、そんな人を見つけてください。
あなたも、支えになってください。
強がりの住職。
やんちゃの住職。
やったるでの住職。
本当は、根は優しく、寂しがりやなんです。

HELP ME


新型インフルエンザはあれだけ心配されていたが、今でも過剰反応だと思っている
マスク会社がどれほど喜んだことであろうか
その昔、オイルショックでトイレットペーパーが無くなった、なんでもかんでも新しいモノに飛びつく風潮
流行という言葉に踊らされ、ケツまで見せている輩
流行とは一体なんだ
昨年は3万2千人余もの人が自殺したらしい
過日は盧武鉉前大統領も自殺した
当小寺も何人の自殺者を弔ったことか…
いろんな想いがあろうが、どうか与えられた命を大事にして欲しい
悲しい現実は今も私の目前に横たわっている
流行に踊らされる昨今、社会の片隅では自ら死に追いやってしまう現実もある
特に中高年の自殺
その背景には計り知れないものがあるのであろうが
一歩踏みとどまって歯を食いしばる
その勇気を持ったものこそ勝利者である
軽く楽な道に行こうとする人間の性、悲しいではないか
私もそんな理性の無い男
強く生きたいもんである
でも、生きるってしんどいなぁー
同志よガンバレッ!!


その昔、インベーダーゲームが流行った、今日のマスク族を見るにインベーダーの再来か
身の周りには多々病原体が潜む
我々はそれぞれ、それに打ち勝つ力を持っているが、人間世界にインベーダーが押し寄せているのか、それともサタンの手先か
こんなことをいうとお叱りを受けるやも知れないが、そんな風に考えると面白い現象だ
自然法爾私はあるがままに生きている
天から与えられた恵みに感謝し、ありがたく日々生活していることが大事だと思っている(電気も水も全て与えられたもの)
先人曰く「全てのものは私が今お預かりしているだけ」と
今現在生かされていることを感謝しようではないか
良きにつれ悪しきにつれ、それはそれ、原因あっての結果
私の日々悪行の成せる業か
改めたくても難しいもの
困ったヤッチャ


宇宙大戦争がはじまった!!
私は、ホラーSF映画は好まない。
だって、このインフルエンザも、近未来戦争的なおもむきがありゃしないか。
総理も知事も、冷静を保つようにおっしゃっている。
いくら免疫の無い我々とはいえ、冬の風邪ひきの頃はどうしていたんだ。
過剰反応をうれいているのは、私だけであろうが、私としてはそんなことよりも、
日本人としての誇り、恥を忘れてやしないか。
自分さえよければ良い、そういう精神的な失われている事実をもっともっと見つめて欲しい。
今日の新聞に載っていた、生後1ヶ月の赤ちゃんを踏みつける事実がある。
そんな存在が許し難い。
勤勉な日本人。優しさを持った日本人。そんな日本人は何処へ行ったのだろう。
失われていく日本の美は、もっともっと輝かしいものであったはず。
少しでも、そういう光明を思い出したいものである。

つづけ!! 御仏の光に!!
分からない者は、ダイヤルせよ!!!


能登の風は優しく、水は豊富で、生命の根源を感じずにはいられない。
その後、サンダーバードに打ち乗り帰阪すれば、大阪駅はごった返し、ホームの人は、
半分以上がマスクをしていた。異星人の集団か。何かおかしい。映画の世界である。
宇宙戦争のように、世界は変わってきている。インフルエンザという病原体は、異星人
の策略か。まったく馬鹿馬鹿しい。確かに病渦は恐ろしいが、凡人たる私から見れば、
過剰反応ではないかと思わせる。どこかの市長が言っていたが、風評がおそろしい。
他の都市からみれば、明らかに対岸の火事であり、火の粉が降りかかって来ないよう
にと、わがままが垣間見れる。その内、日本全国の人民は、すべてマスクを付け、その
内、命ある者は、宇宙服をつけて生活するのか。馬鹿馬鹿しい。もっと冷静に考えよう。
私のように、無知文盲な者であるが、心身ともに野蛮な私。もっとたくましく生き抜いて
やるぞ。バカタレ


またまた、北陸路に来た。

砺波の海は凪いで、青い空、青い海、そして、新緑は映えていた。
かぶす料理に、舌鼓を打つ。
目にも、そして胃袋にも、満足感を与え、幸福感に浸っている。

我が寺では、多忙と聞いた。
携帯はジャンジャン、寺の衆は、沸き立っているらしい。
前に向かっての寺。久しぶりに住職は遊んでいるらしい!?

たまにはいいか!!・・・本人談。

されど、寺の衆は、そう思っているであろうか。

すみません。m( _ )m


寺の衆より・・・・「たまには、ごゆっくり為さって下さい。」


今日は、御開山聖人のご命日。
くしくも、我が母の命日と同じである。
津路浦々、真宗寺院においては、早朝より、朗々と正信偈を唱えていることであろう。

庭のしゃくなげは、真赤に燃え笑って見ていてくれるようだ。
真紅の赤は、やる気を起させる。たぎす血潮を、意を盛んにさしてくれる。

住職たぎす命、六拾八年。

与えられた命。燃え尽きるまでやり通したい。
人には、それぞれ出来る事がなにかあるはず。
身の回りに目を光らせ、やれるものからやってみよう。
ごみ拾いもその一つ。
社会に貢献する事も、また、よかろう。
勤勉な日本人。燃えるDNAは、みなそれぞれにあるはず。

俺もやるゼ  (`з´)


今日は、NHKドラマのロケが当寺であった。
かねてより、西栄寺は、TV取材や、ロケ地として提供しているが、
さすがNHKさんは、スケールといい、エキストラといい、お金かかっているなと感じた。
本物のドラマを作るには、やはり小手先では誤魔化すことをせず、目にみえぬ所まで、徹底的に追求するのが本物である。
それをみて、私の心、僧侶としてどこまで本物を追求するのか。
毎日、毎日、小手先で誤魔化しやしないか。
諸兄諸君、何ごとにも本物を目指そう。
いつものように、己に甘く、他人に厳しい私。
おはずかしいかな。←バカタレ。


庭のつつじも、盛りを過ぎた。
隣には、しゃくなげが今を盛りと、咲き誇っている。
事務所にも、一輪の華が狂い咲きしている。
平家物語を、思い起させる。盛んなるもの、いつかは・・・・・・
あ〜我も盛んなるかな、今も盛りと住職も狂い咲きか。
あと何年、頑張れるのか、今日も、思わぬ銀行から電話があった。
当座勘定足らんぞ。との由。
これが、現実か。○を追っかけないと自負してきた住職であるが。
現実をみると悲しい。与えられた命。いつまでもやるで。
老いも若きも、ダイヤルをまわせ!!
住職は、待っている。


縁結びの寺として、ご先祖様のご縁、人とのご縁、たくさんあるご縁を大事にしている当寺
特に中高年の出会いを力説
その中既に27組のカップルを見、出会いを求める男女二百数十名
そんな中、カップルになった木下勝(65歳)さんと中林代里子(んン歳)さんが昨日、結婚の挨拶にきてくれた
中高年といわれる真っ只中、新しく出帆する門出を、本当に本当に嬉しく思う
喉もと過ぎれば熱さ忘れるというのが人の性だが、そんな人が多い中、ちゃんとけじめをつけて再出発しようとする二人
まさに、折り目正しく生きていける二人だと思う
めりはりのある人生、めりはりのある生活を心掛け、キチンと生活できる人達であるからこそ、幸せになれると信じている
お二人に栄光あれ!
お二人にとって輝く夫婦生活であれ!!


根性という世界は、何処にでもはまる共通の単語。
車の横を、軽快に疾走して行く自転車を見た!
競輪選手の練習か。
褐色の肌に、ぴちパンをはいた筋肉隆々の体。
足はたくましく、努力の賜物。
察するに、日々の精進が、この肉体を造るのか。
毎日、毎日が、己との戦い。
残念ながら、小生、競輪のことは判らないが、
おそらく、その日のために、己との戦いを制してきた肉体なのであろう。

その姿を見て想う、私の精進は、どうなっているのか、
楽していないか、己に優しく、他人に厳しく、そんな世界に陥りやすい。

それが、人間の性・・・・・

特に住職!! 奮い立て!!

日々があっての結果。粗食あっての美食。
少々甘えてやしないか!!

でも
しんどいな〜 (−_−; ←バカタレ


毎朝、当小寺、責任者、吉田僧括の「今日の一言お願いします!」から始まる。
「おもしろ一言」がテーマではあるが、いきなりの僧括の催促言葉により、
頭中に、激辛!?が走る・・・

私の頭中は腐った頭中。世の中に生まれ、周りからいびられ、世間から揉まれ、
ひがみも甚だしく、根性はもつれ、もう、ひも解くこともできない。
こんな私が、万人の心に響く一言を言えるはずもなし。
世間を欺き、部下を丸め込め、その日一日をいかに楽して過ごすか、そんな事ばかりの私。
でも、世間の片隅で、私にも何か出来る事がないか、何が出来るのか、
そんな事ばかり考えている、私。

どうぞ、皆さん、私を使ってください!!!

発憤すれば、瞬間湯沸かし器の如く、胸を打たれれば、感涙にむせぶ、私。

みんな、悩みを持っているもの。

同類よ来たれ!!

ダイヤルを回せ!!

待っているぜ!!

う・れ・し・い・ね〜  O(≧▽≦)O


当小寺堺坊のセレモニー会館、オープン早速ここ数日予約が一杯になっている
かねてより言っている、心無い業者への不信があるのか、問い合わせしきり
いつも言っていることであるが、いざその時がくれば本当に頭は真っ白、業者の言うままになってしまっている事実
できるだけ今、冷静な判断が出来るときに前もって相談しておいて欲しい
信頼できる業者さんを選定し、安心しておまかせできる方達を紹介させて頂いている
事前に相談するというのは何か後ろめたい気がするかもしれないが、決してそうではない
本当のあなたの想いを知り、そして、去っていくであろう方の想いやその家族の想いを大事にし葬儀を執り行なうのが本当の家族葬
先人の想いを、心を込めて送ってあげたいものである
住職も母を送らさせて頂き、この想いは切実に持ち続けている
だからこそ声を大にして叫びたい
事実、まだ亡き母を引きずっている
巷では鬼の目にも涙か(T_T)


当小寺は、堺支坊に、セレモニーホールとして新館をオープンした。
小さなお葬式が主体となっている今日、多々葬儀業者がおられるようだが、
信頼できる業者を、日頃から心がけて置きたいものである。
解っていても、その時が来ると、頭真っ白、体ブルブル・・・・・
結局、病院から紹介されたという、間違った信頼により、
ついつい口車に乗せれれてしまう現実がある。

24時間対応している当寺。
とりあえず、なんでもTELしてみてください!!

なけなしのお金を残してくれた、爺婆、そんな大事なものを、もっともっと大切に。
「その時」が来た時、悲しみの中に、打ちひしがれた心の余裕のないとき、
僅か、小一時間の間に、全てを決めなければならない時、葬儀のプロにかかれば、
赤子の手をひねるような物。そんな口車に乗ってもらいたくない。
反面、一生懸命やっている業者もおられるのは事実。
判らなければ、とにかく、勇気を持ってダイヤルせよ。

心の広い顔のくずれた住職なれど、心は失っていない積り。

銭のある者、ない者、心は任せよ!!ドンとこい!!


巷では、ゴールデンウィーク真っ最中。
都会の車は何処へ行ったのであろう。
何とかの日といって、その日を賞賛している向きもあるが、
その日を縁にして思い出すのもいいだろうが、
愛するものへの眼差しは、常時注いで欲しいものである。
ゴールデンウィークも、本当に休める者はいいが、本当の休みなんているのか。
16連休なんて馬鹿げた連休もあるが、我々庶民には考えられない。
日本人は勤勉がモットー。この基本を忘れてはしないか。
毎日働いて何が悪い。連休といえ、世の為働ける何かがあるはず。
 

はたらけ!!


聖香ちゃん事件が、この間、葬送が終わった。
途端にマスコミから忘れ去られ、インフルエンザに、世間は飛んでしまっている。
あんな大事件、あんな騒いだのに、世間には忘れ去られてしまうのか。

だからこそ、こんな悲惨な事件があっという間に風化されてしまう。

くしくも今日は四七日。お父さんと、幼い兄弟2人は手をつないで、朝からお寺に参りに来た。
肉親にとっては、何時までも忘れないであろう。
何年も風化させず、その意味合いを感じ取って欲しい。

その根底のものを見つめて欲しい。

兎角言う私も、お母さんから、何回も怒られた。
詫びては繰り返す人間の性。
これまた許し難いが、お母さん、ごめんなさい。

聖香ちゃん事件が、この間、葬送が終わった。
途端にマスコミから忘れ去られ、インフルエンザに、世間は飛んでしまっている。
あんな大事件、あんな騒いだのに、世間には忘れ去られてしまうのか。

だからこそ、こんな悲惨な事件があっという間に風化されてしまう。

くしくも今日は四七日。お父さんと、幼い兄弟2人は手をつないで、朝からお寺に参りに来た。
肉親にとっては、何時までも忘れないであろう。
何年も風化させず、その意味合いを感じ取って欲しい。

その根底のものを見つめて欲しい。

兎角言う私も、お母さんから、何回も怒られた。
詫びては繰り返す人間の性。
これまた許し難いが、お母さん、ごめんなさい。

聖香ちゃんの通夜がしめやかに執り行なわれた。
多数の弔問客。シルエットに浮かぶ姿は胸を打たれる。
これ程までに、世間では虐待防止を呼びかけ、躍起となっている中、
マスコミでは、日常茶飯事になってしまっている。
日本の国は何処へ行ってしまうのであろう。先人達が残した侘びと寂びの世界。
心豊かな、温かみのある人情風情は何処へ探せばいいのだろうか。
人という字の如く、支えあえる心を持ちたい。
「天知る、地知る、我知る」人の心は見えぬものされど、
その心はきっときっと目に見えぬ前向きの人生になるはず。
残されたあなたの心に訴えたい。
ありがとう。

縁むすびの寺と公言し、総数約300名、カップル34組という数字が出た。
少なくともここ数ヶ月の間に、人の心の真実を見た気がする。
やはり人は一人では生きていけない。
一応今月でくぎりとしたが、でもこの成果を考えると
この中高年の見合い企画は『しょーもない事して』という人も声も聞いたが、
やはり間違っていないと思う。
町内の世話やきジジイ『住職です』おおいにハッスルするするゼ!
さびしき者よ、素直に「さびしい」と答えよ。
ダイヤルを回せ!
世話やきジジイは待ってるぜ、楽しいじゃないか!

今日は第六回目の中高年お見合いパーティー
これほど多くの人達が出会いを求めている
決して可笑しい話ではない
人は支え、支えられ、支えあって生きるもの
縁ある寺として、一人でも多くの人の出会いを助けたい
都会の片隅に、それぞれ悩みを抱えている男女、特に中高年ともなれば出会いは少ないであろう
勇気をもってダイヤルを回してほしい
あけっぴろげで下衆な住職であるが、常に人の心を理解したいと願っている
共に悩もう、
共に泣こう、
そして、共に笑おうじゃないか!
おいしい物を分けあって食べられたらどんなに幸せか
ちなみに住職はイモが好き♪

こころ塾も、無事28回目を終えた。
住職の他愛の無い話。こんな話でよくまあ皆来てくださること。嬉しいかぎり。
住職の本音をしゃべっての1時間。今日も皆さま何を心の中にもって帰って下さるのだろうか。
難しい事はよし。とにかく楽しい一時であって頂きたい。
写経にしろ、句会にしろ、又は、お抹茶よばれながらの雑談もよし、
その中に明るさをもって前向きに過ごして頂きたい。

住職のあほ話も、エロ話も、エグイ話も、裏話も、みんなみんな、半分ウソ・・・・これまたよしか。



三箇所の、葬儀を出来る会館を完備しているが、堺中百舌鳥に新しく会館がオープンした。
家族葬という美名のもとに、葬儀を簡素化しようとする傾向があるが本来の家族葬とは、家族の「想い」を大事
にするという意味であり、何も金のかからない葬儀と、いとも簡単に荼毘に付すだけが家族葬ではない。
俗に言う「焼けばいい」そんなものなのであろうが、金をかけるとかかけないという問題ではなく、かの人を想え
ば、そんな簡単なものではないのではないだろうか。犬コロのように同じで「焼けばいい」そんな言葉が憤りを
感じる。「想う」という言葉を大事に大事にしたいものである。

あたらしく出来た堺の会館は、大きな石を配した立派な会館である。その会館で、お金をかけなくとも、「想う」
という言葉を大事にして、心を込めて、その人を偲んでいただきたい。
そんな葬送なら、住職よろこんでご参加させて頂きます。
こんな、ヤクザ坊主でよければ・・・・・

なんでもかんでも簡素化して、単語を縮めるという風潮あり。
「婚活」、「アラフォー」、「サブプラ問題」。よくもまぁ考えたもんだ。
とすれば、西栄寺は「中高婚」か。
今度の25日は中高婚がある。今月はすでに2桁のカップルが誕生。
その後も、問い合わせ多数。やはり人は一人では生きていけない。
特に我々、中高年の淋しさはひとしおか。
先輩諸兄。勇気ををもってダイヤルを回せ。
毎日テレビの番。部屋の隅っこでうな垂れている、お父さんお母さんは見たくない。
その淋しさを外に向かって背筋を伸ばせ。
俗に言う、茶のみ友達、そんな仲間がおってもいいではないか。
住職は雄たけびをあげるぞ!!
中高年の独り者よ!!来たれ!!ワウォ――――――――♪※*@$%&¥

毎週日曜日、近隣の方が集まりお寺の緑色のハッピを着て三々五々ゴミ拾いに出て行く
子供達も居り、その中には我が家の孫も連れ立っている
そんな中、住職がみんなに引っ張られながら出て行く
見かけは意気揚々としている
我反省するに内面はそんな立派な住職ではない
みんなで一緒に行くからこそゴミを拾う
みんなが見ているからこそゴミを拾う
人が見ていなければ、暗闇の中、一人であれば恐らく…
そんな私、偽善者の塊
今日もあちらこちら優しげな顔で、満面の笑みを湛えながら
愛馬にまたがって颯爽と出て行く住職
行ってきまーす☆

赤い薔薇には棘があるという。甘い蜜に誘われる花々にもそれなりの対応をしている。
そんな甘い蜜を人間と欲との戦い。まさに騙しあいか、振り込め詐欺が頻発しているという。
人の心の隙間を狙う奴もいる。大きくは快楽のために人を殺す。動物の世界にはない、人間のやらしさを楽しむ快楽の世界。なんとあさましや。こんな世界と日々戦っている住職。
本当に本当に、悶絶の毎日。普通の人間でありたい。私には欲が多いから、こんなにも、苦しむのか、おかあちゃんの手のひらの中でころがされている毎日。なんとか手の平から抜け出して遊ぼうとする住職。 哀れなるかや・・・・・バカタレ。

当寺は「縁むすびの寺」としてやっているが、過日も第5回開催、6組のカップルが生まれたが、特に中高年のお見合いを重点においている。今日も新しいカップルが1組生まれた。
何も、縁とは男女の縁だけではない。ご先祖のご縁、家族のご縁、友人のご縁。みんなご縁に結ばれている。とかくすると、自分を中心に世界が回っていると思う輩、言語道断。もろもろ大事にする中に己自身もその中に包まれているはず。過日おじが還浄土されたが、かの世界に留まることなく、私たちをみまもってくれているはず。真宗教義の要、還相回向の証し。されど、太陽の恵みを受け入れている我々、あえてその御光をさけていやしないか。バカタレ。それでも仏様は見守ってくださる。有り難きこと。   南無阿弥陀仏。

子供の頃育った本家の庭には、300年を越すという柿の木が、幼き頃のそのままの姿。
裏の小川には、当時と変わらず、山吹の花がせせらぎの音を聞いている。のどかな山里は、65年たった今も変わらず、ひっそりと小雨の中に煙っていた。 おじは、無形の物を残し、我々凡人に、声なき声を残している。
いとこは、昔ながらの暮らしをしているが、きっときっと、おじの偉大なる無形の財産をひきついで、これまた、子々孫々に、伝えていくべきであろう。
侘びと寂びの世界。きっときっとこのようにして、世の中にそっと伝わっていくものなのであろう。先人のご恩を忘れがちの我々。せめて、その方を思い出すというチャンスが、ご命日なのであろう。くしくも今日は、母の命日。母もそんな寒村に育った母。果たして、私もそんないいDNAを持っているのか。いや橋の下でひらって来られた私??そんないいものがあるはずない・・どうかな??                    

本家のおじが亡くなった。
久しぶりの越前は小雨に煙っていた。肌には寒さを感じ、どんよりした景色は冬の越前か。
この風情の中、九十八年の生涯を閉じた。おじは、我々一族をそっと見守り、目立たず大きな目で見て下さっていた。
寒村の中に、秀でた人物であり、村人にとってもかけがえのない存在であったと聞く。
私は、幼き頃、疎開で大変お世話になった本家である。一億総人口、皆貧乏であった中に、心豊なでっかいおじであった。
いとこ達がそれぞれ戦災に遭い、ごろごろ子供達は疎開して来ていた。今は、それぞれ、皆、社会の一員となっているであろうに、それを忘れようとしている。こう言う底辺のでっかい力があったからこそ、日本は復興してきたのであろう。
先人のご恩を、我々は決して忘れてはならないであろう。おじさん、諸先輩、本当にご苦労様でした。
南無阿弥陀仏。

ご縁を大事にしての日々。
当寺は、縁むすびの寺として発憤。
ごえんはごえんでも十円ではない×△□@?←バカタレ
今日は久しぶりの雨、中高年のお見合いとして、本日5回目の開催。
果たして何組のご縁ができるやら。昔は町内に一人や二人の世話好きババアが居た。
そんなババアが居たからこそ、人間味豊な世情があったのだろう。
私はあえて、世話やきジジイになろうとしている。
ご縁は、男女のご縁も大事であるが、ご先祖の縁、知人、友人の縁、親子の縁。
たくさんのご縁に包まれている私達、
そんな人間のふれあいのご縁を、大事に大事にしてほしい。
自他共に認める、立派な住職ではないが、そんな思いの住職になりたい。

戦後の沖縄県民としては、皇室に対して複雑な思いがあっただろう。
天皇皇后両陛下については、沖縄訪問の折、火炎瓶事件があったが、県民を想う心は持ち続けたいと仰った
我々人の寄せる想いは、一片ではなく、何があってもその心を持ち続けることが大事なのであろう
我々もそうありたいものだ。

天皇陛下はご結婚五〇周年を迎えられた。
ご夫妻の御姿を、ご拝眉申し上げる度に、ほのかなものを感ずる。
象徴天皇として、ご苦労の多かった陛下。
その昔、殿下は妃を迎えるにあたり、「私は、世の中に疎いので、優しい人をめとり、私を支えて欲しい。」
とおっしゃられ、今日に至って、妃殿下殿下に、殿下妃殿下に感謝状を差し上げたいとの由。

さて、を振り返るに、妻からの感謝状を戴けるなんて考えられない存在。
そんな事を自覚している己が、悲しいのやら、嬉しいのやら。それとも豪いのか〜・・・
                                  ↑
                                  バカタレ

目下、交通安全週間中
恒例行事になっているようであるが、街角にはお巡りさんの姿がちらほら
電柱の影に隠れて取り締まり、本当に事件を抑止するのであるならば、そんな姑息な事をせずともと市民感情としては反感を招く
過日、近隣で職務質問中にお巡りさんが怪我をされた由
当寺の防犯カメラの録画を提出して欲しい旨の協力要請有り検挙となったのであろうか
その前のヒッタクリ事件では功を博して検挙につながったらしい
目に見えぬところで頑張っているお巡りさん、ごくろうさま
反面、姑息なことだけはやめて頂きたい
我々極悪人は制服を見ただけでビビリあがる。

世界的高名な脳外科医は、世界的に有名になるには、「滅茶苦茶な努力」「少しの才能」「運」そして「良き死」
が重要だとか。昨日は友人が85歳の誕生日を迎えた。その誕生日会に招かれ、美食を堪能させて戴いた。
喜ばしい事は、夫婦揃って、元気に、健やかに、この日を迎えられた事を、本人方も、非常に喜んでおられたことである。
若き頃は、寝食も忘れる程の努力で業に専念し、回りの人達にも恵まれ、運に見守られ、成してきたからこそ、
今日の悠々自適な栄華を見れているのであろう。願わくば今後も、先達として、師として頑張って頂きたい
己の反省として、これまでに、私は何をやっていたのであろうか。
私は、ただただ我武者羅なだけ、その日その日を大事にしてきた積りではあるが、僧として、人として何をして来たのであろうか。評価するのは壇信徒一同。
僧侶は、壇信徒が育てるものと聞く。
愚僧よ、何処へ往くのか〜!!

最近「婚活」という言葉を聞く。我が寺も縁結びの寺として活動している。
毎月第4水曜日10時からのこころ塾の集い、中高年のお見合い「ほのぼの倶楽部」。町の世話焼きじじいの活動か。
昨日も中高年の老老男女(ろうろうなんにょ)桜咲き誇る中50名の参加をして頂いた。行き帰りの面々の顔、こんなにも違うものか。
選に漏れた者、ペアになった者、それぞれ男女が前向きに生きようとする漲った力、まさしく婚活の塊であろう。
住職も婚活活動に何か熱き物を感じる。老老男女よ、来たれ西栄寺へ。前方には力が漲っているぞ!!
ちなみに昨日まで18組のペアが生まれている。中高年のお見合いは続けていくつもり。

ミサイル発射の国、飯の食えない人多数と聞く。それでも、君主は弱者を切り捨てるのか。
その昔、バングラデッシュへ、医療援助の一環として、梅毒撲滅運動に参加した。
その時感じたことは、軍人至上主義で、弱者を切り捨てている現実。
わが国の本当の弱者は、一握りの人だと思われる。
困っている人達には、手を差し伸べなくてはならないが、我侭人間、ズボラ人間、勝手主義者が、弱者に陥ってな
いだろうか、 努力もせずに、甘えてばかりいる人が弱者になってはいないだろうか。
見よ!あのイチロー選手!世界的に有名人であるが、胃潰瘍になるまで頑張っているではないか。
諸兄よ、奮い立て!!努力せよ!!
人間性を高めよ!!
されど、しんどいぞ〜・・・・・

堺寺のシステムがポシャッちゃったとか。政治家の田中真紀子さんによると、IT革命とやらは、
今後、情報格差社会となるらしい。
要は、パソコンやら携帯やら扱えないと、時代から完全に取り残されてしまう恐れありと。
西栄寺は寺院として、真っ先にシステム導入したつもり。なのに、私自身、果たしてついていけてるであろうか。
いやいや、全く理解していない様子。勉強しなくちゃ。僧侶と言えども、社会についていけなくてはならぬ。
諸兄よ!!奮い立て!!
新しいものに目を向けよ!!
ツイデニ
綺麗な妃人にも目を向けよ!!
さらに
昔、綺麗かった妃人にも目を向けよ!!
今日は、西栄寺のお見合いバスツアーの日である。

寺の庭先に、菜の花水仙黄色を咲き競っている。これから、花の好季
我らの目を楽しませてくれるだろう。
それらの花々、それなりの指名を果たして去っていく。
私たちは、自身にできる小さなことでも、成しえて去って往きたいものである。
と言う住職も、果たして成しえているであろうか。
その日、その日を、
ただ浪費しているだけではないだろうか。
野を越え、山を越え、踏み散らかして、
俺はいくぜ〜!!

五木ひろしの演歌の世界では、男と女は「目で話す」らしい
「目線で物を言う」「目を見ながら話をする」
相手の顔を見ながら対話をするという素晴らしい世界は高い次元のものであろう
北朝鮮はテポドン2号を発射しようとしているらしい
目と目を見ながら話をする世界とは遠い存在の世界の人
何事も「対話」という言葉が大事であろう
我々農耕民族は争いの無い世界の人種
これも先人が培ってきた素晴らしい世界であろう
私は今日も隣の美人をそっと見つめている…

白いたい焼き
こんな鯛が街に泳いでいる
人間の美食はどこまで行くのか?
今日、初めて白いたい焼きを食べた
お腹に一杯入ったアンコ、独特のモチモチ感
庶民派の小生、まさに「うまい!」と思った
何事も、不可能を可能にするその創始者の心粋、実に感服する
たった一匹の白いたい焼きであるが、その想い大したものである
既得権の中に生きている輩よ、目を開け!
そして、後に続く者に心拡げよ!
西栄寺も寺の概念に囚われず、出来ることをやっていきたいものである
懐の深さを見よ!

孫が言った。「北朝鮮のミサイル怖いわ〜」
新聞には、「パトリオット迎撃ミサイル発射か!!」
そんな見出しが躍っているが、我が寺の日常には、
そんな、世界 見当たらず。
今朝は、親子三代、パンに付けるジャムかバターかで
論争。微笑ましいじゃないか。
されど、住職のちっこい目も、世間を見開かなければ
そんな思いするも。住職の懐は寒いもの。
みなさんの懐はいかがや。

彼岸を終え、好天気が続いている。朝は寒いが日中は 暖かい日差し。人の道にも、寒さあり、暖かさあり、生きている証拠。
とかく人は、苦しみの雨雲が来ると、避けようとするが、この雨雲、将来においては、良き充電期間か。
天から与えられたこの雨雲、きっときっと、己を成長させてくれるはず。
と、解っていても、住職、人に厳しく、自分に甘く。
こんな住職、許してネ・・・・

(バカタレが〜)

十方世界のありとあらゆる仏様が私達を見守って下さっているとの由。太陽の下燦燦と輝く光同様、知らぬ間に守って下さっている
親は木の上に立って見ている、というこの世界もその様なものであろうか。私は、親は既に他界、いつの間にか私も親になっている
はたして親の責任は果たしているのだろうか?子供が子供を生む世界、キチンと親になっていただきたいもの
幼い世界は幼きままで良かろうが、責任ある世界も絶対必要であろう

庭の水仙は、盛りを過ぎ、菜の花に移り、花の世界は今を好期と移ろうとしている。その内、蝶も舞うのか。
我が心には、365日薔薇が咲いているぞ。
世は吉兆を占う。我々にとっては不問の世界。得てして、人間都合の良い人種。前向きに考える世界を養いたいものだ。
何時もの如く、見濁の世界。見解の相違で諍いが起る。あ〜いやだ、いやだ。私も、都合の良い人種か。

今月もこころ塾を開催することが出来た。よくも毎回私如きの話に耳を傾けて下さり、まことに嬉しい限りである
佛様の教えに「見濁」の教え有り人それぞれ見方も想いも異なる中、過日の「チューチュー列車」や「お化粧列車」の話、
これも自由であろうが、見解の相違というも真理は不変、真実は時と場所によって変わってくるが、
女性の淑やかさを求める小生、車中の化粧は見たくない
諸兄、古き考えと言われようとも、小生は温故知新の良き熟語を大切にしたい時代に逆らって行く積もりは無いが、
何時の間にか世間に逆らっている小生
ほんとうにしんどいなぁ〜されど、前向きに行くぞ!!

五濁悪世といわれる末法。
電車の中では、見かけ綺麗な人が、お化粧をしてる姿、私にはなじめない。
女性専用列車までできた今日、その内、「お化粧専用列車」や「チューチュー列車」もできるぞ!!と言っている人もあり。
されど、街中ではごみを拾い、体の不自由な人に、そっと手を添える人もあり。 世の中捨てたものではないか。
私は、侘び寂びのある、一歩下がった世界、これが世の中を救うと信じている。
温かみのある日本人でありたい。

彼岸の中日は、本当の好天気に恵まれ、山野芽吹き。一年の初めを彷彿させる思いである。
これからはじまる1年の営みを力強く感じられる。我々も、太陽のめぐみを、全身で受け、大きく羽ばたこう
ではないか。西栄寺も勢い良く飛び出すつもり。みんな、ついてこ〜い!!

春の彼岸。全国津々浦々各寺において、それなりの彼岸法要が始まっている事だろう。
春を待つ我ら農耕民族、春の日差しを真正面から受け、活き活きとした、心豊に感じさせてくれる好季。
先輩諸兄も、この暖かみのある日差しを受けて、邁進していただきたいものである。
社会からも、寺内からも、厳しい目をもたれ萎縮していた
住職だが、周りの目はなんのその、良きにつれ、悪しきにつれはね飛ばし、前向きにいったるで〜

古都の夕闇は、古の風情を醸し出す。花燈路は老若男女のそぞろ歩きが風情を醸し出す。
心豊な一時が味わえた。たった一時の時間だったとはいえ、素敵な時間を過ごす事ができる。
悪く言えライトアップし、観光化してしまった東山であったが、それでも、燈路からほのかにもれる明かりに、
そぞろ歩きする人々みんなが微笑んでいたように思える。
時の流れの中に、生きる喜びを感じ、穏やかな時を、ずーっと、ずっと、持ち続けたいものである。

京の都の魅力は、平安の昔よりこの方、永遠に続く。日本の良い伝統を持ち続け、
近年に至っては花燈路という情緒豊な行事まで、町全体が盛り上がってきた。
民衆の心であろう。全国津々浦々から、京の都の観光に参集し、年々観光客が増えているようである。
村興しなんて良く聞く言葉であるが、人を集めるという努力は何処もやっている事であろう。
一時的なことでなく努力持続するという成果が、京の町であろう。
その一隅に私も身を寄せてみた。肌に感ずるぬくもりを味わうのは私一人であろうか。心豊な一日であった。

今日は京都の八瀬に来た。春に向かって野は驀進中。鳥はさえずり、木々は芽吹く兆し。
東山界隈においては花燈路の観光客、夜のしじまを飾っていたほのかな光に心安らぐ想い。
まさに癒しの風情、心静かに時を追う
仏の世界は寂静の世界。そんな中に身を任せると、私のような邪悪な者にも、時を忘れ仏の世界に近づけた気分を与える。
夕闇の中にそぞろ歩く、何か今夜は引締まった思い。こんな私にも仏心はあるのか
天台大師最澄は「山川草木悉有仏性」と仰った
ありがたき事なり

結婚式に招かれた。うれしいじゃないですか〜!華やかな世界、浮き浮きした気分。43年前、私も、「絶対この人!」と仏様に誓った。
誓いとは、こんなに儚いものか。誓ったのに壊れ、誓わないのに今の世界。私の誓いなど、軽石の如く、軽い事。
仏様の誓いは絶対の誓い。救わずにはおれないという仏様の誓いは有り難きこと。新しい夫妻の誓いは、絶対の誓いにして頂きたい。
親鸞聖人は、この誓いを、我々に送り去って行った。今日は、親鸞聖人と亡母のご命日。有り難きこと。
南無阿弥陀仏。

寝台特急、はやぶさ・ふじも去った。昭和のよき時代を、また一つ消そうとしているのか。
門司のレトロの町も形だけが残っている。日本のよき時代、よき心、見えない何かが去っていく。
あー悲しき哉。荒ぶ心はどこまで吹き荒れるのか。農耕民族であった我らは、争いの無いすばらしい民族
であったはず。そのDNAは消えないと聞く。
信じたいものである。仏陀の真理と同じように・・・・

北九州の地を去って早や30年弱枝光駅は豹変し昔の影を残さず、八幡製鉄はスペースワールドに変わっている。
門司駅、門司税関の建物は温存され、和布刈神社は静かに我を待っていてくれたものの、
早鞆の平家を偲ぶ海岸は整備され、ただただレトロな観光町として残ってるのみである
ああ、悲しき哉
昔の良き時代は早や30年で変貌している
…されど釈尊から2500年経った今も真理は絶えず、変人奇人の住職なれど、頑なに変人として変わらず突き進んで行きたいものである

無法松が人力車を引く
祇園太鼓の音が轟く
ここ小倉は男の街
この地を去って早や30年弱、懐かしさのもと屋台連ねる町に足を運んでみた
町は変貌し屋台の店も2軒のみとなっていた
その昔食したラーメンの味、おでんの味はこれまた格別のものであったが、変わりゆく町並みには寂しさを覚える
裏町には村田英雄の演歌の世界は残っているのであろうか
雲は低く垂れ込め今にも泣き出しそう
我が心もこんな想いである
また夏にやってきて、あの祇園太鼓の世界に身を任せてみたいものである
でも、ラーメンの味は昔のままであった
美味かったーーー!!

今週は九州に来た
博多どんたく、博多山笠、夏になれば活気溢れる街であろう
ここ山里、石釜はのんびりした山間の里、春に移ろうとしている
街のざわめきも、煩わしさも無く、久しぶりにのんびりとしている
また浪花の街に戻って…
勇猛果敢に血が騒ぐ
縁結びの寺、町のお寺さんとして
やったるで!

傷付いたカラスが路上にうごめいている。
車列が避けて通る。
思い余ってカラスを抱き上げ避難させようとするも、
カラスは逃げて行く。
…あっと言う間の惨事であった。
仏の目から見ればこれも同じであろうか。
仏の手が差し伸べられているにも関わらず、
逃れようとする我ら衆生。
悲しき哉。

世は末法という。
弱き者は踏みにじられ、強きものは情けを持たず。貧しき者は追いやられ、富者は尊ばず。
ただ世に君臨し、「長」という肩書きに憧れ、弱き者をとことん苛め抜く。
目糞鼻糞を笑う。おなじ糞のくせに。あ〜嫌だ嫌だ。
せめて、弱気の者に味方してやりたい。
これまた、勇気がいるぞ!!
そんな僕になりたい・・・宮沢賢治的な住職である。

いつものように、本堂に座す。新調したシシオドシが、快く、こころに響く。ろうろうと読経の中、遥かいにしえの聖人の心を味わう。
シシオドシの響きにも、夕暮れの梵鐘も、それぞれの思いが伝わってるのであろうか。
住職として、奮起するも、とかく愛欲の広海に没している
   あ〜はずかしきかな・・・

京都の吉水ではじまった念佛、浄土教は、大きな大きなうねりとなって、750年経った今も、脈々として受け継がれている。
親鸞教の流れを汲む私達。とかくすると、平易な面のみを見てしまうずぼらな住職。
夏の暑さにも勝ち、冬の寒さにも負けない、背筋一本通った信念を持ち、突き進んで行きたいものである。
修行という言葉は、僧侶に与えられたものではなく、窓から見る企業戦士や、主婦にいたるまで、皆それぞれ
努力精進しているではないか!!僧籍を汚す者、本来の修行を忘れるな!!
特に、西栄寺の住職へ!?

親鸞は無戒を授かった
即ち仏法の戒律、世間の戒律、それら全てに囚われず自由に生きる道を親鸞は求めた
愛欲の広海に没している我らであるが…
住職は少なくとも聖人君子の道は全うできない
僧として抜席した小生、少なくとも無戒に帰し、与えられた命、自然に受け入れ全うしたいものである
親鸞の無戒と住職の自然欲とはかけ離れたものであるが、あるがままに生きていく精神は全うしたい
嗚呼、恥ずかしき哉!

朝から雨風、出勤する勇士、窓から見守る
干天慈雨という素晴らしい単語がある、万物の成長に必要な雨であろう
働く勇士にとっては辛い雨であろうが…
この雨が、精神的な意味でも成長せしむる雨になってほしいものだ
されど現実、辛い雨
勇士諸君、
妻や子供のため、そして己のため、頑張られたし!
でもお父さん、しんどいねー


晴れやかな朝、凛として張りのある空気
寝惚すけの住職には辛い早朝であるが、引締まった空気に包まれ清々しい朝である
「日々精進あるのみ!」とキレイごとの住職
しんどいなー…


昨日は久々の寒中雨。
わが寺の法務員は、厳しい寒さにも負けず、
颯爽と走りゆく。ずぼらな住職も、嘗てはそのような姿で
あっただろうか。今やずぼらの頂点。ただただ諸僧の後
姿に感謝し、感涙に一日中むせっていた!?
・・・・・・・これまで嘘をつける住職。
・・・・・・・・・・・我ながら大した者だ。
されど万物に感謝するのみ。  南無阿弥陀仏。


昨日の夕焼けは、私にほほえんでいた。燃えるこころ。みなぎる血潮。昨日の夕焼けは、私同様、燃え盛っていた!!
一転、今朝は寒かった・・・ こころは暗く、朝焼けは無かった・・・
寺の職員が一人、退職し、新しい人生スタートさせる。
何処へ行くのか、西栄寺・・・先輩諸氏、ご後援あれ!
きっと来る来る 春よ来る。 信じよ〜!!


2月ももう終わり、例年なれば愛馬に跨り、この巨体を震え上がらせている頃であるが、ズボラ者の住職、暖かい日々に感謝。
あまりに信念の無い住職、エコ寺院を称しているが、地球温暖化何者ぞ。
体感的には暖かく、己には優しく。
されど他人には厳しい住職か。


今月のこころ塾も、無事こなせたようだ。
テレビの影響か、当日は雨もじゃじゃ降り気も滅入る中、遠路より沢山の方がお見え下さった。
私ごとき話の味も無けれど、ご足労下さり真に申し訳ない次第です。
気持ちだけは日々精進努力せねばと思いつつ、何時の間にや68年。時間ばかりが流れているのであろうか。
僧侶は壇信徒が育てるという言葉を聞いているが育つ素質の有るや無きや?
先輩諸氏、叱咤激励あれ!


出発は次元の低いこころ塾も、本日で26回目を迎える。
あまり教養の高い話ではない住職だが、毎月百人近くの方が話を聞きに来て下さる。
基本は楽しい話を目指しているこころ塾である。
時間を持て余している人よ
何処へ行く当てもない人よ
有閑なる人よ、みんな集まれ。
この時間だけは楽しい一時を過ごそうじゃないか。
来たれ諸兄、私はいつでも待っている。


今日は亡父の命日。あの日は寒く、心荒ぶ日であった。その思いを心致し、思いに耽る。
その頃日本は、みな貧乏な時代で、我々兄弟3人を食わすのが精一杯であっただろう。
飽食の現代、父に鰻丼一杯も食わせてやりたかった。何一つ良い思いをする事のなかった父である。
だが、今の西栄寺を見ては、きっと喜んでくれると信じている。
父の思い、母の思い、さらに壇信徒の思いを感
じて精進したいものである。   合掌。


2500年前から釈迦は見濁と嘆かわれている。
世相は乱れ、弱い者をとことん苛める風潮在りや。情というものは何処へ行ったのだろう。
古来より日本には惻隠の情という言葉があるが、
死語になってしまったのだろうか…


久々に立つ金沢の街は古き良き時代の思い出を映し、詫び寂びを感じさせる素晴らしき世界だった。
詫び寂びの心豊なる言葉、最近は耳にしなくなった。
女性専用列車もよし、電車の中で化粧するのもいいだろう、だが詫び寂びの世界とは程遠いように思われる。
女性の美しさ、男性の力強さ、日本古来の本当の意味での美しさを求めていきたいものである。
世の男性よ、男の強さと優しさを見せよ!
本来の女性の美しさを輝かせよ!!


今朝は富山からの一言である。
富山の雪は、思ったほど積もってはいなかった。
されど、我々都会人にとって、木の枝に積もる雪、点在する真っ白な雪は、心洗われる思いである。
清浄な世界で、住職の心も少しは浄化されたであろうか
こんな素晴らしい世界に住んでいる人々は、きっと汚れを知らない世界におられるのであろう。
なのに、時としてマスコミを賑わす事実は、どうしてなのであろう。やはり、仏様の心は清いのであろう。
南無阿弥陀仏。


巷では、首相こき下ろし旋風巻き起こっているようだが、小生、政治的なことは一切わからない。
されど、誰が首相となっても、連日マスコミではこき下ろされ、
周りからもヤンヤの罵声。朝目が覚めてから、就寝するまで悪態つかれ通し。
あ〜いやな世界だな〜。本人もきっと、一生懸命だろうにめげるだろうな〜。
ほんとうに、ごくろうさま。


過日、トリックアートを見た。右から見ると右へ、左から見ると左へ絵が動く。からくり的な絵画、ふしぎな世界。
人間の見ようによっては、解釈が全く違ったものになる。それぞれ、思いが異なる世界に存するのも我々、人間。
相手を考え見えない私たち。見解の相違といえようか。仏の目から見れば、あわれな世界。なげかわしや。


人、生きていくにつれ、大なり小なり非はあるもの。最近の風潮、弱い者、非のある者、とことん追い詰めてしまう。
中川大臣の言動如何なものか。本人は、立場上猛省するのは当然なれど、人の非を、それだけ責める事に値打ちがあるのか。
自分自身、反省する良きチャンスとして捉えたい。先輩諸氏、如何なものや。
仏様の言葉に、見濁あり。


友人の壇信徒、若き頃大阪に一旗あげにきた。癌という壮絶な闘いのもと、奥さんが旅立った。
悲嘆にくれる友人。なんともはがゆい思い・・・
若き頃への思い。30年。地位も名声も得た友人。けれど、克復し難い、癌という大敵。まさに残念につきる
ご冥福を念ずる。  南無阿弥陀仏。


わが寺には、こころ塾なる集いの場があり、その一端に俳句もある。
今月の句会の入選に、腎石さんの、名句「初夢や、妻にはいえぬ、女(ひと)と会う」が発せられた
腎石さんの人間性、偉大な者や!まさに人間の本質を如実に述べ、人生を前向きに考える証拠ではないか。
されど女房たちにおいては・・・・
仏の世界のこれまた 塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


中高年のお見合い応募者、びっくりする程に集まる!!うれしい悲鳴である。
されど、どう紹介してあげたら良いものか、少々不安。
みんな、みんな、良きパートナーを得て頂きたい。
小生も、その昔、出会いを求めて夜な夜な神出鬼没。
だからこそいまがある!!先輩諸氏!!良き伴侶を得よ〜!!


今朝の朝焼けは輝いていた!!!
今日もがんばるぞ!!!
己の心を象徴してくれているようだ。朝にのぼる太陽はいつも同じ太陽である。
されど、今朝の太陽は私のために、輝いてくれたのであろうか。
前向きの姿勢、日々、こうありたいものだ。


中高年の見合い、華々しく奮起する。
都会の片隅には、これほど多くの方々が、寂しく暮らしているのだろうか、
決して変な意味ではなく、出会いを求め前向きな生活をおくろうという人々。
異性問わず、それぞれの出会いをもとめて、前向きに暮らしていただきたいものだ。
愚僧(わたし)のような、次元の低い人種もおろうかと思うが、楽しくやりたいもんだ。


昨日の太陽を観たか!!!燃えるような太陽は、空を焦がしていた。
私の煩悩を、すべてつつんで下さるような気がする。先人は、これに仏を見たのであろう。
今朝の太陽は輝いていた!!!
これまさに、お天とさまの御利益か。燃える赤と、輝く太陽。
当寺は中高年の出会いをもとめて。
先輩諸氏。太陽のようにかがやく人生を!!!


当院では、朝のお勤め後、担当僧侶による、ミニ法話。
社会ルールの中で、我々は現存。同じように会社でも家庭でも、それぞれのルールありと、のたまわれた・・・
住職、こころよりの平伏。
家を一歩出て頑張る諸兄!周りには「七人の敵」が居るというが、
家庭を守る奥様がた、ご主人を労わりしこと、住職こころから哀願する。
現在、中高年の出会い推進中!応募あれ!!


中高年の出会いの場。
なかなか踏み込めないこころの葛藤があるようである。
男と女の世界、不浄なるものという人がいるが、こんな崇高な出会いは、他にないのではないか。
過日、当院の出会いの場をTV番組「ニュースゆう」が、取り上げた後、反響が大きく、申込者が殺到。
担当人はうれしい悲鳴!都会の片隅に、一人寂しく過ごしている人が多々。
中高年の諸氏、意を決して、外の世界をみよ!
外の日差しは、明るいぞ!! 合掌。
とても、鼻息荒い住職でした。コーナー担当者)


塵沙の惑{じんじゃのわく}
(小さな小さな罪が少しづつ蓄積すること)
今朝、あやまって、早起きしてしまった。
そこで、こころ塾のVTRを聞きかえしてみると、
家庭を大事にした。 人間性を大事にした。
思いやりのある話しぶり。
あ〜 おはずかしい・・・・


今月のこころ塾も、ようやく終えたという感。
初心は、崇高な?思いで開催したこころ塾も、2年余。
少々ネタ不足か。実のところは、苦悩しているこころ塾である。
されど、奮起せねば!?¥@*
これも、塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


毎月第4水曜日は、こころ塾の日。
今日もまた、何の話をしていいのやら。
愚僧にとっては、頭の痛い話。聴衆にとっては、胸をグサリ。
そんな、話がしてみたいな〜。
これも、塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


今日はおやじの命日。
50年も経った今、おやじの命日忘れる事しきり。
親鸞においては、血のにじみ出るような求道。
いったい、俺はどうしたことか・・・
お朝じで、ようやく思い起こさせてくれる、おやじの命日。
あー 遺憾ともし難い。
これも、塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


寺とて、寺院経営。
営業にでなきゃならない。
さむいな〜。
出たくないな〜。
火鉢が恋しいな〜。
これも、塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


毎朝の勤行。
苦になる事も。
それでも平静を装う住職。
ずぼらをしたくなるのも人情か。
これも、 塵沙の惑{じんじゃのわく}か。


競馬もよし!競艇もよし!
されど、射幸心を煽る不届者。何時かは勝てるだろう
ということは、すなわち、いつかわ滅亡するという意味。
諸氏、再考あれ!
判っているが止められない。
これも、 塵沙の惑{じんじゃのわく}


塵沙の惑{じんじゃのわく}
(小さな小さな罪が少しづつ蓄積すること)
喫煙者が、禁煙をしたいと願う意、多数聞く。
辞めたいけれど、辞められない。
これまさに、塵沙の惑。


塵沙の惑{じんじゃのわく}
(小さな小さな罪が少しづつ蓄積すること)
男の三原則は、「飲む、打つ、買う」。されど諸兄よ!
おごれば大火傷!わかっていても辞められないのも
これ事実。これを仏の世界では 「 塵沙の惑」という。
クワバラ、クワバラ。

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